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1:異世界と黒い妖精さんと半魚人

 ごとりと床が揺れる。パソコンの前に座った彼は、濡れた猫のように不機嫌そうな表情をして、椅子をきしませ振り向いた。三百六十度どの方向にも回転する椅子は、長時間の作業には欠かせない存在である。

 その視界には、不幸というべきか幸いというべきか、部屋の隅を突き破って生えてきた木の枝は目に入らなかった。


 厚めの唇が一つの音列を作る。


「地震か」


 人生で初めての異世界転移だが、日本という地震大国の島国に生まれ育ったその高校生は、外の光景が変わっていることに気がつかなかった。今日は二つの世界が晴れていて、暖かい日だったことも勘違いを後押しした。

 彼はやがて、興味を無くしたようにパソコンへ向き直ると、キーボードの一点で止めていた中指を離す。画面の中で一時停止していた兵士達が再び動き出し、オーガの群れを撃退する。これは一分一秒の操作を優先する戦略ゲームであり、地震などにとられる時間はないのだ。

 まだ知らない、たった一枚の壁で仕切られた外界が、オーガなどより殺意に満ちた敵が闊歩する世界だということを。とんでもない幸運と狂気を孕んだ存在が、空を飛んでいるということを。




「くそったれ!」


 彼は目の前の光景が信じられなかった。地面は遠く、見たこともない生え方をした太い木の幹が、視界の手前側に伸びている。土に埋まった根っこは、神社のご神木もかくやという勢いで元気にうねっていた。

 部屋が、彼の部屋だけが綺麗に切り取られて、大樹の上にぽんと置かれていた。廊下に続いていただろうドアも、開けたその先には空しかない。切断された壁から断熱材がはみ出し、垂れ下がる。傍目には、真っ白な豆腐かサイコロが、生い茂った枝の中にあるように見えただろう。


 床を突き破って生えてきた木の枝は頑丈で、彼が怒りに任せ叩いても蹴っても、揺れさえしない。逆に足の持ち主が痛みに跳び上がって、悲鳴を上げる始末だ。

 皮肉な事に。彼の部屋は巨木にがっちりと固定され、天然のツリーハウスへと姿を変えていた。


「俺の一人暮らしを返せ! いいやこれは夢だ、夢なんだ」


 彼はしばらく泣き、喚き、叫んだ。それが治まると、ベッドに座り込む。

 いったいここはどこなんだ、竜巻に飛ばされたのか? それにしては揺れなかった、異世界はさすがにありえないだろう。彼の頭の中で、サイダーの泡のように疑問が湧いては消えていく。


 異世界、そのキーワードに一つ思い当たる物があった。ひらめいた彼はパソコンの前に座る。やはり、インターネットには繋がった。


「妖精、ブログ、アフィ、手帳」


 検索用の単語が思わず口から漏れる、入力が終わると決定キーを押した。画面に表示されるのは、あるブログ、それに関する情報がまとめられたサイト。

 机と椅子を動かして、窓の外が見えるようにする。ささいな準備が終わると、彼は情報をむさぼった。それは、風邪をひいた人間がコップ一杯の水を求める様子と、良く似ていた。


 ブログの内容を上下にスクロールし、窓の外と見比べる。画像があれば保留して次へ行き、気になる映像があれば、一時停止して軽く見る。


「本当かよ……」


 非常に様々な感情をこめた吐息が、下唇を滑り落ちていく。夢だと思考するが、この悪夢は一向に覚める気配を見せなかった。

 ある時間で止められたその動画には、山が映っている。それは、外界の景色と完全に同じだった。


 ブログは、異世界で生活していると語る人間の日記。まとめられ、項目ごとに分類されている情報は、その世界で見つかった手帳と動植物の物。


 ガラス窓の向こうへ視線を戻した時、喉は言葉を失った。

 この悪夢は――更なる動きを彼に要求しているらしい。


 最初、それは二つの点に見えた。

 次に、色が分かった。二色だ、銀色と黒色。

 最後に、その正体を認識した。怪物と妖精であり、両方とも自分の居る方向へ急いでいた。


 怪物の姿は奇妙だった。体は人間で、鍛え抜かれた筋肉をまとった、全裸だった。すっぽんぽんだった。たくましい腕が走るために前後へ振られる、土踏まずが地面を蹴る。もっと奇妙な点は、頭部が巨大な魚になっている事だ。時折上げる甲高く鋭い鳴き声は、化け物と言う他無い。まるで、美形ボディービルダーの首から上をマグロにすげ替えたような姿だった。

 

 妖精の姿はある意味でシンプルだ。黒髪のロングにセーラー服、黒いニーハイソックス。日本人形ぐらいの大きさで、白い肌。背中の羽で空中を飛び、必死に怪物から逃げているようだった。

 

 彼は椅子から腰を上げ、ためらいがちに窓辺へ近寄る。そこからはノコギリじみた怪物の牙が見えた。異形の怪物が口の端から泡を吹く、興奮しているようだ。和やかに話のできる雰囲気では無い、彼は妖精を助けることに決めた。


「こっちだ!」


 横へスライドする標準的な窓。それを開け放ち、妖精へと声をかける。遠距離で反応は分からない。理解したのか、窓の方へと一直線に飛んでくる。

 衝撃で木がわずかに揺れ、大量の葉を落とす。獲物を逃した怪物は、悔しそうに根元で歯噛みした。




 黒い弾丸となって、窓から部屋に入ったそれは、彼のことを観察しているようだった。

 相手を驚かさないように、真っ直ぐその場へしゃがみ込む。両者の体格差から、小さい子供への対応を思い出したのだ。

 一瞬間が空いて、妖精はフローリングの床へぺたりと手の平を付ける。目が合うと、意味ありげな視線を送ってくる。敵意はありませんよ、という意味か。

 妖精を真似ると、こくこくと頷く。それを更に模倣してみると、とうとう妖精が立ち上がった。

 近寄られ、小さな指で手の甲を突かれたが動かさない。彼女は感心したように口を開けると、また距離をとって観察し始めた。


 彼は手の内を床に向け、ゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。今度は妖精も動かない。椅子へ座ると、興味深そうに見つめてきた。


 マウスを操作し、キーボードで文字を打つ。

 先人にならって、彼は2ちゃんでスレを建てる事にした。何か情報があるかもしれない。

 タイトルは『アフィな異世界に転移したら黒髪ロングセーラー服黒ニーソの妖精さんがやってきた』

 幸いすぐにレスが付いた。手帳解析のスレが四桁近いのだから、これは必然に近いと言えた。


1 立ったら書く。

2 本物か?

3 >>2本当に困ってるんだよ、助けてくれ。

4 転移にしては遅すぎないか?

5 >>1はとりあえず古ノルド語翻訳開いとけ

6 開いた、ありがとう。


 このようなマイペースでスレッドは進行して行き、やがて限界に達して立て替えとなる。

 古ノルド語翻訳の有効性が分かり、安価も駆使し。最初のスレッドで妖精から聞き出した情報は、こんな物だった。


 家から少し遠い所に来たら、半魚人に襲われた。

 そう、あの怪物は半魚人と言うの。

 助けてくれてありがとう。

 この辺りは怖い動物が多い。

 川や湖は少し遠い。

 食料は花の蜜。

 狩もする。半魚人も食べる。

 欲しい物は知識です、あの棚にある本が読みたい。

 本は家だと貴重品だから。言葉は頑張って憶えます。

 ちなみに妖精の動画や写真は、充電中だった携帯で撮ってスレッドにアップした。かなりの好評を得る事ができた。


 彼女の学習能力と知性は、驚くべき物だ。


「つづき、つづき、ほん」

「もう話せるのか」

「わたしは。あたま、が、いいから」


 およそ二時間で簡単な日本語会話ができるようになり、夕方までには日常会話を習得。その周りには文庫本が積み重なってゆく。絵本は埃を被った物が数冊しかなかったし、彼は一介の高校生だ。棚の本はライトノベルやマンガであった。


「ああ!」


 突然叫び声を上げる妖精を心配して、声をかける。


「何だ」

「主人公がやられたの!」

「そうか、じゃあ次の巻を読むといい」

「パワーアップして復活したわ! 反撃開始よ!」

「良かったな。じゃあトイレ行って来る」


 二人はしばらく会話をした。そのお陰か、相手もどんどん言葉を吸収してゆく。

 特に彼の方は、興奮状態で空腹を誤魔化していた。完全に自分の部屋だけで異世界に放り出されたのだ、キッチンも冷蔵庫も風呂もトイレもない。あのブログの主が頼りにしたであろう保存食や器具、調味料はもちろんない。まだ気づいてはいないが、屋根や雨どいといった物もほとんどが消え去ったため、金属がない。

 水と食料はゼロ。あさればプラスチックぐらいは見つかるだろうが、それにしては環境が悪いと言えた。


 用を足す事もトイレと丁寧に言ってはいる物の、ドアを開けて外の空中へ垂れ流しである。




 世界が暗くなったころ、2ちゃんに立てたスレッドを改めて開く。

 こんな物が完成していた。


511 よ

512 う

513 せ

514 い

515 た

516 ん

517 の

518 ひ

519 ん

520 に

521 ゅ

522 う

523 か

524 わ

525 い

526 い

527 黒

528 髪

529 ペ

530 ロ

531 ペ

532 ロ

533 し

534 た

535 い

536 !


 二人同時に叫ぶ。


「バカだ!」

「何よこれ! こいつら八つ裂きにしてやるわ!」


 最後はご丁寧にビックリマークまで付いている。上質な鈴を思わせる妖精の声音が、空気を引き裂く短剣のそれへと変貌した。

 聞いた彼の顔が、すっと思考で引き締まる。あごに手を当てて考え事を始めた、何かを思いついたらしい。


 録音ソフトを起動、古いパソコン用マイクを接続して、妖精の前へ持ってゆく。


「あ、これマイクよね? これであいつらに文句を言えって事?」


 妖精の読んだ本が、古い歴史小説では無くライトノベルで良かった。彼はその思いと共に頷いた。


「貴方たち、よくも言ってくれたわね! 見つけたら、血まみれの肉の塊になるまでずたずたに引き裂いて、木に吊るしてやるんだから!」


 四角い停止を押し、録音を完了する。


 確認のために再生すると、彼女の肩がびくっと跳ねて震える。それをあえて無視し、一時的な公開のために音声ファイルをアップローダーへ。

 吐き出されたダウンロード用のリンクを、書き込み用の欄に貼り付け。決定キーを一回叩く。これで他人が彼女の声を聞けるようになった。

 反応は、炎のように劇的。


863 うおお、閣下ー!

864 この声は天性の才能、間違いない

865 フヒヒ、人外スレから飛んで来ました

866 妖精がやってくるとかそんな都合の良い事は

867 踏んで下さい

868 さげすんで下さい

869 おみ足をペロペロさせて下さい!


 その夜、スレッドの勢いは爆発した。


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