2-7 真実と切なる願い(1)
しばらくラッセルに体を預けた後に、彼の方から軽く肩を押し出された。頭を動かして、後ろを向けと指示される。
すると部屋の奥からタオルなどを抱え、さらには神官を引き連れてきたアルフィーさんが戻ってきていた。
「少しは温まった。すまん、ありがとう」
素っ気なく言われたが、お礼であったため嫌な想いはしなかった。未だに鼓動が速く、頬が仄かに熱を帯びているのは気のせいだと割り切った。
戻ってきたアルフィーさんは脇に座り、タオルを私から受け取ると、真新しいタオルを押しつけた。少し離れたところでは神官が呆然と立っている。
「この怪我は、すぐにでも医者に行った方がいいのでは……?」
「すみません、神殿の方がアルフィーさんには勝手がいいと言われまして……」
「君は?」
目を丸くしている神官に向かって、深々と頭を下げた。
「昼間、金髪の青年とこの少年と一緒に来た者です。少しの時間ですが、場所を貸してください」
「帽子を被った子かい? いや、すまない。てっきり男の子だと思っていた」
「構いません。よく言われますから」
むしろそういう風に見てもらわなければ、変装した意味がない。
アルフィーさんがてきぱきと治療を進めていく。上着をかけられたラッセルの表情が少しは柔らかくなる。あとは彼に任せておけば、ある程度の処置はしてくれるだろう。
さて、次のことを考えなければ。
外に出て、畑の様子を伺う。光は明らかに弱くなっていた。獅子の闇獣の鋭い目の光が目立つようになる。こちらにも向けられるが、どちらかと言えば町の方を眺めているように見えた。
「闇獣が現れたというのは、本当ですか?」
神官がおそるおそる近づいてくる。私の隣に来て、目を凝らすと、体を震わして一歩下がった。
「どうしてこんな近くにまで……」
「不思議ですよね。水竜の加護を受けている宝珠が傍にあるのに。ここまで接近されるのは、とても奇妙です。私が見聞した限りでは、宝珠がある神殿の近くに闇獣が現れたことは、まずありません」
「闇獣の力が増しているからかもしれません。それならば、急いで各地の神殿に通達をしなければ……」
神官は手を口元に当てて、俯いている。
その姿を見て、言葉では表せない、違和感がした。
「――ねえ、神官様」
リオが目を細めて、神官を見上げている。
「闇獣は基本的に人がいるところには近づかないよ。どうして力が増していると決めつけるの? それよりも昨日、今日で何か劇的に変わったことを調べたほうがいいんじゃない? それにさ、闇獣が現れたって知ったら、町の評判が落ちると思うけど、いいの?」
神官がごくりと唾を飲み込むのがわかった。
リオの言うとおりだ。闇獣がうろついている危険な町など訪れたくない。人が来なければ、町の活気は薄れ、祭りすら行われなくなるのではないだろうか。
その瞬間――疑問を抱いていたものが、すべて一つに繋がった。
キースが捕まえられたこと、水竜の加護を受けている宝珠がなくなったこと、そして――祭りの前夜に行われる出来事。
「神官様」
私は小さな声を発したつもりなのに、やけに神殿の中に響いていった。石像の周りでざわめいた人たちがちょうど会話を区切ったところのようだ。
「なんでしょうか、お嬢さん」
神官は体を私の方に向けた。
時間がない。回りくどい言い方は一切なしにして、単刀直入に聞いた。
「あの水竜の石像が握っている本物の宝珠は、貴方がどこかに隠したのですか?」
私の言葉を聞いたリオとラッセル、アルフィーさんが驚きを表情に出している。
神官の目がほんの僅かに見開いた後に、首を傾げた。
「どういう意味ですか。意味がよくわかりませんが……」
「神官様に連絡は入っていないのですか? 今あるあの宝珠が実は――」
「もちろん知っていますよ。私が自警団の方にお願いを出したのですから。貴女と一緒にいた方が犯人だそうですね。本当に残念です。彼はそういうことをする人なんですか?」
ラッセルが壁から背を離そうとしたが、アルフィーさんに押さえつけられた。いくら力がある人間といえども、今は怪我人。動くのもままならなかった。
「彼はそんなことしません」
ラッセルの代弁をするかのように、きっぱりと言い放った。
「どうしてそう言い切れるのですか? あれにとても興味を持っていたようですよ」
「彼は様々なところを転々と旅をし、竜の加護が宿った宝珠をたくさん見たと言っていました。その彼が、あの宝珠を見て『変だな……』と呟いていたからです」
神官の目が細くなった。警戒している。
ここから、彼の口から思い通りの言葉を引き出さなければ。
『ルーシャン、この世で一番危ないものは、実は言葉なんだって』
かつてよく遊んでいた幼なじみが、ある本を読んだときに出してくれた言葉だ。
言葉は凶器であり、時に癒すものでもある。
そう、嘘であっても本当のように言えば、言葉は人の心を貫く武器となるのだ。
演じろ。
男を演じたように、嘘を真実のように述べる、役者を演じろ!
「――その後に彼は捕まりました。どうしてでしょうか。貴方、彼が察したのに気づいて、わざと捕まえさせたんじゃないですか? 目障りな人間は牢屋にぶち込んでしまおうと思い」
「何を根拠に言っているのですか。すべて推測の話ですよね?」
「ではあの宝珠の取り方を、いったい何人の人間が知っているのですか?」
「はい?」
握っていた拳を軽く緩めた。
「緊急時、たとえば火事や天変地異が起これば、あの宝珠を持ちだす必要がある。水竜の加護が付いた、貴重なものですから。それを実行する際、石像ごと持って行くのは、重量の関係でまずない。ならば石像を壊して持って行きますか? いや、それもあり得ない。なぜならあの石像は、非常に固い材質の石で作られているため、滅多な武器では破壊できるものではないから」
昔、叔父から教えられたことを、すらすら述べていく。
国の象徴でもある石像が壊されれば、人々がおおいに嘆き、悲しむ。
それを防ぐために、大陸中から石を選び抜き、苦心して削りだしたのが、あの石像なのだ。
「だからあの宝珠を取るためには、必ず方法がある。それを知っているのは基本的に歴代の神官のみ」
「何が言いたい」
低い声で問われる。私は逃げずに声を言い放った。
「貴方が宝珠を隠し、その罪をキースになすり付けたのではないのですか?」
「なぜそんなことをする必要がある。私がそれをしたとしても、何も得るものはない」
「そうです、貴方は何も得ません。しかし町は今まで得ていたものを、得られなくなるのです」
真顔だった神官の表情が、徐々に崩れていく。
ここからは本当の推測だ。本気で演じる必要はない。息を吐き出して、ぽつりぽつりと紡いでいく。
「アルフィーさんから聞きました。この町では祭りの前日までに水竜の加護を受ける人物を選定し、前夜にその者に加護を与えているんですよね」
「……そうだ」
「私が思うに、全員が全員その加護を受けたいわけではないと思います。加護を受けた後に待ち受けている人生を知っていれば――」
ラッセルが目を丸くして、私のことを見つめてくる。
本人の目の前で、まったく関係ない人が加護の意味を語るなど……笑える話だ。それでも私は続けた。
「加護を受ければ、人とは違う力を得られる。その竜が陣取っているもの、たとえばこの地の竜であれば、水を操れるようになる。しかしその代償に人とは少し違う体質になり、そして――寿命が短くなる」
ラッセルは右手で左腕にある、腕輪を握りしめていた。真っ赤な宝珠が意図的に隠される。
私は沈黙している神官の横に移動し、そっと口を開いた。
「貴方、人の都合で、そのような人生を歩まざるを得ない人をなくすために、宝珠を隠したのではないんですか?」
神官の目が大きく見開いた。彼の瞳がゆっくり向けられる。おそらくその瞳には表情を緩ました私の顔が映っているはずだ。
「今年の祭りは、自警団の方には宝珠が盗まれた関係で、加護持ちの者を作れなかったと言い、表向きには諸事情の関係で、加護持ちを作れなかったと言うはずだったのでは? 盗まれたと言ったら、この町全体が大騒ぎになるのは間違いなかったため、自警団だけに止めて偽物を置いた。そして収まりが付いた頃、宝珠を本物に置き換えてキースを解放するつもりだった」
神官は口を開かず、じっと俯いている。
「――さらに貴方は宝珠をこの地から持ち去ることで、もう一つ起こる効果を期待していた。それが闇獣の出現」
すっと指を二本、神官の前に出した。
「出現により自警団の動きを見たかった。そしてこの町に闇獣が現れるという、不名誉な噂を流させ、最終的には祭りを、加護を与えるという行事自体をなくしたかった。――違いますか?」
饒舌だった口を閉じ、私は一歩下がった。
神官はしばらく黙っていたが、やがて息を吐き出した。
「……見事だ」
「キースを容疑者にしたと、認めてくれますね」
「ああ。あとで彼には充分な詫びを入れておく」
神官は視線を私やラッセルに向けた。
「彼はこの神殿を貴方たちと来た後、再度ここに来た。そして私に詰め寄り、宝珠が偽物だと言い放った。君ほどの推理ではないが、ずばっと言われた時はとても焦ったよ。彼は誰にも告げ口しないと言ったが、かわりにすぐに本物を戻せと言ってきた。明日以降ならと言ったら、首を激しく横に振られたよ。それまで絶対にもたない。この町を潰す気かと脅されたが、私は首を縦に振れなかった」
ぽつりぽつりと吐き出される。
「彼が出て行ったのを見て、誰かに告げ口されると思った。それならば犯人に仕立ててしまい、彼が言うことをすべて嘘だと思わせるようにさせたんだ」
「酷い……」
リオが呟くと、神官は肩を小さくした。
「本当にすまない。言い訳して許せることでもないだろう」
神官ががっくりとうなだれている。
彼が行ったことは許されないが、彼の想いもわからなくない。
毎年、必ず一人以上、寿命を縮める人を目の前で作り出す。それを何としてでも止めたいというのは、生に重きを置いている、聖職者の切なる願いだろう。
穏やかで人が良さそうな大人が、今はとても小さく見える。自分がしたことの愚かさを噛みしめているのかもしれない。
だが、今回はここで一区切りつけるつもりはなかった。
私は再び一歩詰め寄った。
「神官様、本物はどこにありますか? とても凶暴で危険な闇獣が町を襲ってこようとしています。ですが急いで宝珠をこの地に戻せば、それは防げるかもしれません」
今まで壮大な演技をしたのは、このためだ。
本当ならもう少し証拠を固めるべきだったが、時間の関係で無理だった。
神官はすまなそうに、首を横に振った。
「すまない。この近くにはない。ここから少し離れたところにある、小屋に置いている」
「どれくらい離れているんですか?」
「馬を飛ばして一時間程度のところだ」
「往復で二時間……」
外に顔を出して、闇獣の様子を見る。光は小さくなっているが、今は動かずにじっとしていた。あれが動き始めるまで、もつだろうか。
さらに辺りも暗くなり、雨の影響で道も悪い。時間通りに戻ってこられるかも不明確だ。
しかし、行かなければウィルロード町に甚大な被害が及ぼされる。
あの獅子の闇獣、一瞬対峙して得た感じでは、闇獣にしては頭がいい。町の周囲を火で焚いたとしても、飛び越えられてしまう可能性があった。
床に置いてある弓矢を見下ろす。矢は先ほどの戦闘で使ってしまったため、残り五本となっていた。心許ない本数だが、これらで仕留めるしかないのか。
「ルシア、馬鹿なことは考えるな」
アルフィーさんによって腹を包帯でぐるぐる巻かれたラッセルが、鋭い目で見てきた。何もかもわかったような目つき、どこか苦手だ。
「……怪我人に言われたくない」
「お前じゃ、あれには太刀打ちできない」
「痺れ薬でも仕込ませれば……」
「ぱっと見だが、表皮が堅そうなんだよ。矢すら刺さらないぞ? ――おい、神官様よ」
俯いていた神官がラッセルをこわごわと見た。
「キースを解放させろ。そうすればオレたちで時間を稼いでやる。その間に――」
立ち上がったラッセルが私を見据えた。
「お前が本物を取ってこい。馬ならお得意だろう?」
「二人であの闇獣を相手にできるのか!? それに場所がわからない小屋では、時間通りに戻れるかどうか……」
「僕も一緒に行っていいですか?」
アルフィーさんが私の方に一歩踏み寄っていた。それを見た神官が目を丸くしている。
「アルフィー?」
「父さん、あの小屋ですよね? 昔、よく行った」
「……ああ」
「なら、僕が案内しますよ、ルシアさん。そうすれば往復二時間以内で戻れます」
「とても有り難い申し出ですが、夜道を走ります。闇獣が襲ってくる可能性もありますよ」
「光を発し続ければ、大丈夫ですよ。先ほど証明したじゃないですか」
にっこりと微笑むアルフィーという青年。その笑顔は何を言われても引かないぞという雰囲気を出していた。
ラッセルがアルフィーさんの肩を軽く叩く。
「頼めるか、ルシアを」
「貴方のように体を張ることはできませんが、できる限り危険からは遠ざけます」
「わかった。こいつのことは頼んだ。町のことは任せろ。あいつを一歩たりとも中には入れさせない」
ラッセルは入り口に手をかけて、ぎろりと闇獣を睨んだ。




