彼女
ポニーテールの子(長いので『ポニ子』と呼ぶことにしよう)は窓側の空いた席に令嬢を誘導すると、
「お姉ちゃんの席はココみたいだよ!」
と、ポニ子は溌剌とした声でそう言った。
なるほど、あの二人は姉妹なのか。なら手をつないでいたことも何ら不思議ではないだろう。仲のいい姉妹のようだし、それに姉の令嬢が「白い杖を持っている人」である以上、手をつなぐのはむしろ義務のようなものだろう。
「ありがとう、葵」
令嬢がそうポニ子、つまり妹の葵さんに呟いた。決して大きくはいが、とても澄んでいてよく通る声は、教室の反対側に座っていた僕の席にまで届いた。葵さんは後ろから二番目、姉の令嬢は一番後ろの席に座った。
この時、この教室にいる誰もが彼女ら姉妹を注視していた。いや、もっと正確に言うのなら、令嬢のサングラスと白い杖を見ていた。そして誰もが思考し、結論を出しただろう。
令嬢の彼女が、どういう人物なのか、と。
姉妹が教室に入ってから十分程で、担任の先生が来た。宮原と言う名の英語教師で、幸薄そうな、そして髪の毛も薄そうな壮年の男性教諭だった。宮原先生は「これから入学式なので準備をしてください」「初日なので出席番号の一、二番の人が日直で、この二人が鍵を管理すること」などの大雑把な説明をした。
だけど、残念ながら僕はそれどころではなかった。あの姉妹のことで頭がいっぱいで、入学式の手順なんてどうでもよかった。ボーっとしていたから鍵のことも後ろの人に投げちゃったし。ごめんなさい。
結局ずっとそんな調子で式に参加したため、入学式はいつのまにか式が終わってしまったということ、教室に戻る途中で便意を催した事実だけは覚えている。
教室に戻った僕は、担任の先生に小言を言われてしまった。曰く「お前のトイレが長くてホームルームが遅れただろ」とかなんとか。
そんな強い口調ではなかった、むしろ冗談っぽく言ってたので、そんなに気にしてはいないようだ。
そして僕らは待ちに待った自己紹介をすることになった。別に赤川大地という人間を猛烈にクラスにアピールしたかったわけじゃない。あの姉妹がどんな人物か興味があったのだ。だが当然のことながら自己紹介は出席番号順だ。自然とあの姉妹は最後になり、僕はトップバッターだ。畜生め。なんでこんな出席番号が早くなるような名字の人と結婚したんですか奥さん。
「えーと、赤川です。その、よろしく」
我ながらもっと何か話すことあるだろ、と感じる自己紹介だった。案の定宮原先生からクレームを貰った僕は、苦心して絞り出したのがこれだ。
「えっと、この高校に入学した理由は『もっと偏差値の高い高校に行くつもりだったけど全部落ちたから滑り止めとして受けたここしか入学できなかったから』です。我ながらバカなんですね、ハハハ」
本当にバカだと思う。気のせいか、教室の気温がどんどん下がっていくのを肌で感じた。例の姉妹の方を見ると、葵さんは大きく欠伸をし、姉の方はそのサングラスに阻まれてよく表情が読み取れなかったものの、明らかに好意的な顔はしていなかった。冗談を言うのはどうやらやめておいたほうがよさそうだ。
事実しか言ってないけど。
担任は苦笑いするだけで苦情は来なかった。僕は少し消沈しながら席に着き、バトンを後ろの席に座っていた岩木さんに渡した。
二十分かそこらが経過したあたりで、そのバトンは葵さんの手に回った。
「はじめましての人ははじめまして! 豊川中学からの内部進学の渡良瀬葵です! 後ろに座っている人の妹です! あ、双子じゃないですよ? 私たちあんまり似てないし。あ、紛らわしいので私の事は気軽に『葵』って呼んでくださいね! 中学の時はバレー部に入っていました! 下手っぴでしたけどね!」
葵さんは本当に楽しそうに自己紹介をした。今までの人を眠くさせるような自己紹介を二十分も聞かされていた僕らは、彼女の元気な声のおかげで覚醒できた。
「……というわけで、これから一年間……いや、三年間よろしくお願いします!」
彼女の自己紹介が終わると同時に、教室中は拍手の音で包まれた。今までは数人が数回手を叩くだけというやる気のない拍手のようなものだったのが嘘のようだ。初っ端から冗談のようなことを言って盛大に滑った誰かさんには見習ってほしいものだ。ごめんなさい。
そして、教室中の生徒全員が待ち望んでいただろう人物の自己紹介が始まろうとした。
ゆっくりと立ち上がった彼女の容姿を改めてよく見ると、とてもスタイルが良いと思った。髪は長くよく手入れされているのが遠くから見てもわかる。サングラスをかけた姿も相まって、とても大人びた印象を誰もが持っただろう。
「今自己紹介をした渡良瀬葵の姉の、椿です」
席に着いたときの妹とのやり取りより少し声が大きくなったものの、彼女の話す声はやはり大きいとは言えないものだ。けど、お淑やかな口調で話された声はとても美しくて、僕の耳にもよく通る。
そして彼女、椿さんは言った。
「それで、気づいている方もいらっしゃるでしょうけど、私は視覚障害……全盲です」