犯人
岩木という人物は中学からの内部進学生である、というのは先述の通りだ。
そしてその人物は情報部に所属している、というのは葵さんが教えてくれた。葵さんも内部進学生だったし、もしかしたら友人か何かだったのかな? と思っていたのだが
「自己紹介の時に言ってたじゃん」
だそうだ。自己紹介なんて恥と渡良瀬姉妹を知っただけで他は特に記憶していなかった。
人の話はちゃんと聞かないと後々後悔する、とはこのことである。
かくして僕はパソコン教室の前に辿りついた。ここが情報部の部室となっているらしい。もっとも入学式の日に早々部活があるかはさすがに葵さんも知らなかった。
「はぁ……」
またしても大きなため息をついてしまった。
本当のところまだ疑っているのだ、彼女の話を。
でもこんなところでうろうろしたところで財布が見つかるわけもなし。仕方ない。覚悟を決めよう。不審者扱いされるのも嫌だ。
それに間違ってたらあの全盲の美女に土下座させればいいじゃないか。そうゲスなことを考えながら僕は目の前の扉を思い切り開けた。
岩木愛梨。
それが今日のもう一人の日直の名前だ。
「あっ……あの……」
教室には彼女一人だけだった。僕が教室に入った時、彼女はひとつのパソコンの前で突っ伏した状態だった。
そして僕の姿を確認するなり、怯えたような目で僕を見た。
その目を見て僕は理解した。渡良瀬椿の推理が、どうやら当たっていたということを。
「岩木さんが?」
「そうよ」
椿さんは当然でしょ、という感じで言い放つ。それに対して反論したのは葵さんだ。
「えー、でも岩木さんって結構真面目そうじゃない? メガネかけてるし」
「メガネかけてるから犯人じゃないというのなら、世の中の人は全員メガネをかけるわ」
葵さんの言うとおり彼女が犯人だとは思えない。
メガネは別として、彼女は椿さんとは別の方向に大人しく、この世の悪事からは無縁の真面目少女という感じの雰囲気だった……と思う。よく見てないからわからないが。
次からはちゃんと見るか。
「んー、彼女が犯人だとしたら、どうやって?」
「どうやって? さっき説明した通りよ」
椿さんは「どうしてそんなこともわからないの?」という感じの口調で言い放った。
「説明した通りって……えーっと、僕が教室にいなくてファスナーが開いてた時、おそらく入学式前後が犯行時刻、ってやつ?」
「そうよ」
「それだけで彼女が犯人になり得るの?」
「なり得るわ」
なんでだ。
「なんでそうなるの、って顔してるから説明してあげましょう」
いやあんた目見えないでしょ? 僕の表情見えないでしょ?
「と言っても単純な話。あなたが入学式直後に何をしたのかを思い出せばおのずと見えてくるはずよ」
見えないのに、彼女の顔から自身が滲み出ていた。
入学式直後……なにやったっけなぁ……。
とりあえず鍵は岩木さんが持っていた。というより僕が仕事を投げた。
彼女は後続が教室前でたむろしないように足早に教室に向かったはずだ。その時、僕はと言えば急に腹を下してトイレに……ん? トイレ?
「そういうことか……」
「そういうことよ」
「どういうこと?」
葵さんだけが分かってなかったようだ。それもそうか。僕がトイレに行った、なんて情報は彼女は忘れてるだろう。
つまりこういうことだ。
岩木さんは鍵を持っている。誰よりもはやく教室に行ける。足早に教室に向かっていたし、中学からの内部進学生とあらば道に迷うこともあるまい。そして僕はトイレに行きみんなよりも遅れた。
僕がトイレに行ったからホームルームが遅れた、と先生が言ってたしね。
彼女は鍵を開けて教室に入る。無論教室の中は無人、残りの生徒が教室に着くのはまだ時間がかかる。
そこで岩木さんは僕の席に行き、僕の鞄から財布を抜き取った。もし財布を抜き取る作業中に他の誰かがやってきたとしてもばれることはない。飾り気のない、買ったばかりの学校指定の鞄だ。
パッと見ただけではそれが誰のものかは判別できない。しかも僕が遅れたため犯行がばれる可能性は低かっただろう。
なんてことはない。単純な置き引き事件だったわけだ。
それなのに僕は落としたのではないかとあちこち探しまわり、盗まれたと分かると部活勧誘の先輩たちを真っ先に疑い集団スリだと思い込んだ。
まったくバカな話だ。
「ホントにバカね」
僕が葵さんに事の事実を教えた後、椿さんは僕の事をバカ呼ばわりした。でも反論できないなぁ……。
まぁそれはそれとして。肝心の財布の位置がわかった。
あとは回収しに行くだけだ。待ってろよ、すぐに助け出してやるからな……。
さて、どうしよう。僕は怯えた顔をした岩木さんを見て悩んでいた。
椿さんの言うとおり、岩木さんが犯人。これは確定と言っていい。
でもなぁ……。
女の子だよ? ごく普通の女子高生、JKという奴だ。情報部部員らしく (?) 彼女は度の強いメガネをかけていて、顔つきも地味な方だ。
でも不細工というわけでもない。むしろ可愛い部類だと思う。
そんな彼女に「君は僕の財布を盗んだね? どうしようか? 先生に言っちゃおうかなあ?」と脅迫する気にはならない。
僕には人を脅迫するセンスはないし、入学式の日に早々クラスメイトの女子を脅迫したなんて言うのは嫌だ。だから穏便に済ませよう。
でもどうやればいいんだ。
僕の財布を盗んだクラスメイトのJKを怯えさせずに穏便に切り抜ける方法なんてあるだろうか。
インターネットの知恵袋にでも相談すればいい回答が来るのだろうか。一瞬、僕は内心本気でそう思ったのか、無意識のうちに自分の携帯を取り出していた。
「ま、待って! 返すから!」
いかん。悪化してしまった。見ろよ彼女の目を。ほとんど泣いてるじゃないか。
彼女は財布を取り出すとおずおずとした歩きで僕に近づいてきた。
うーん……。どう受け取るかで僕の今後の学園生活が掛かっている気がする。
「こ、これ……中身、何も手付けてない、から……」
彼女はますます怯えている。声は震え、財布を持つ手も小刻みに揺れている。
うん、まぁここで彼女を問い詰めるのはよそう。目覚めが悪くなる。僕が何か気を利かせた言葉を掛けようと口を開きかけた時
「お願い! 先生に言わないで! なんでも言うこと聞くから!」
ん?
一瞬「どうしよっかなー、何してもらおうかなー」と本気で考えていた。いかんいかん。落ち着け僕。クールになるんだ。性欲を暴発させるのは今じゃない。
ふぅ。女の子を脅迫するのは趣味じゃないし無理矢理何かをさせるのはかえって萎える。
僕は頭の中で言葉を見繕って……途中で面倒になって、結局彼女に言ったのはこんな言葉だった。
「あの……財布、拾ってくれてありがとう」
「へっ?」
彼女はハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。
残念ながら渡良瀬椿の推理はハズレ。
真実は「ドジで間抜けで冗談が苦手な僕が何かの拍子で落としてしまった。それを岩木さんが拾ってどうしようかと逡巡しているうちに僕が取に来た」ということだ。それでいいよね?
僕はきょとんとする岩木さんを教室に残し、渡良瀬姉妹が待つ文学部へと戻った。
……答え、あれで良いかなぁ。やっぱり知恵袋で聞いた方が良かったのだろうか。