宛名
一応、赦された。
財布の件は、どうやら双方にとって忘れたい黒歴史となったようだ。よかった。
顔を上げると、彼女の顔はスッキリしていた。肩の荷が下りたような顔だ。うん、やっぱり彼女かわいいな。人生初の土下座をした甲斐がある。
僕は椅子に座り直し、深呼吸をして息を整えた。すごい緊張したわ……。そんな時、岩木さんが話しかけてきた。
「それで、あの、赤川くん、手紙が……どうしたの?」
「え?」
「ほら、あの、教室で……」
「あぁ……それか」
岩木さんに気絶する前の話か。
「いや、なんでもないよ。忘れて」
岩木さんに話すきっかけを作ろうとしただけだ。気絶すると分かってたら別の話すればよかった。別の話が思いつかないけど。
「そ、そっか……」
微妙な空気が流れる。うん、どうしよう。距離感がつかめない。
そんな微妙な空気をぶち壊したのは椿さんだ。
「手紙とはなんです? 私たちその話聞いてませんが」
しまった。面倒なことになりそうだ。
「え、えーっと、それはですね。そのー」
どう言い訳するべきか悩んだ。僕は当事者じゃないし、ラブレターなんて言いづらいことこの上ない。どうしようかと悩み、ふと岩木さんの方を見た。
すると岩木さんは意外なことに、手紙を上着のポケットから出した。ていうか持ち歩いてたのか。
「これのことです……」
彼女はそう言いつつ椿さんに渡そうとして、やめた。椿さんは目が見えないから、渡しても無駄だ。
「葵、読んでみて」
「え? うん、いいよー」
あー、読んじゃうんだ、アレ。ちょっと痛々しくて聞いてられないな……。耳塞いでおこうかしら。
「……」
短い文章だ。葵さんはすぐに読み終えた。そして形容しがたい、何とも言えないような顔をしていた。わかるよその気持ち。にしても、こんな手紙朗読されるなんて書いた人が可哀そうだ。
岩木さんも難しい顔をしていた。眉に皺が寄ってる。
そして椿さんは、何か考えてるようだ。手紙の真意を探ろうとしてる? まさかこれがラブレターだと気づいてないわけではないよね?
「なるほど。わかりました」
椿さんは納得したような表情をしていた。ラブレターだと気づいたのかな?
「まぁこんな文章に深い意味なんてないと思うけどね……」
僕は思わずそう呟くと、椿さんは意外な反応をした。
「そうですか? なかなか考えられてると思いますよ?」
「えっ? こんなのが?」
「そうよ。それと、わかったことがあるわ」
「わかったこと?」
椿さんは少し溜めてから言った。
「この恋文は、岩木さんに宛てられた物ではないわ」
「どういう事?」
保健室は先ほどまでの謝罪会見の雰囲気を完全に消し去り、取調室のような空気を醸し出してきた。
「お姉ちゃん! 解説!」
「はいはい、まぁ慌てないで」
葵さんは一刻も早く真相が知りたい、という顔をしている。
岩木さんは、キョトンとした顔、僕もたぶん似たような表情だろうな。
「こほん。それで、岩木さんじゃないならだれ宛ての物なの?」
葵さんが再び問いただした。
「たぶん、竹石さんね」
「「「えっ?」」」
三人の声がハモった。
え? 竹石さん? って、例の情報部部長さん?
「椿さんは部長と面識があるんですか?」
「ありませんよ。あと岩木さん、そうかしこまらなくてもいいんですよ。普通にしてください」
「え、あ、はい……じゃあ椿さんも普通に……」
「ありがとう、でもごめんなさい。私はこの口調が一番落ち着くのよ」
「あ、そう、なんだ……。それで、えっと、あの、会ったことないのに、部長宛ての手紙ってわかるの?」
「わかりますよ。ヒントがたくさんありますから」
そんなにあるの? こんな短い文章に?
「順番に見ていきましょう。まずは『窓辺の姫君へ』の所です。まぁ、これはそのままの意味ですよ。窓の近くに座っている女性へ、という意味です。まずこの言葉だけで、岩木さんへ宛てた言葉ではないことが分かるわね?」
「なんで?」
「……あなた、岩木さんの席がどこにあるかも忘れたの? 土下座するときに頭でも打ったの?」
「ごめんなさい思い出しました僕と同じ廊下側です」
なるほどね。廊下側の席には窓はないし、窓辺の姫君は成立しない。よって岩木さんじゃない、と。
「竹石先輩って今窓側の席なの? 始業したばかりだから、高二の人たちもまだ出席番号順でしょ? 『タ』行だと真ん中の席になると思うんだけど……」
「それについても問題ないわ。文学部でも葵が言ってたじゃないの。『窓側の席で、友達と優雅に会話してた』って」
「お姉ちゃん……よくそんなの覚えてるね……。って、あれ? としたら窓辺の姫君は去年の話ってこと?」
「そういうことね。一目見た時、っていうのは別につい最近の話、って明言してるわけじゃないし」
「でもこれだけじゃ竹石さんとは分からないよね。窓辺の女子生徒なんてどんだけいることやら。第一、岩木さんも中学時代に窓辺の姫君だったことあるんじゃないの?」
「あ、はい、あると思いますけど……」
岩木さんは僕の意見に同意した。これだけじゃ竹石さんが恋文の相手になるとは確定しない。
「赤川くんにしては鋭いわね?」
「『にしては』は余計だよ。で、結局この推理はハズレなの?」
「いえ、まだ途中です。言ったでしょう。ヒントがたくさんある、と」
彼女は自信満々の表情のまま、自分の推理を続ける。
「一番のヒントは『常夏に咲くダイアンサスの華のよう』という文言」
「あぁ、その痛い言葉か……」
葵さんがさりげなくひどいことを言う。僕もそう思うけど。
「そうですか? 私はそれなりに文学的だと思いますよ?」
「え? お姉ちゃんこんなの好きなの?」
「いえ、本だったら落第点でしょうけど、素人が考えたと思えばなかなかです」
椿さんもサラッとひどい。
え、でもこれどこが文学的なの?
「推理の前に、あなたたちは『ダイアサンス』が何かわかる?」
「花?」
「もっと具体的に」
「え、えーっと」
そう言われても花は詳しくないからなぁ……。
数秒後、岩木さんが椿さんの問いに答えた。どうやらスマホで検索したらしい。
「えっと……『ダイアサンス』はナデシコの花の別名みたい」
「はい、正解。カンニングだけどね」
ふふ、と椿さんが笑った。岩木さんもそれに応えたのか、少し微笑んだ。うーん、意外といいコンビかもしれないこの二人。
「で、ナデシコが何の関係があるの? 竹石先輩とは関係なさそうだけど」
「そうね、そのままだったらね」
「そのまま……?」
「一口にナデシコと言ってもいろんな種類があるわ。例えば、ヤマトナデシコ、ノハラナデシコ、カーネーション、そしてセキチク」
へぇ、カーネーションってナデシコだったんだ……って、アレ? セキチク?
「セキチクは、漢字で『石』の『竹』と書くわ」
「そのままズバリだね……」
「でも、ダイアサンスがセキチク、つまり部長に繋がるんでしょうか。ナデシコは種類がたくさんある。ヤマトナデシコの事を指して『ヤマトさん』っていう人に告白しようとしたという可能性はないの?」
「その可能性を打ち消すのが、『常夏』の部分よ」
「常夏……? え、とネットだとナデシコの別名って書いてあるね。夏に咲く花だからって……」
「そうね、でも今回の場合はその常夏じゃないわ。品種名としての『トコナツ』の方よ」
「品種名?」
「そう。ナデシコの花はいっぱいある。そして観賞用として楽しまれる花。だから品種改良は昔からされて来たわ。その中に、セキチクを改良した『トコナツ』と呼ばれる品種があるそうよ?」
「へぇ……」
本当にこの人の知識量どこから来るんだろうね。ネットで調べて今ようやく知った情報をこんなに流暢に出てくるなんて。やっぱり椿さん天才だなぁ……。
「つまり、常夏に咲くダイアサンス=セキチク=竹石先輩ってことね。はぁーよく考えたもんねこれ。その情熱があるなら直接言えばいいのに」
「直接言うためにラブレターで待ち合わせ場所書いたんじゃん……」
「にしても第一資料室って……なんで? 屋上じゃだめなの?」
「屋上はだいたい鍵が掛かってますからダメかと……」
「だとしても第一資料室はないだろ……。これ書いた人変わってるなぁ、どんな人か気になるね。いっそ今から第一資料室に乗り込んで正体確かめる?」
「今言ったとしても手遅れじゃない? もう放課後と言える時間じゃないし、運動部以外は帰る時間だよ」
おっと、もうそんな時間か。はやいな。
「それに、私が間違えて受け取ってしまったの、ばれてるかもしれない。私が手に入れた時点で来ないかも……」
「あ、そっか……、竹石さん本人がちゃんと受け取ってるか観察してた可能性もあるか」
ならあの時もっと周囲を観察しておくべきだったな。残念。
「どんな人か、ある程度ならわかりますよ」
「えっ、本当?」
「ある程度は、ですよ。さすがに個人特定はできません」
「いいから、聞かせて!」
もうみんな興味津々だ。前のめりになってる。そして椿さんは嫌な顔はしてない。むしろ「よく聞いてくれました!」みたいな顔してる。推理が好きなのだろうか。
「まず頭語の『謹啓』がヒントですね」
「謹啓? って確か拝啓とか前略みたいな奴だよね」
「そうよ。拝啓よりももっと丁寧な言い方。つまり、目上の人に対する言葉ね」
目上の人に「窓辺の姫君」って書く勇気どこから来るんだろうね。
「つまり差出人は高一以下の人間?」
「そうね、そして多分同じ情報部の人間ね。普通ならこんな堅苦しい言葉使わないし、使ったとしても『拝啓』で済ますわ。これは憧れの先輩で直属の上司に対する言葉、というニュアンスね」
そういうもんか。
「情報部に中学生はいないよ。入部資格は高校生以上だから」
「そうなの?」
「う、うん。パソコンの授業始めるの、中三からだし……」
「じゃあ、犯人は高校一年生だね!」
犯人じゃないよただの差出人だよ。
でも大分絞れたな。情報部の高校一年生、高一の時の竹石さんを知ってるってことは内部進学生だ。
「岩木さん、情報部で内部進学生の高校一年生って何人?」
「えっ、えっと、わかんない……」
わかんないか。そりゃそうだ。普通覚えてないよな。と、ここで意外な方向から答えが返ってきた。
「十八人よ!」