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饒舌

1年生になったら

作者: 八束天音

 一年生。

 である。

 念願の。

 あるいは、怖れていた。

 なんにしても、初めてというものは存在するし、それが中学生という事にもなれば、今の日本において、それを経験しないということは稀有な例であるらしいが、とにかく、私という個人の歴史の中で言わせてもらえば、それは誰がなんと言おうと「初体験」。記念すべき「始めての中学生生活」ということになる。

 特に将来に展望も無い小学生だった私は、本当なら公立中学に入学するはずだった。けれども、家族の(特にそこが母校だという祖父の)強硬なと言ってもいい薦めに応じて、それらしい塾に入り、それなりに頑張って勉強した。そんなわけで私は人生初の中学受験などというものを経験した上で、何とかかんとか合格し、そしてその中学の制服の袖に腕を通して、そして今はその中学校の門の前に来ている。

 人の気配はない。

 カレンダーを確認するまでもなく、今日は日曜日。神様さえも休憩した7日目、である。

 勿論学校は絶賛休日真っ最中だ。

 なんで休日(こんなひ)制服(こんな)姿(かっこう)校門前(こんなところ)にいるかというと、その理由は至極私的で単純なものである。

 これから私の六年間(中高一貫校なので)という長い年月を過ごすことになる学校、その校舎を、とにかくじっくり見ておきたかったのだ。

 家に届いた制服を、まずは早速着てみて、そして鏡に映った、「中学生の私」を見たときに、そういう衝動がむくむくとわきあがったので。

 そしてその衝動を抑える理由も特になかった。


 うららかな春の日。桜の並木が校門から校舎に向かって伸びている。

 私は校門の門扉に手を伸ばす。がちゃん、と重苦しい金物音が響いた。

 ぐ、と握りこみ。せぇの、と小さく掛け声をかけて。

 じゃんぷ。


 今日びの学校施設としては、この門扉の低さと乗り越えやすさは、ひとつ問題にすべきものがあると思う。越えた私が言うのもなんですが。


 校舎のそばを、そおっと歩く。校舎の形は基本的に単なる長方形であり、H型だのT字型だの複雑な構造をしていないお陰で警戒すべきは校舎の窓から自分の姿が見えないようにすることだけだ。

 もし見つかったときは、とりあえず制服姿ということで、在校生であることは証明できるのだから、不審者扱いされるよりはましな扱いを受けられるだろうということも心の片隅で大いに期待したいところである。


 初めて歩く中学校の敷地は、どうしてだろう、何もかもが、すこしずつ、言ってみれば「ひとまわりぶん」大きいものに感じた。

 遊具のほとんどない広い校庭(鉄棒はあるが、なんだかものすごく高い)、大きな体育館。体育館の裏手には、なんと自販機まであった。学校の敷地内に自動販売機があることに軽く感動し、品揃えの悪さに関してはこの際目をつぶってやろう、と無意味に上から目線で考えてみたりする。


 校舎に並ぶ窓、そのほとんどが暗い。部屋の電気がついていないからであり、つまりその教室には誰もいないということである。

 どきどきしながらそんな窓の一つを選んで覗き込む。

 机。机。机。机。

 何にも飾っていないし、何にも置いていない、それは新しい教室だった。

 それは紛れもなく、新しい教室だった。電灯の明かりに照らされていないため、薄暗い色に沈んでいるけれど、私には何だかピカピカして見えた。

 もしかしたら、私はこの教室になるかもしれない。そんな可能性を考えながら、さらによく覗き込む。

どの机になるだろう。

 後ろの方なら、教室が良く見えるし、前なら黒板が良く見える。窓際なら外の景色が見えて楽しそうだ。 廊下側はつまらないから遠慮したいところだけれど、そこは学校が決めることだからなんともいえないか。


 じっくり見ていて気が付いた。

 この教室の、あそこの窓には鍵がかかっていない。

 校門を乗り越えてからこっち、すっかり大胆になった私は、もはや迷いさえしなかった。


 もちろん靴は脱いだ。靴は両手で持って、靴下でリノリウムの廊下を歩く。靴下のお陰で、足音はほとんどしない。

 広い。

 そして大きい。

 私は教室の名前を順に見上げながら歩を進める。

 1‐B、1‐C、1‐D、女子便所、男子便所、階段、図書準備室、図書室。

 廊下の一番奥の教室は、図書室だった。

 何の気なしにドアに手を伸ばして、そして、深く考えずにそのドアを開けた。

 開いた。

 無用心すぎる、この学校。


 図書室の中は、当たり前だけど、本で一杯だった。

 古い紙のにおいが充満している。

 かび臭いといってもいいかもしれない。

 電気がついていない暗い教室。その中でも天井まで届く背の高い本棚が窓からの光さえも遮っていて、他の教室よりもさらに薄暗い雰囲気をかもし出していた。


 その暗さに、私はしばし躊躇した。


 その時。階段の方から足音が。リノリウムの床を踏む、スリッパのぺたぺたという足音が。


「入って」

 耳元で突然ささき声が聞こえた。


 人間驚きすぎると声も出ないものである。

 頭が真っ白になってしまって、声に導かれるように、つい一歩を踏み出し、私は図書室の中に入っていた。

「ドア閉めて」

 とっさに振り返りかけて、さらにささやき声が聞こえた。

「ドア閉めてってば」


 再度の声に、私は声の主を確かめるより先に、従っていた。

 からり、と図書室のドアを閉め、

 そしてようやく振り返った。


 声の主は女子中学生だった。女の子で、制服を着ており、そしてリボンの色は青だった。

 私と違う色のリボン。つまりは先輩である。

 先輩は、「しー」と口元に指を添えて、沈黙せよという身振り(ジョエスチャー)をしていた。

 外の足音が、近づき、立ち止まり・・・そして遠ざかった。

 先輩はその足音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、「ふぅ」と息をついた。

「危なかったね、キミ」

 先輩がいたずらを見つけた大人のようなにやにや笑いを浮かべるので、私は、いたずらがみつかった子供のような顔になる。とりあえず、「ごめんなさい」という謝罪の言葉が口をついて出た。私をじっと見ながら先輩はニヤニヤ笑いをいっそう深めて、「いや怒っているわけじゃないんだけど」と前置きして、

「学校探検、大いに結構だがね。もう少し、隠密行動というものを意識してもらえると、こちらとしても安心だ」

 と少しばかり大仰な肩をすくめる動作と共に言った。

 私が思わず目をぱちくりとさせるのを見て、先輩は、説明する。

「その表情は、なんでそんな事を知っているのだって顔と解釈しても構わないかな?まあ理屈は簡単さ。まず休日にわざわざ学校に来るような理由なんてものは、そんなにない。第一に多いのは忘れ物を取りに来る事だけれど。キミのリボンの色とついでに顔を見る限り、新入生だろうね。ということはまだ学校に来てもいない新入生が学校に忘れ物を置いておける道理は余りないな。というわけで、忘れ物を取りに来たわけではない。

 あとは逆に何かを学校に置きに来ている、という事を考えられるけれど、これも新入生がわざわざ図書室まで足を運ぶ理由にはならない。図書カードは入学式の日に作るものだからね。図書室にはまだ縁がないはずさ。そんな訳で、何らかの必須な用事があるわけではないってことになる。で、まあ、主目的が教室見学にしろ、部室見学にしろ、それ以外の何らかの目的にしろ、こんなところをうろうろしているからには、包括的に言って『学校探検』って分類で構わないかと思ってね」

 長々とした説明に、私は「つまりは勘だってことだよね」と心の中で突っ込みを入れつつ、しかし気軽に突っ込んでいいのか分からず、黙っているしかない。先輩だし、下手な事を言って機嫌を損ねて、目を付けられたりしたら困る。

 そんな事を考えている私に、先輩はさらに言ってくる。

「探検したいなら勿論止めないけど、帰りは気をつけなよ。今の先生の見回りで、教室も窓も鍵閉められたし。同じルートは使えないからね。あぁ、本を読みたいなら自由に読んでもらって構わないよ。貸出はカードがないと出来ないけど、帯出しないならいくら読んでもいい。図書室には見回りも来ないから、ゆっくり読んでもらっても大丈夫だ」

 小学校の図書室の常連だった私には、その申し出は実に魅力的だったけれど、しかし今日は親に何も告げずに出てきてしまったので、早めに帰宅しないと少々まずい、気がする。ゆっくり読むのは入学してからにします、と丁寧に辞退した。

「そうか、そりゃ仕方ないな。ならば帰りはそこから帰るといいよ。そこの窓、ちょうど裏門に近い場所にあるからね。気をつければ誰にも見つからずに帰れると思う」

 と本棚の後ろの窓を指し示してくれた。ありがたく使わせてもらうことにした。礼を言って窓を乗り越える私に、先輩はにやにや笑いながら手を振った。

「入学後も図書室を利用してもらえると嬉しい。気が向いたらぜひ利用してくれ」



 制靴で帰路の道を踏みながら、私は思った。

 中学校ってのはやっぱりすごい。

 大きいし広いし、なにより――本物の幽霊がいる。

 青いリボンの先輩の、その姿が透けていたことを思い出しながら、私はそう思った。


ちょっと違う雰囲気のお話を一つ。

読んでいただき、ありがとうございました。

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[良い点] オチに驚き。伏線探しに読み直してみる。
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