2-1 相反する竜の加護(1)
「ねえねえ、キース、この町はどういう町?」
「スレイドフ国のウィルロード町。水竜の神殿がある町だよ。学問の町としても有名なところで、学者さんがたくさんいるんだ」
「へえ、神殿か……」
小さな銀髪の少年リオが、少し長い金髪を結った青年キースの顔を見上げている。リオは首を縦に振りながら声を出していた。
目の前に広がる町は、木の板だけでなく、レンガで作られている建物も見える、先日訪れたマルカット町よりも高そうな建物が並んでいる町だった。出入りする人もボロ布でなく、きちんとした服を着ている人が多い。
学者の町としても有名ということは、それなりにお金がある人がいる場所なのだろう。勉強するには本を買うにしても、誰かに学ぶにしても、お金が第一に必要となることが多いからだ。交易の街とはまた違った過ごし方を要されるかもしれない。
そう思いながら、馬に括り付けていた荷物を、私と黒髪の少年ラッセル、そしてキースの三人で分担して降ろす。リオも持ちたがっていたので、ラッセルが小さな包みを渡すと、腕をがくんと下げた。どうやら見た目の割に重い何かを渡したようだ。
ラッセルはリオが腕をあげられないのを見ると、鼻で小さく笑った。
「もう少し力を付けてからにしろ、リオ」
「ラッセル、僕のことを馬鹿にして……! いつかお前の背も力も追い越してやる!」
「越される前に、とっととお前の前から消えるさ」
頬を膨らましている少年を後目に、ラッセルは既に進んでいるキースの後をついて行った。その場に突っ立ったままのリオを私がちらりと見ると、彼は慌てて歩き出した。横にくると、彼は私が背負っている荷物をじっと見る。
「ルシア、大丈夫? 僕が持とうか?」
「大丈夫。重いのはラッセルとキースが持っているから。これは見た目の割に軽いものだよ」
「……あいつらって頼りになるけど、なんかムカつくな」
「二人がいたおかげで、無傷でここまで来られたんだ。感謝しなさい」
「はーい」
私たちの前には、黒髪と金髪の男が二人で話をしながら歩いていた。
優男の金髪の青年、目が鋭い少し近寄りがたい黒髪の少年。道中共にすることで、冒険者ギルドでも名をとどろかせ、グレイスラー当主も護衛を頼まれた理由を実感することができていた。
マルカット町からウィルロード町に来るまで、決して穏やかな旅とは言えなかった。小さな村はいくつかあり、また馬も速度を上げていたため、野宿は避けられていた。
しかし、不幸にも狼型のはぐれ闇獣との戦闘は起こってしまったのだ。キースがいち早く察知し、ラッセルが先行して剣を向けていく。私はリオを抱えた状態だったので、ラッセルの後を追うことはできなかったが、牽制目的のために矢を放つことはできた。闇獣の前足部分に矢を放つ。
思惑通り闇獣の足が一瞬止まる。その隙にラッセルが闇獣の脇腹を切り裂く。怯んだところで、首下に剣を振り落とすと、闇獣は炎に包まれて、燃えかすになってしまった。
「すごい……」
ラッセルの鮮やかな剣捌きに、リオは息を呑んでいた。私も初めて彼の動きを見たときは、目を見張っていた。それほど隙のない動きだったのだ。
彼は剣をしまわず、目を細めながら周囲を見渡して、他に襲ってこないことを確認する。キースにその旨を伝えると、三頭の馬は再び走り出した。
お互いの役割を判断し、目線だけで促して、それぞれ適した行動をする。長い期間一緒にいなければ、できないことだろう。
「今日の宿はどこにとろうかね。治安もいい町だから、多少値段を抑えた宿にしようね」
キースは町の入り口で購入した地図を見ながら、ウィルロード町の大通りを歩いていく。
擦れ違う人たちは交易の街でよく見た堅物な男ではなく、ひょろりとした人たちが多い。眼鏡をかけている人もよく見る。彼らは皆、学者だろうか。家族連れなども多い気がする。
周囲の人間や建物を見ながら進んでいると、キースがとある一件の宿に入った。受付の雰囲気からして、そこまで高くなく、庶民的な部類に入る宿だろう。彼は受付に行くと、早速交渉し始める。しかしすぐに受付の人間は首を横に振られてしまった。満杯らしい。
彼は了承すると、すぐに気持ちを切り替えて、その宿を出て、次の宿を探して、入っていった。
だが、尋ねた宿はどれも満杯だった。思い切って高そうな宿にも行ったが、すべて断られた。
「どうしてそんなに混んでいるんですか!」
キースが受付に手を付けて。目の前にいる人間に向かって、言葉を放つ。受付の男性は振り返り、一枚の鮮やかなイラストが描かれたポスターを示した。
「旅の方でしたか。時期が悪かったですね。ちょうど水竜様を祀るお祭りがあるんですよ。ですから、今から空いている宿を探すのは困難かと……」
「そうでしたか……。そんなに混むものとは知りませんでした……」
キースががっくりと肩を落とす。その様子を見かねた受付の人物はドアの外をちらりと見た。
「大通りから離れた場所にある、小さな宿であれば空いているかもしれません。確証はありませんが」
「本当ですか! ありがとうございます!」
表情をぱっと変えて、キースはお礼を言った。変わり身の早い男である。
彼は大通りから裏路地を通って、小さな通りを歩いていった。そこで見つけた宿を片っ端から聞いていくと、ついに空き部屋がある宿にたどり着いた。
「一部屋なら空いているよ」
受付の中年の男性は素っ気なく答える。キースは私に視線を送ってから、男性に向かって指を二本たてた。
「二部屋は空いていませんか?」
「一部屋でもラッキーだと思った方がいい。キャンセルが入って、たまたま今、空きになっただけだ。他の宿でも二部屋探すのは難しいぞ。狭いが一つのベッドに二人並べば、どうにか寝られるだろう」
キースの視線が再度ちらりと私に向けられる。陽も暮れている。これ以上探し出すのは厳しいだろう。やや抵抗はあったが、仕方なく首を縦に振った。
「じゃあ、その一部屋をお願いします」
「はいよ、鍵だ。まあせっかくだから、祭りの様子でも見ていくといい。本格的な祭りは三日後だが、その前の数日間も、町の中は賑わっているぞ」
その男性も、先ほどの受付の人と同様に壁に貼ってあるポスターを見た。どうやら町を挙げての一大行事のようだ。
用意された部屋は、一番奥の部屋だった。あまり広くなく、ベッドが二つ敷き詰められて置かれていた。
部屋の真ん中で荷物を置いた後に、キースが腕を組みながらベッドを二つ見比べる。
「さて、どうやって寝るかい……ルシアちゃん」
「キース、これ見よがしに、そういう言い方をするな。私は野宿もしたことがある身だ、雨風が防げるだけ充分。壁に背中を付けて、布団でも被って適当に寝るさ」
「とても男らしい発言で感心するけど、それをするのは本当の男がするものだよ。ちょっと狭いけど、僕と一緒に寝る?」
布団を開けて、ぽんぽんとシーツを叩く。私はキースを鋭い目で睨みつけた。
「絶対に嫌だ」
「つれないな。とって食うわけじゃないんだから……」
「貴様だけは、絶対に嫌だ」
「じゃあラッセルならいいの?」
ラッセルと視線が合うと、彼は目を軽く見開かれた。だがすぐさま怪訝な顔をされる。
「オレはごめんだね。胸が小さくて、抱き枕にすらならない女なん――」
話の途中で、荷物を投げつけた。ラッセルは軽々と受け止める。表情を変えずに淡々と荷物をおろした。
「オレは床で寝る。キースは椅子でも使って適当に寝ていろ。それでルシアとリオがベッドで寝ればいい」
「まあそれが妥当だよね。さて準備ができたら、夕飯食べに行くよ」
そうキースが言うと、男三人は何事もなかったかのように、荷物を詰め直し始めた。
帽子に手を添えて、口を尖らす。
勝手に心の中でざわついていた自分が馬鹿みたい。
所詮、女は女性らしい特徴の一つである胸。隠すほどの胸がない女なんか、女じゃないんだろう。
夕飯は宿の人に紹介してもらった定食屋に入った。量を重視している店だったが、味もそれなりに美味しかった。海が近いため、肉よりも海の幸の方が多い。
私は魚をトマトベースで味付けしたものを、黙々と食していった。
ふとラッセルが水だけで済ましているのが気になった。食事はもちろん大盛りで、パンはかごから溢れている。
「酒、飲まないのか?」
「毎回飲むか。金かかるだろう」
「……といいつつ、夜に備えてお腹空けているんだろう?」
キースがラッセルの肩を持って、顔を近づける。黒髪の少年の眉間にしわが寄っていた。
「夜って?」
「ご飯食べ終わったら、僕たち二人で少し夜の町を探索しようと思う」
「僕も行きたい!」
リオが目を輝かせて言うが、キースは彼の鼻を人差し指でぎゅっと押した。
「大人じゃないと行けない場所に行くんだ。君はルシアさんと留守番」
「えー!」
「えーじゃないの。旅で疲れているだろう? 今日は早く寝なさい。あとできちんと報告するから」
「でも……」
「何かあったら誰がルシアさんを護るんだ?」
小さな声でそう言うと、リオはうっと声が詰まった。私は横目でラッセルを見る。
「当たり前だが、私も行ってはならない場所に行くんだよな」
「そういう展開もあるな。まあどうせ行っても、酒場くらいだろう。お前は酒が弱いから、却下ってところで」
「……すまない」
「謝られる覚えはない。オレたちが好きで行くんだから、気にすんな」
ラッセルは小さなパンを取ると、自分の口の中に投げ入れた。
彼らを見ていると、自分がいかに枷付きの人間だと思う。
かつて共に行動していた叔父はどう思っていたのだろうか。もしかしたら私がいなければ、叔父が死ぬことはなかったかもしれない。
宿屋に戻る途中、酒臭い集団とすれ違った。リオが鼻を抑えて、眉間にしわを寄せている。
「酒の匂いって苦手なんだよね……」
「お前の歳から好きだったら、それはそれで問題だぜ」
「ラッセル、お酒って美味しいの?」
「一般的には美味いから飲んでいるんだろう。オレにはあまり感じないことだから、その点はよくわからない」
そう言った彼の表情は少し寂しそうだった。
喧噪が騒がしい通りを抜け、小さな通りに出て、借りた部屋がある宿の中に入った。
宿の廊下を歩いていると、ちょうど途中の部屋から人が出てくるところだった。狭い宿だったため、一度四人は立ち止まる。
中から出てきたのは、ひょろりとした体格の灰色の髪の男性だった。縁の付いた眼鏡をかけている、いかにも学者という風情だ。
「あ、すみません……」
彼は部屋から出るのではなく、ドアを引っ込めた。随分と遠慮がちな男である。キースはお礼を言ってから、ドアの前を通っていく。私も軽く会釈をしてから、通り過ぎていった。
本当にどの宿でも人で溢れている。
毎年行われている水竜を祀る日と同時期に訪れた私たち。考えもなしに来てしまったのは、いささか失敗だったかもしれない。
部屋の中に入り、ラッセルとキースに鍵を渡すと、彼らの背中を見送りながらドアを閉めた。
リオがベッドに横になると、ほどなくして寝息をたてはじめる。風邪を引かないよう、毛布を被らせてあげた。
まだまだあどけなさが残る年齢。慣れない道中に緊張しっぱなしだったのだろう。
私も帽子と上着を脱ぎ、バレッタを外して髪を下ろして、身軽になったところでベッドの上に横になった。
二人はどこに行ったのだろうか。もう戻ってこないということはないだろうか。
不安を抱いていたが、睡魔に襲われる方が先立った。毛布の中に入り込み、目を閉じる。
一人旅をしている時よりも、自然と力を抜くことができていた。誰かと寝食を共にするのは、悪いことではないようだ。




