1、家は火の車
カチャカチャカチャカチャカチャ
暗闇の廊下に、夜な夜な響く、電卓の音。
そして。
「はあ〜〜〜〜」
大ーーきな溜息。
そうっとふすまを開けると、サッと灯りが漏れてくる。
部屋では机に向かって一太郎が、グルグル眼鏡をキュッキュッと丁寧に拭いていた。
その顔は、ママそっくりの超美男子ではあるが、最近眉間のシワが目立っている。
それもこれも、家事を一手に引き受ける彼ならではの悩みが深いからだ。
「どがんしたと?」
九州弁の黒ネコドミノが、一太郎の足にすり寄ってくる。
「ああ、ドミノか。駄目なんだ、足りないんだよ」
「なにがね?」
一太郎、略して一太がヒョイとドミノを抱き上げる。数字の並んだノートを見せて、そして華々しくも赤い文字を指さした。
「あいつ等の食費がかさんで、凄い赤字なんだ。毎晩酒盛りするし、女のくせに2人揃って大食漢だろ?元々余裕がなかったから、うちの家計は火の車さ」
「火っ、火が車っ!そりゃあ、大変たい」
「大変なんだよ。はあー」
だから最近、野菜もモヤシやカイワレと安い物ばかり使うのに、買い物係のママは肉を頼むと高い物ばかり買ってくる。
ママは心配症だから相談も出来ないし、無口なパパはせいぜいうなずくくらいの物だろう。
「なあなあ一太、車が火だらけはどうすれば消えるとね?」
「金だよ、お金。お金があれば消えるのさ」
「ふーん、お金で消える火とは珍しかあ」
ドミノが鼻息荒く、ノートを覗き込む。
「バイトするかなあ、そんな時間ねえしなあ。あっ、もう12時だ。なんてこった、4時間半しか寝れない!」
朝は家事で忙しいので4時半起き。バタバタと、一太が慌てて布団に潜り込む。
しかし階下からは、彼の苦労を知らない女達の笑い声が、楽しそうに遅くまで響いていた。
翌日一太が学校へ行ったあと、ドミノはゴロンゴロンとテレビを見て、居間で転がっている白髪の美女に声を掛けた。
「エリ、エリ、大変ばい」
「うるさいのう、いま面白いのじゃ。見よ、この男がうわきという物で、あっちの女と争っておる。好きの嫌いのとドロドロじゃ」
ホッホッホッと笑っている。ハアッとドミノは大きな溜息をついた。
エリは、異世界の国一番(自称)の白魔女。
本名エリミネートリアグランチェスカ・マヌーケだが、面倒なのでエリと呼ばれている。
白く長い髪を結い上げ、杖に変わる何本ものかんざしを刺して、いつも純白の大きく胸の開いたドレスを愛用していた。
「ママさんは?」
「ママさんは買い物じゃ。何やらジャラジャラと財布を持っていったぞ。この世界の金は、どうやら砂金ではなく金の塊のようじゃ」
「金塊?そりゃあ大変たい。火が車になるはずばい」
ふむふむと、ドミノが何度も頷く。
そこへ鼻歌交じりの、見事な黒髪に真紅のボンデージファッションという、一般家庭には非常識な美女が現れた。
「いやん、ドミちゃんったら何悩んでるのん?いやんいやん、そんなドミちゃんも可愛いん」
クネクネいやんと、黒髪美女がドミノを捕まえ豊満な胸に押しつける。
「嫌じゃー、離さんねボケ魔女サキューラ!」
「あらん、やっぱり大ボケの下僕はしつけがなってないわねん」
黒魔女サキューラがキラーンと目を輝かせ、ジタジタ暴れるドミノをますますギュウッと締め付ける。
「ぐえー、出る!お腹が出る!」
プスッ
「キャー、くっさーい」
ツーンッと、辺りに異様な香りが立ちのぼり、バタバタとドミノを離したサキューラとエリが手であおぐ。
「フッ、ギューッとするからたい。弱者の報復ばい」
「何が弱者よん、下品な最後の手ねえん」
ペタンと色っぽくサキューラが座り、トポトポとお茶を入れる。
一口飲んで、ハアッと息を付いた。
「ア、ハーン、お茶が美味しいん」
「無駄な色気の女じゃ。ところでドミノよ、火が車とは何じゃ?物騒よのう」
エリはのんびりテーブルのクッキーを頬張り、ムグムグとテレビを見ながら何となく聞く。
一応話は聞いていたらしい。
「一太がね、赤い字がいっぱい書いてあったノートば見せたとばい。そんで、金が足りないと言うと。もう火が車ばい。」
「嫌だあ、それって火の車じゃなあいん?家にお金が無くって、貧乏なのを言うのよん」
さすが早くからこの世界にいるだけある。
2人は異世界からやってきた魔女だ。
囚われだった黒い魔女がこの世界へ逃げたのを追って、異世界の国から白い魔女が派遣された。追い追われ、そして2人は出会ったのだが、ハタと気が付けば帰る方法がわからないらしい。それで一太の家に居着いている。
そのおかげで一太は家事の量が倍増し、家計は火の車、と言うわけだ。
ガバッとエリが起きて、ふむうっと腕を組む。
「では、金をどうにかせねば追い出されるかもしれんのう」
「そうそう、やっと気が付いたとね」
「いやーん、一太ちゃんと離れるのは嫌よん」
いやんいやんとサキューラが悶える。
「うふふふ…」
不気味な笑いを、エリが漏らす。ビクッとドミノが身体を引いた。
「なんばすると?」
「ドミノよ、ようやく私の出番じゃ。この、国一番の白魔女の力、見事見せつけてやろうぞ!」
バッと立ち上がり、腰に手を置きホホホホホッと笑う。
「なにするのん?」
「錬金術じゃ!ボロッボロ、ゴロッゴロと金塊を作って見せよう。
私はお前のような落ちこぼれの、人の役にも立たない色気ブスとは違う。
きっと一太も喜んで、私の足下にひざまずくであろう」
ホホホホホホホホッと、甲高い声にガラスがガタガタ響いて揺れる。
「うるさかねえ、サキューラはどうすると?」
ドミノとサキューラが耳を塞いでいると、テレビでは今流行の占い師の豪邸が紹介されていた。
「あらん、これっていいわあん」
「占い?黒魔女に出来ると?」
「うっふん、占いなんか適当でも、このあたしの色気でいちころよん。
ザックザックお金稼いでくるわん」
サキューラがうっふんと立ち上がり、お尻をぷりぷりして部屋を出る。
「だ、大丈夫やろうか?」
何となく、大変なことを言ってしまったような気がしてドミノの目が座る。
そうっと部屋を出ようとしたとき、ガシッとエリに掴まった。
「忙しくなるぞ、ドミノ。キビキビのしっぽと、ドラドラの根っこ、それにケンドーラのよだれにサンザの牙を集めてくるのじゃ。あと……」
「無理ばい!この世界で同じ生き物がいると思うとね?無理!」
ぬ、ぬうっとエリが頬をヒクヒクさせる。
もう、サキューラにはやるっと言ってしまったのだ。
言ったからにはやるしかない。
出来ないなど、きっと馬鹿にされるのは目に見えている。
「やるのじゃ!似たものを探してこい、後は私の偉大な魔力でカバーする!」
「しらんよー」
ぴょいとドミノがその場を逃げ出す。
フンッと残されたエリは鼻息も荒く、キョロキョロとあたりを探し始めた。
「魔女の大鍋などここには無し、やっぱりあそこじゃな」
そう言いつつ、台所に侵入する。
「あるある。ホホ、やや小さいが使えそうじゃ」
ずらりときれいに鍋が並べられ、整然と片づけられたキッチンは神経質な一太らしい。
お玉一個もビシッビシッと真っ直ぐぶら下がって、手を付けるのに気が引けるのは普通の人間。しかし、エリがその部屋に入った後は、まるで怪獣でも大暴れしているような、ガラガラドスンッガタンッと、凄まじい音の洪水に見舞われた。