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対面


「たっだいまー!」

「おかえりなさい」


葵さんが、まる我が家に帰った時のような元気さで少し狭い会議室に入ると、そこにはやはり彼女の姉がいた。椿さんは音楽を聴いていたのか、耳にイヤホンをしていた。


「……誰かいるようだけど、入部希望者を連れてきたのかしら」


僕の存在に気付いたらしい椿さんは、イヤホンを外しながら葵さんに質問した。


「まぁ、似たようなもんよ」

「違います」


僕は食い気味に否定した。第一まだここが何の部活か聞いてないし。


「えー」


葵さんは不満気な態度を取りつつ、椿さんの隣に座った。僕もそれに倣って、渡良瀬姉妹の対面にある席に着いた。


「えーって言われても、まだここがどんな部活か聞いてないんだけど……」

「あ、そういえばまだ言ってなかったね」


どうやら本当に言うのを忘れていた、と言うような表情をした。いまさらだけど葵さんは感情が表に出やすいタイプなようだな。


「ここは、なんと! 文学部なのです!」


ジャーン、と盛大な物言いで場を盛り上げようとする葵さんは勢いのある口調で部活紹介を始めた。だが、僕は「文学部」という単語を聞いて帰りたくなった。

僕は本はあまり読まないタイプだ。読むのは教科書と参考書程度で、小説とかエッセイの類は読む気が起きない。

この会議室に入るのは、きっと今日が最後だろうな、と思っていた。


「で、葵。肝心の忘れ物はなんだったの?」


椿さんは、葵さんがまだ長々と「文学部の長きに渡る歴史と華々しい部活動の概要」について語っている最中に割り込んでそう聞いた。

確かに葵さんは忘れ物があって教室に戻った、というのを聞いた気がする。

けど、教室に出たところで僕と会い、高校教員室に案内してくれたから……。


「あっ」


葵さんは気まずそうな顔をした。やっぱり忘れてたのか。半分は僕のせいでもあるので、なんだか申し訳なかった。


「ごめん! 忘れ物取りに行くのを忘れてた! もう一回行ってくる!」


彼女は早口でそう言うと、ダッシュで会議から出た。忙しい子だなぁ……。




こうして僕は、渡良瀬椿さんというクラスメイトにして視覚障害者にして美人の女性と会議室で二人きりという状況に置かれてしまった。


椿さんは再びイヤホンを耳にはめて、携帯音楽再生機のスイッチを入れた。

……うん、どうしよう。まさか逃げるわけにもいかないし。とりあえず場を繋ごうと、話題を頭から絞り出そうとした。


「……なにを聴いてるの?」


結局当たり障りのない(と思われる)話題を振ってみることにした。


イヤホンをしている彼女に質問が聞こえるかどうか不安だったが、彼女はイヤホンの片方を耳から外して、僕の目の前に置いた。


え? これつけるの? 今日初めて会った美人の女子が今までつけていたイヤホンを男の僕がつけるの?

街中でたまに見るバカップルみたいに。


だが、彼女はそういうことに無頓着なのか、はたまた僕みたいな男には興味ないのか、「それを耳にはめれば答えはわかる」という視線を(見えてないけど)僕に投げつけた。

仕方ない。

いつまでもおろおろしてるわけにもいかないし。イヤホンの紐は少長かったものの、二人が片方ずつはめるとなると少し物足りなかった。

仕方なく僕は机に身を乗り出す格好となり、彼女との物理的な距離が縮まった。

僕は少しドキドキしながら差し出されたイヤホンの片方を左耳につけると、そこから流れる音を聴いた。こんな音だ。


「汚れちまった悲しみに、今日も小雪が降りかかる。汚れちまった悲しみに、今日も風さえ吹きすぎる」


音楽ではなかった。かなり声の良い男性が、中原中也の詩を読んでいる。

予想外な音が入ってきた僕が混乱していると、椿さんが説明を始めた。


「私、本を聴くのが好きだから」


音訳と言うのだと、彼女は教えてくれた。全盲である彼女が本を読むには、他人が読んで聞かせるのが一番手っ取り早い。

全盲の人のために本や詩をわざわざ録音し提供することがあるのだそうだ。


「そこまでして本読みたいの?」

「どうして目が見えるのに本読まないの?」


僕の疑問に対し彼女は食い気味で質問を投げ返した。


「眠くなるんだよ」


実際その通りなのだ。小説なんかは教科書にしか見えない。マンガが良くて小説がダメなのは教科書の無味乾燥さを思い出してしまうからだと思う。僕はそのことを彼女に伝えたが、


「私は教科書を読んだことないからわからないわね」


そりゃそうだ。


彼女は僕との会話が飽きたと言わんばかりに、まだ僕の耳にかけていたイヤホンを思い切り引っ張った。

イヤホンは彼女の耳に再び戻り、携帯音楽再生機を操作し始めた。

どうやら椿さんは妹の葵さんに比べて無口で辛口なようだ。たまに発せられる言葉と行動が僕の心に突き刺さる。精神力が豆腐並みの固さじゃなかったら窓から身を投げていたかもしれない。



気まずい空気が再び第三会議室を流れた頃、ドアが開かれた。


「たっだいまー!」


葵さんは、僕と一緒にこの会議室に来たときと同じようなテンションで帰ってきた。


「おかえり葵。で、今度こそ忘れ物は見つかったの?」

「ばっちり!」


葵さんはそう言うと、手に持っていたものを高らかに掲げた。スマートホンだ。


「盗まれてなくてよかったよー」

「今度からは気をつけなさいよ」


葵さんは「はーい」とやや間延びした声でそう返事すると、僕に向き直った。


「赤川くんも早く見つかるといいねー」


一瞬何のことだろうと考えたがすぐに思い出した。そう言えば財布をなくしてたんだった。

事情を知らない椿さんが首を傾げたので、僕は説明した。

そう言えば僕がここに来た理由を説明してなかったな……。そう思ったら僕は起きたことを全部話してしまっていた。要点だけ話すのはどうも苦手だ。


椿さんは僕のわかりづらい説明を聞いて頷いてくれたので、どうやら理解してくれたようだ。


「なるほど、だいたいわかったわ」

「うん、そういう訳で僕はそろそろ職員室に……」


そろそろ良い頃合いだろう。職員室に行って「頑張って探したけど見つかりませんでした」と言えば帰りの運賃くらいはくれる。

定期券をなくからためしばらくは切符通学になる。ちょっと痛い出費だが、財布をなくした罰と思うしかないだろう。

と僕がそこまで考えた時、椿さんは予想外のことを言った。


「財布がどこにあるかわかったわ」






「「えっ?」」


僕と葵さんは情けない声をハモらせた。


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