第4話 苦難は続くよどこまでも⑦
「……もう無理。帰りたい……のに、動きたくない」
言って、梛は苦しそうにベンチにもたれかかる。
あのあと、ケーキだけではなく、もちろんアイスまで食べ、締めとしてポテトフライのような塩っ気のあるものを少しつまんだ結果、まるで重力が倍になったかのように動くのがつらくなってしまった。
久しぶりのバイキングに舞い上がってか、はたまた元を取るぞという精神が故か。
どのみち、しばらくは甘いものを食べたくもないし、見たくもない。
梛の左隣では、綾芽と陽葵が同じくつらそうに口元を押えながら俯いている。
「アイスは別腹!」などと豪語していた結果がこれだ。
ちなみに右側には凜桜が膝枕をしようと、今か今かと構えている。
まるで何かに取り憑かれたかのような執念が恐ろしい。
「ほら、いつまでそうしてるの」
と、美卯は体調不良の兄を労る様子もなく、早くしろと言わんばかりに、腕を引っ張って起こそうとしてくる。
こんな姿の兄や友人を見てなんとも思わないなんて、さすがは無慈悲な妹様だ。
「……先帰っててくれ。このまま電車乗ったら、多分吐く」
催促してくる美卯に、梛は切実に訴える。
ただでさえ酔いやすい体質だというのに、この状況で電車になんて乗ったら大惨事間違いなしだ。
しかし美卯は、そんな兄にも容赦はしない。
呆れたように息を吐き、梛の訴えを一蹴した。
……あろうことか、最悪の形で。
「なんで、もう帰ろうとしてるの? そうやって、すぐ帰ろうとするのやめなよ」
「いや、だからさ、俺は少し休んでから帰るから、美卯たちは先に帰っててくれって」
「……あのさ、なんで私たちがもう帰る前提で話が進んでるの?」
「今日の予定って、これでもう終わったんじゃない……のか?」
梛は恐る恐る問いかける。
すると、グロッキー状態の陽葵が、苦悶の表情を浮かべながら立ち上がり、梛の肩をガシッと掴んできた。
「せっかくの……機会なんすから……時間が許す限り……遊びましょうよ……!」
「そうだよ、梛くん。帰るのはまだ早いよ……。あと三十――いや、一時間くらい休憩してからが本番だよ……」
綾芽にいたっては立ち上がるのも無理なようで、梛にもたれかかるように、ぐったりと身を寄せてくる。
こんなにもつらそうにしているというのに、遊ぶ気は満々だ。
何が彼女たちをこうも突き動かすのか。
「ほら、二人もそう言ってるじゃん」
「見るからに俺よりキツそうなんだが……」
「陽葵も綾芽さんも、少し休めばすぐに治るでしょ」
兄はもちろんのこと、先輩や友人も気遣おうとはしないらしい。
美卯は催促するように、梛の足を小刻みに蹴りつける。
しかしこの妹は――いや、姉もなのだが、同じくらい食べていて、なぜこうも平然としているのか。
まったく、末恐ろしい姉妹だ。
「お兄ちゃんよりつらそうな二人が、少し休むくらいで動けるようになるんだから、お兄ちゃんも余裕だよね?」
「で、でも、美卯ちゃん。お兄さん、すごくつらそうだよ……?」
「こんなんで死ぬお兄ちゃんじゃないから大丈夫でしょ」
「美卯が桔梗みたいな優しさを持ってくれると、お兄ちゃん的にはすごーく嬉しいんだけどな……」
凜桜と綾芽を見て「類は友を呼ぶ」という言葉はまさにその通りだと思っていたが、美卯と桔梗を見ていると信憑性に欠けているとも思えてしまう。
「……で、仮にこのあとまだ遊ぶとして、どこ行くつもりなんだ? まさか、また服見に行くとか言わないよな?」
「それはみんな次第かな。私たちは先週も行って、なんなら色々買ったわけだし。……ま、お兄ちゃんが行きたいって言うなら付き合ってあげなくもないけど」
「言うわけないだろ、そんなこと」
幼い頃のトラウマ、そして先日の一件を思い出して、梛は身震いする。
着せられるのも、見せられるのも真っ平御免だ。
と、梛の反応を見越していたように、美卯は大仰に肩をすくめた。
「だろうと思った……みんなは何したい?」
「梛と一緒ならどこでもいーよー!」
「お姉さんも、若いみんなに任せるよー」
言いながら、右から凜桜が甘えるように、左から綾芽がそれに合わせるように、梛へ身を預けてくる。
梛はうんざりしたように息を吐くと、すっと立ち上がって二人の間から抜け出した。
「……特に行きたいところがないんなら、今日はもう解散でいいんじゃないか? 何か思いついたときにまた集まれば――」
「別日にしたとして、お兄ちゃんはちゃんと来るの?」
「……」
「このまま遊ぶってことでいいよね?」
「……はい」
足を踏みつけながら鋭い眼光で睨んでくる美卯に、梛は縮こまり、小さな声で返事をする。
どう足掻いても、美卯には逆らえず、逃げることもできないらしい。
梛の考えなど、一から十まで全てお見通しのようだ。
「もしこのまま誰も案を出さなければ、お兄ちゃんのあの写真を現代に再現するのも面白いかもね」
「よし、みんな。俺に力を貸してくれ。何か行きたいところ、やりたいことはないか?」
梛は慌てた様子で意見を募る。
この際、美卯の企みさえ阻止できればなんだっていい。
たとえ、先週同様に下着を選ばされようと……ようと…………いや、それは嫌なのでご容赦願いたい。
「それなら、ゲーセン行きたいっす!」
と、陽葵がビシッと手を挙げて言ってくる。
「負けたままじゃ嫌なんで、梛先輩にリベンジしたいっす!」
「おっ、やる気十分だな。よし、それじゃあ、ゲーセンに――」
言って、梛が足を踏み出そうとした瞬間、美卯に襟首を掴まれた。
梛は車に轢かれたカエルのような声を上げて立ち止まる。
「おま……何すんだよ……」
「陽葵って二日前、お兄ちゃんにボロ負けしたんでしょ? 練習もしてないのに、また負けに行くつもり?」
「いや、俺が勝ったのはたまたまかもしれな――」
「たしかにそっすね。鍛え直してから、改めてまた挑むっす!」
アホの子陽葵に梛の言葉など届くはずもなく、美卯の巧みな話術によって、陽葵はあっさりと勝負を取り下げた。
「それに、ゲームセンターに行ったとして、お兄ちゃんと陽葵が勝負してる間はみんな暇だしね」
「……それもそうだな。となると、他に何か行きたいところがあるやつは……」
「――はいはーい」
梛が立ち上がり、凜桜がそれに抱きついたことによってできたスペースに横たわっていた綾芽が、その体勢のまま腕だけをピンと伸ばして手を挙げた。
「それじゃあさ、ボウリングなんてどう? 食後の運動も兼ねて、ね」
綾芽はうんしょ、と立ち上がると、その場で身体を前後に伸ばし始める。
言い出した本人は、答えを聞くまでもなくやる気満々のようだ。先程までぐったりして、みんなに任せると言っていたとは思えない変わり身の早さだった。
「いいんじゃない? みんなで楽しめそうだし」
「や、やったことないけど大丈夫……かな?」
「大丈夫だよ。私も梛もやったことないから」
「梛先輩も初めてなんすか。それなら……勝負っすよ!」
綾芽の提案に、他の面々も概ね賛成のようで、梛が決を取るまでもなさそうだった。
「それじゃあ、食べた分のカロリーを全部消化するぞー! おー!」
「そんな一朝一夕でどうにかなるものじゃないと思いますよ」
梛が冷酷な現実を突きつけると、綾芽はやれやれと呆れたように言ってくる。
「もー、梛くんってば。こういうのは、『頑張るぞー!』って心意気が大事なんだよ! 梛くんだって沢山食べたんだから、内心は『運動しなきゃー!』って思ってるんでしょー?」
「……俺、太らない体質なんですよね。いくら食べても身長も体重も全然変わらない――どころか、身長なんて去年より一ミリ縮みましたし……」
肘で「うりうりー」とつついてくる綾芽に、梛は自虐を混じえて返した。
早寝早起きもしているし、多少の好き嫌いはあれど三食きちんと食べている。
大嫌いな魚を食べない分、牛乳やヨーグルトでカルシウムも補っているというのに、悲しいことに身長が一切伸びないのだ。
美卯や楓にもそのうち抜かされそうなのが、梛のここ最近の悩みの種のひとつである。
と、梛の自虐を都合のいいところだけ切り取ったのか、殺意のこもった視線が一斉に梛へと突き刺さった。
「ほおほお。梛くんは何をどれだけ食べても太らない、と」
「そりゃあ、あんなに食べるっすよね。いくら食べても太らないんですし」
「いいなあ。私なんて、高校に入学してから少し体重増えちゃったのに……」
「お兄ちゃん。とりあえず殴らせて。一発……いや、二発でいいから」
「……話聞いてたか?」
梛はにじり寄ってくる四人から逃げるように後ずさる。
凜桜は梛の発言など気にしていないようで、満面の笑みを浮かべて抱きついたままだし、桔梗は梛の自虐にどう反応していいかわからず混乱しているのが不幸中の幸いと言えた――が、それでも梛の命が危ういのは変わらない。
抵抗も虚しく、半ば拉致のような形で、梛はボウリング場へ連行されることになった。




