視線
視覚障害。
世に数多あるだろう障害の中ではポピュラーな部類だろう。でも、僕は街で見かけたことがあるというだけで、世の中にはそういう人間もいる、という認識しかない。
そしてそれは、この教室にいるすべての人間にも当てはまると思う。
白い杖――いわゆる「白杖」をついている彼女は、おそらくこの教室内にいる人間の顔を識別できてはいないだろう。教室に入ってきたとき、彼女らが手をつないでいたのもこれが理由だろう。葵さんの介助がないと満足に自分の席に着くことができないのだ。
「私は全盲で、何も見ることはできません。本当は専門の学校に通うのが一番だというのはわかっていました。でも、葵と、妹と一緒に同じ学校に通いたかったし、私も普通の学校に行ってみたいと思っていたんです。ですから、親にも、学校にも無理をさせてしました。えっと、なので、一年間、よろしくお願いします」
緊張していたのだろう。声が少し震えており、最後の方は弱弱しくなっていた。
さすがに宮原先生はこのことを知っていたのだろう。彼女はそういう事情があるのでみなさん仲良くしてくださいね、と気を使っていた。
教室内は妹の葵さんの自己紹介と同じくらいの拍手に包まれた。だが、葵さんの自己紹介の時と決定的に違うものがあった。
生徒の目だ。
視覚障害という特殊な、もしくは(言葉は悪いが)異常な人物に対して好奇な目で見る者。
障害の多いであろう普通の学校を選んだ彼女の勇敢な行動を素直に感心する者。
そしてたぶん一番多いのは、視覚障害者という未知なる存在を前にして、どう接するべきか悩む者だろう。僕もその一人だった。
自己紹介終了後は、学級委員長だの風紀委員だの生徒議会議員だのよくわからない役職、もとい生贄に誰がなるかの儀式が行われた以外は、特筆すべきこともなくその日の学校は終わった。
そして恒例のメールアドレスだの電話番号だの、通話アプリのIDだのの交換の時間が到来した。僕も隣近所の生徒と交換してみたものの、たぶん使うことは殆どないだろう。
何せ僕はまだ古い型のガラクタケータイ、もといガラケーだ。
スマートホンの人たちは専用のSNSで交流するのだろうけど、僕の古い型の携帯ではそれに参加することはできない。入学式早々にぼっちへの道へ進もうとしていると考えると、今後の高校三年間がどうなるか不安になってきた。
だがそんな僕よりさらに不安を感じている生徒がいるだろう。例の渡良瀬姉妹だ。
渡良瀬姉妹のまわりには妙に人だかりができている。だが、姉妹のよく通る声はこちらに聞こえてこない。どうやらみんな、姉妹に――特に視覚障害者の椿さんに、どう話しかけていいか迷っているのだろう。視覚障害者で、かつ美人とくれば話しかける側の勇気は相当だろう。
並大抵の女子なんかは嫉妬もしてしまうのではないだろうか。
一方妹の葵さんも、どう対応して良いかわからない、といった表情をしている。クラスメイト達が姉に好意的な目をしているのか、それとも珍獣でも見るような目で見ているのかを見極めているようにも見えた。双方が迷っているうちに、諦めたのか人だかりがどんどん小さくなっていった。最後まで残ったのは、渡良瀬姉妹の容姿の良さに惹かれて騒いでいる男子の小集団くらいだった。だけど結局彼らも、カラオケに行くという名目でその場から離れた。
そして教室に残されたのは、僕と渡良瀬姉妹だけになった。
ずっと姉妹の事を見ていた事実がばれないように、僕は視線を落とした。帰ろう。
僕にだってあの姉妹にどう話しかければいいかわからないし。なにより、この微妙な空気が充満している教室から一刻も早く逃げ出したかった。
僕は椅子の下に置いておいた鞄を持ち上げると、そそくさと教室から出ようとした。だけど、扉に手をかけた時にふと、彼女が気になって振り返ってみた。
その時、僕は渡良瀬椿と目が合った。無論彼女は、目が見えない。偶然だろう。
僕は一層恥ずかしくなってすぐにその場から逃げた。