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漢字


視覚障害者が、ごく普通の学校に通うということはとても大変である。

よほどの事情がない限り彼らは盲学校に通い、視覚障害者にも教えることができる優秀な教員の助けを頼りに彼らは勉学に努める。同じ障害を持つ人間同士のコミュニティも出来上がり、友達ができる。友達という対等な関係は、晴眼者であっても視覚障害者であっても大事なものだ。

だが渡良瀬椿という名の全盲の美女は、ごく普通の私立学校である豊川高校に入学した。彼女曰く「妹と同じ学校に通いたかった。親の反対を押し切って入学した」らしいが、あの少し毒舌を吐く彼女がそんな殊勝な思いで入学してきたとは思えない。

そんな、いろんな意味で普通じゃない彼女が普通の学校で勉強するためには、やはり普通じゃない方法でやるしかない。

入学式の二日後から学校の授業が始まったが、彼女は鞄の中から珍妙な道具を出して勉学に励んでいた。

「まぁ、あなたは見たことはないでしょうね」

 放課後の部活で彼女にそれとなくその道具の事を聞いてみた。やや面倒そうな顔つきで僕の事を丁寧にバカにしながら、例の道具のことについて雑に説明してくれた。

 彼女が鞄から取り出したのは一冊の本と、野球部員が持ってそうな大きめの弁当箱くらいの大きさのある謎の箱だ。

 本の方を開いて見てみると、謎はすぐに解けた。紙には点字がビッシリ。点字教科書という奴だろう。

 問題はもう一方の謎の箱だが……。と、そう思った時、彼女は謎の箱を使い始めた。カチカチ、という音が部室に響いている。キーボードをたたく音に似てるが……あ、そういうことか。

「これってタイプライター?」

 僕がそう答えると、彼女はコクコクと首を縦に振った。どうやら正解のようだ。

 彼女の手元を覗き込んでみると、ボタンが九個しかない。そして紙の方を見ると、点字が印字してあった。つまりこれは点字タイプライターと呼ぶべきものだろう。

「ちなみにこれなんて書いてあるの?」

「……秘密」

 秘密にする必要があるのだろうか……。

「おっはよー!」

「おはよう葵」

「あ、おはようございます」

 渡良瀬葵は無駄に元気である。ホントに姉妹なのだろうかこの二人。全然似てない。

「おやぁ? 勉強熱心だね!」

「まぁ、興味があったので」

 視覚障害者がどういう風に勉強してるかなんて知る機会ないしね。ただ椿さんがひどくウンザリした顔をしている。やっぱりこういう風にいろいろ聞かれるのは迷惑なのだろうか。

「ちなみにそれ、お値段は十数万円也!」

…………えっ?

「……高くない?」

「こんなものよ」

 こんなもんらしい。

 あぁ、でもなんとなくわかる気がする。

 視覚障害者というのは人数がそう多くいるわけではない。ましてや全盲なら尚更だ。そんな人たち が使用する道具の需要なんてたかが知れている。需要が低いから生産数も少なくなりそれに反比例して値段は高くなる……。なるほど。でも予想外に高いことには変わりはない。私立高校に姉妹二人を通わせられているのだから、渡良瀬家の家計はそれなりに余裕あるのだろうが、勉強するだけで一体いくらかかるのやら。

 あぁ、そうだ勉強と言えば。

「そう言えば椿さん。今日の現代文の授業凄かったね」


視覚障害者の授業というのは、僕は勿論、他の生徒や教師に至るまでほとんどの人が初体験らしい。当然試行錯誤を繰り返しながらの授業となるのだが、それだとやはり時間はかかるものだ。

例えば「図や表を黒板に書いてわかりやすく説明」というのができない。数学の計算式とかも目で見るのは簡単だけど、口で言うのは凄く面倒なことだ。

「えーっと、じゃあこの問題の答えは……え、と。椿さん。わかるかな? 無理ならいいのだが……」

「x+2yです」

「え、あぁ、うん……正解だ」

 本来ならそれなり苦労するだろう問題を、椿さんは意外とあっけなく答えることができる。もともと頭がいいのだろう。入学式のあの事件を知ってる僕だからすぐに納得できる。だが大抵の精とはよくわかってないみたいだ。

健常者の自分がわからないのに、目が見えない彼女は正解を言い当てる。理解できない。そんな顔をしている人がちらほらいた。

まぁ、わからなくもない。自分も同じ立場だったらそう思うかも。そして彼女の才能に嫉妬のひとつも覚えるだろう。

だからこそだろうか。彼女の周りで起きていた些細な事象を見逃してしまったのは。


現代文の授業の時、僕は彼女の凄さを再認識した。

それは、漢字の小テストが行われたことに起因する。二学期だかに行われる漢字検定に向けての勉強なのだが、椿さんも参加したのである。「全盲の人が漢字を書けるの?」という疑問は生徒も教師も、無論僕も持っていた。でも椿さんの希望もあったし、なにより皆が勉強しているのに一人だけ何もしないというのはどうなのだろうか、という判断から椿さんにも小テストを受けることになった。無論、彼女にも読めるようにテスト用紙の問題文は点字で記載されている。

試験時間十分。全二十問。読み問題はなく、書き問題のみ。難易度は検定準二級。

 ちなみに僕は二十点中十三点だった。なんとも微妙な……。

 でもまぁ、僕の点数はどうでもいい。問題は椿さんの点数だ。


 椿さんの点数は、二十点中二十点。つまり満点だった。

 

 僕は素直に感心した。周りの人間も同じような反応だ。先生に至っては大絶賛である。

 先生曰く、先天性全盲の人はまず漢字が書けない場合が多い。書けたとしても、仮名である場合が多い。

 でも彼女は漢字が書ける。しかも準二級だ。放課後の部活の時、答案用紙を見せてもらったが、彼女の字は少し汚い程度で、読む分には全く問題がない。本当に健常者と変わらない能力を彼女は持ち合わせていた。

 そんなことを先生は少し興奮気味に説明していた。彼女は凄いと。

 でもそんな先生の興奮を余所に、生徒たちの空気は次第に冷めていった。先生が興奮しすぎてドン引きしているのだろう。

 でも大半の人間は「へぇーそーなんだー、すごーい」と言うような感じの反応で、僕のように感心してるのはむしろ少数派なのだろう。


 現代文の授業が終わった後、椿さんに話しかける人が数人いた。いつもグループを作って会話してる女子たちだ。彼女たちも先ほどの漢字テストの結果に感心したのだろうか。席が遠いため会話の内容はわからないが、険悪な雰囲気というわけではない。葵さんもいるしたぶん大丈夫だろう。


舞台は第三会議室に戻る。

「先生も言ってたけど、全盲の人も文字書けるんだね」

「でも私も赤川くんも目瞑って文字書けるでしょ? それと一緒だよ?」

「一緒…なのかな?」

 一緒ではない気がする。なにせ僕たちの場合、目で覚えた漢字だ。椿さんはおそらく触覚で覚えた。これは結構違うんじゃないか?

「なにも特別なことではありません。私の場合、漢字をそんなに多く覚えてるわけではありませんし」

「でも満点だったよね?」

「……あの程度の問題ならあなたも満点取れるでしょう?」

 取れませんでした。

 でも確かにクラスの様子を見た限りでは満点はそれなりにいた。後ろの席の、例の財布事件の犯人……もとい僕の財布を拾ってくれた岩木さんも満点だったし。

 はぁ……岩木さん……。

「どうしました? 浮かない顔してますね?」

「なんで『浮かない顔してる』ってわかるわけ……?」

「見ればわかります」

「全盲なのに?」

「目だけが真実を映すものとは限らないので」

 なんだかポエムっぽくなってきたな。……いや前にも言ってたか。彼女の好きな言葉なのだろうか。

「岩木さんのこと思い出してね」

「あぁ……、えっと確か例の財布の件で赤川くんに脅されてしまって一日中泣き叫びながら右往左往してる岩木さん?」

「だいたい違います」

 目が見えなくてもわかるってそこまでわかるもんなの? 脅してないし泣き叫んでもいないけど。

 でも、岩木さんは椿さんが言ったようなことになっているみたいで、確かに僕と目が合う度にびくついている。「弱みを握られている。いつ自分の悪事が公にされるかわからない」と思っているのだろう。立場が逆だったらと考えると、彼女が怯える気持ちもわからなくはない。わからなくはないんだけど……ねぇ?

「……事情は聞かなくてもなんとなくわかるけど、あなたはいったいどうしたいの?」

 自分でもいまいち説明がしづらいので「説明しなくてもわかってくれる」椿さんの存在はありがたい。彼女の隣で疑問符を頭の上に陳列してる彼女の妹はさておき。

「とりあえず気まずい。何とかならない?」

「ならないわ」

「はやっ。お姉ちゃんもっと真面目に」

「葵に言われたくはないわね」

「どういう意味だ!」

「だって葵、この状況を理解してないって顔してるんだもの」

 だからなぜわかる。

 僕はどうやって葵さんに説明しようと悩んでいると、第三会議室の扉が勢いよく開かれた。

「おはよう諸君。元気にやってるか?」



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