2-6 雨の中の対峙(2)
「ラッセル……!?」
立ち尽くしていると、建物の陰に隠れていたリオが駆け寄ってきた。彼は先ほど闇獣がいた位置の左側を指す。
「ラッセルは移動している。自警団の人たちの炎が消えたのを見て、動いたんだ」
「自ら囮になった? 十匹もいるのに、あの人は馬鹿か?」
弓を握りしめ、傍にあった建物に外階段が備え付けられているのを見つける。
そして少年の肩にそっと手を乗せた。
「リオは下がれ。ラッセルの加勢は私がする」
「無理だ、ルシア!」
「なぜ無理と言い切れる? 私をそこらのひ弱な女と一緒にしないでほしい。――自警団がたむろっている所にアルフィーさんがいる。彼ならこの場でするべき適切な行動を指示してくれるはずだ」
「あの人が……?」
「気は弱いが、状況を判断する能力は、馬鹿な自警団よりもある」
そう言ってから階段に足を付けて、駆け上り始めた。上がっている途中、暗闇の中に一筋の剣線が走ったのが見えた。ラッセルが孤軍奮闘している。その剣線は闇夜の中で美しい軌跡を描いていた。
三階の踊り場に出た私は、腰を下げて矢を射る姿勢に入る。
だが、すぐには弓を構えられなかった。
思った以上に暗く、雨によりさらに視界が悪い。これでは矢を放ったとしても、闇獣に刺すことは不可能だ。むしろラッセルを刺してしまう可能性もある。
焦る思考を抑えるために、ゆっくり弓を構えて、矢を添えた。目を細めて、その視線の先にあるものを見極める。
その時、闇獣がいる辺りで炎が出現した。途端、一匹の獣が土の上で悶え始める。炎の大きさは雨によって小さくなるが、周囲の様子を伺うには充分だった。
ラッセルから一番離れたところにいる闇獣に向かって矢を放つ。
目玉に刺さると、悲鳴にも似た鳴き声を発して後退していく。その獣から火柱がたつ。火竜の加護を持つラッセルの力だ。
威嚇も含めて、矢を次々と放つ。ある矢は地面に突き刺さる一方で、ある矢は闇獣に刺さった。発狂し、のたうち回る。その隙にラッセルが炎を放ち、剣で急所を抉る。
やがて残り三匹になると、闇獣たちはラッセルの周囲を回り始めた。
私はちらりと町の入り口を見る。まだ火や明かりは増えていない。
ここで闇獣を追い払う、もしくは倒したとしても、増援がくれば町が狙われる可能性がある。
しかし、なぜ人気がある町のすぐ傍まで、闇獣が現れたのだろうか。
一つだけ思いつくこととしては――
「何かしらの影響で、自然界のバランスが崩れている……?」
七匹の竜で作られたと言われているこの大陸では、それぞれの竜が強い影響を及ぼしている範囲が決まっている。その範囲は通常時では増減することない。そのため闇竜の加護を受けている闇獣も根絶はできないのだ。
ウィルロード町は水竜の神殿がある場所。
水竜の加護を直に受けているのは、あのコバルトブルー色の宝珠。
今、その宝珠が正しき場所にない――。
加護を司るものがなければ、バランスが崩れて、闇獣が襲ってきてもおかしくはない。
「結局、宝珠探しに戻るのか……」
ラッセルがある一匹に剣を振り下ろしている隙に、背後を狙っていた一匹の背中に矢を突き刺す。彼はそれに気づくと、反転するかのようにそれを切り、逃げようとしていた闇獣の体に向かって、ナイフを投げつけた。
動きが鈍くなったところで、闇獣から火柱が立つ。
炎を背景にして、ラッセルが振り返り、私のことを見上げてきた。その表情は穏やかにも見え、ほっと胸をなで下ろした。
しかし次の瞬間、彼は剣を地面にさし、片膝を土に付けた。明らかに疲労が溜まっている。
私は数段おきで階段を駆け下り、ラッセルの元に走っていった。そして雨に打たれて、荒い呼吸している彼を見下ろす。
「ルシア……か。援護、ありがとな」
「……無茶しすぎ。いくらラッセルが強いと言っても、雨の中、十匹も相手をしては……」
羽織っていた上着を彼の肩に乗せる。彼は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「オレがやらなきゃ、町の中にいる奴らが襲われるだろ。自警団なんかあてにならねぇ。そこで腰を抜かして動けない奴を見れば、一目瞭然だ」
当初ラッセルがいた場所には、未だに地面に尻を付けている自警団の男二人がいた。加勢するわけでも、逃げるでもなく、ラッセルが注意を払わざるを得ない位置に座り込んでいる、情けない男たちだった。
彼らを見て、深々と溜息を吐いた。
「……この町に縁もゆかりもないのに、どうしてそこまでできる?」
「お前もそうだろ。危険とわかりながら矢を放ってくれた。もし鳥系の闇獣が紛れていたら、お前も攻撃の対象になっていたんだぞ」
「私はただラッセルが危ないと思ったから、余計なお世話かもしれないが、矢を放っただけだ」
きっぱり言うと、ラッセルは目を丸くして、くすりと笑った。その顔を見て、思わずむっとする。
「なんだ」
「お前、本当にかわいげねぇよ」
「はあ?」
「今は町に戻るぞ。雨の中じゃ、さすがにオレも力を発揮――」
言葉を途中で切ったラッセルの目が大きく見開いた。彼は剣を杖にして立ち上がり、私に背を向けた。
彼が睨みつける方向から、真っ黒な一匹の獅子が歩いてくる。静かにゆっくりと、獲物を見定めるかのように、じっくり寄ってきた。
雨が激しく叩きつけてくる。当分の間、やみそうにない。
ラッセルは歯をぎりっと噛みしめた。
「新手か。しかもあれはヤバいな。オレ一人でどうにかなる相手じゃねえぞ。……ルシアは相手できるか?」
私も首を振った。こんなに巨大な闇獣を相手にしたことがない。普通ならば、気配を感じるなり、逃げるべきだ。
しかし、すでに相手の間合いに入ってしまっている。さらにラッセルは怪我を負っている。逃げても追いつかれてしまうだろう。
拳をぎゅっと握りしめた。それを一瞥したラッセルは、ちらりと横目で私のことを見てきた。
「オレが相手をするから、お前は逃げろ」
「何を馬鹿なことを言っている!」
「オレの方が強いし、剣捌きは上手いから、お前よりも引き留められる時間は長い」
たしかにその意見は間違っていない。だが呼吸は依然として荒く、肩で上下している姿の彼を置いていくとはできない。力は劣るが、私の方が上手く攻撃を避けきれるはずだ。
彼の意に反して前に出ようとすると、手で制された。さらに弓を持ち上げようとすると、彼が剣を真っ直ぐ闇獣に向けて突きつけた。
「お願いだから、行ってくれ。オレのためにも、行け!」
その台詞を聞いて、私は声を失った。呆然としている間に、ラッセルは前に走り出す。
はっとして、弓を構えようとする。しかし視界が悪すぎて、矢を放てる状態ではない。弓を下ろして、私は叫んだ。
「ラッセル!」
その時、煌めく何かが背後から投げられた。全部で三つあるそれは、光の軌跡を描きながら、闇獣を囲むように落ちていく。それらは地面に付くと、激しい光を発した。闇獣がその光から逃れるかのように後退するが、背後も光が発しているため、その場で蹲るしかなかった。
「これは……?」
「ラッセルさん、ルシアさん、今のうちに逃げてください!」
ランタンを手にしたアルフィーさんが、道の上で必死に手で拱いている。そのランタンの光は私が今まで見たものの中で、もっとも目映い光だった。
私は立ち止まり、闇獣を睨みつけているラッセルの傍に駆け寄った。
「ラッセル、今は逃げよう。このままじゃ……勝てない」
「……わかった」
渋々頷いたラッセルは剣を下ろす。光を恐れている闇獣の様子を逐一見ながら、光が投げられた方、つまりアルフィーさんがいる場所に走っていった。
アルフィーさんがいたのは、神殿と町の間の道だった。その隣にリオが袋を抱えて立っている。リオはラッセルが疲労困憊だけでなく、左腕をだらりと垂らせているのを見て、目を大きく見開いていた。
「ラッセル、大丈夫なの……?」
「子供に心配されちゃ、オレの立場がねえよ。これくらい大丈夫さ。……アルフィー、さっきのはお前のだよな、あの光はなんだ?」
「鉱山で採れた光る石で、暗い場所だとよく発光するものです。それを投げやすいように、透明なボールの中に入れました。うまい具合に投げられて良かったです。……ただしあの石の光は一時的なもの。今のうちに、今後の対策を練った方がいいと思います」
アルフィーさんは体を町ではなく、神殿の方に向けた。
「神殿の方が色々と揃っていますし、融通がききます。そちらに向かってもいいですか?」
「オレは構わないが……。お前も一緒に来るのか?」
ラッセルの視線がアルフィーさんの手元に向けられる。小刻みに震えていた。彼は苦笑しながら、右手で左腕を握りしめる。
「笑っちゃいますよね、戦闘に割り込んでおきながら、こんな様なんて……。見てわかるとおり、闇獣に対して、自警団はまったく役に立ちません。自警団の中には、あなたたちにすべてを任せようという人もいました。それを見て――、この場で僕も見ていたら、同じだなって思ったんです」
ごくりと唾を飲むと、私に顔を向けて、黒い瞳を逸らさず見据えてきた。
「僕は臆病者です。人と関わるより、一人で過ごした方が好きです。ですが……、目の前で誰かが傷ついていくのを見るのは、嫌です」
それは彼らしい、真っ直ぐな言葉だと思った。
ラッセルは笑みを浮かべながら、アルフィーさんの胸を軽くこずいた。そして神殿の方に向けて、ゆっくり歩き始める。
私もアルフィーさんと視線を合わせ、微笑むと、ラッセルの後を追いかけた。
戦闘を中断させた石は、まだ光を発している。しかしほんの少しだけ明かりが落ちているようにも見えた。
神殿の中に入ると、外から避難してきた人たちが石像の近くに寄っていた。松明がいつも以上に絶え間なく焚かれている。神殿の周囲にも、雨に打たれない場所に火が置かれていた。自警団よりも闇獣に精通している人がいるようだ。
私は入り口の脇の壁に、ラッセルを寄りかからせた。雨に打たれながら戦闘をし、血を流していたからか、彼の衰弱は激しかった。
アルフィーさんはじっとラッセルを見ると、服に手をかけた。ラッセルの表情がさらに怪訝なものになる。
「おい……」
「腕だけではありませんね。……失礼します」
一言断ってから、アルフィーさんはラッセルの上半身を覆っている服を脱ぎ始めた。鍛え抜かれた体が露わになっていく。その体の左わき腹を見て、その場にいた者たちは全員眉をひそめた。左わき腹から、真っ赤な血が流れ出ている。
アルフィーさんは肩掛け鞄の中から、真っ白いタオルを取り出し、その部分に押し当てた。白かったタオルは、あっという間に赤く染められていく。
「腕を攻撃されたとき、同時に負ったものですか?」
「……かすり傷だ。適当に止血しておけば、大丈――」
「かすり傷ではありません。先ほど僕が止めずに戦い続けていれば、貴方すぐにでも倒れていましたよ?」
アルフィーさんの容赦のない言葉がラッセルを貫く。居たたまれなくなった彼はそっぽを向いた。子どもか。
眼鏡をかけた青年は溜息を吐くと、私に目で促してきた。
「ルシアさん、このまま押さえておいてくれませんか? 自分、神殿の奥から治療に必要なものを持ってきますので」
「アルフィーさん、治療できるんですか?」
「応急処置程度なら。僕が勉強している内容、実は医学関係なんですよ」
その場の緊張感を和らげるような穏やかな笑みを青年は浮かべる。そして私がタオルを押し付けたのを確認してから、神殿の脇を突っ切って奥まで走っていった。
受け取ったタオルで押さえながら、脇に置かれていたラッセルの服をリオに押しつける。
「また着るかわからないけど、とりあえず絞って」
「わかった」
こくりと頷くと、リオは上着と、中に着ている長袖の服を一生懸命絞り出した。
ラッセルが目を細めて、私を見てくる。
「お前の服も濡れているだろう。松明の近くに行って、乾かしてきたらどうだ?」
「別に大丈夫。雨に打たれるなんて、旅していたらよくあることでしょ」
ふとラッセルの右手が私の頬に触れてきた。冷たい手に触れられ、どきりとする。それを左手で優しく握りしめた。
「その傷にこの冷たさ。本当に無理しすぎ……」
「これくらい無茶の内に入らないだが。……温かいな、お前の手」
そうぽつりと呟くと、彼の右手が頬から離れ、私の背中に回された。そしてラッセルは自分の方に私を引き寄せたのだ。
「ちょっ……!」
彼の冷たい肌が、私の全身に直に伝わってくる。鼓動が徐々に激しくなっていた。
「……体も温かいな」
「嘘よ。私だって濡れているんだから、たいして体温は変わらない……」
「いや、本当に温かい。少しの間……いいか?」
「……それで少しでも温まるのなら」
心の中で嘆息を吐きながら、右手でしっかり止血用のタオルを押し当てた私は、一時的に体をラッセルに預けた。
少しでも早く彼に元気になって欲しかったから。




