第4話 苦難は続くよどこまでも①
桔梗の気遣いによって打ちのめされた、その翌日。
この日の朝は、今まで生きてきた中で一番の朝になると思っていた。
というのも、普段から凜桜は夜中のうちに布団に潜り込んでくるが、今回は陽葵、桔梗、綾芽の三人が家に泊まりに来ているのだ。
さすがの凜桜でも、そんな状況――その上、凜桜の部屋では綾芽が、梛の部屋では楓が寝泊まりているのだから、梛の布団に潜り込む真似をするはずがないだろう。
そう思って、梛は昨晩床に就いた。
しかし現実はそう甘くない。
……いや、凜桜のことを知った気になって、勝手にそう思い込んでいただけだった。
左腕を圧迫する温かな弾力。
鼻腔をくすぐる甘い香り。
耳元で囁くように聞こえてくる吐息。
これらによって、梛は朝目を覚ました瞬間、己の考えの甘さを呪うこととなった。
「……はあ……」
梛はあくびの代わりに口からため息をこぼすと、左腕に目を向ける。
幻覚でもなんでもなく、そこには実際に凜桜が腕に抱きつくように横たわっていた。
……しかも、下着姿。先週ショッピングモールで買っていた、あの下着で身を装っていた。
いくら目を擦っても、目の前の光景は変わらない。
それどころか、非情な現実を突きつけてくるだけだ。
時刻は朝の九時前。
美卯が起こしに来ないことを考えると、昨晩は夜更かしして、まだ寝ているのだろう。
つまりはまあ、助けが来るのはまだまだ先ということだ。
もっとも、起こしに来たところで助けてくれる確率は低いのだが。
梛はふと、綺麗に畳まれた布団に目を向ける。
そこには昨晩楓が寝ていたはずだが、その姿はどこにもない。
梛が見ているものが夢や幻覚の類いでなければ、楓はとっくに起きて部屋をあとにしたらしい。
昨日は日付が変わるまで、トランプやボードゲームに興じたというのに、なんとも目覚めの早いこと。
起きたのなら、助けてくれればいいのに。
「……ん?」
と、梛は何かに気づいたように声を上げた。
目を細めて扉の方を見やると、隙間から串に刺さった団子のように、頭が三つ並んでいるのが見える。
上から、綾芽、陽葵、桔梗だ。
助けに来てくれた――わけではないらしい。
なんというか、この状況を面白がるように観察しているような……。
「……何してるんだ?」
「あ、あの……楓さんが、もうすぐ朝ごはんだから起こしてきてほしいって……」
「で、部屋を覗いてみたら、梛先輩と凜桜先輩が仲良く同じ布団で寝てたんで、これは邪魔しちゃいけないやつだなーって思ったんすよ」
「だから、私たちのことは気にしないで。ささ、どーぞごゆっくり」
「いや、そういうのいいんで。早く助けてください」
立ち去ろうと扉を閉めかける綾芽に、梛は無事な右手を布団から出し、ちょいちょいと手招きする。
三人は立ち止まり、陽葵が隙間から訝しげな視線を向けてきた。
「普通に抜け出せばいいんじゃないすか?」
「……タップしても離してくれない極悪非道なプロレスラーに捕まっている相手に対しても、陽葵は同じことを言うのか?」
「あー……そういうことっすね」
梛がうんざりしたように返すと、陽葵は納得したように頷き、部屋に足を踏み入れる。
続くように、綾芽と桔梗も入ってきた。
梛は布団をめくり、拘束された左腕を指さす。
「とまあ、こういうことだ。基本的に姉貴が起きるまで、この拘束は解けない」
「……!」
と、桔梗は見てはいけないものを見るように顔を隠した。
「ひゃー! 部屋に服が脱ぎ捨てられてたからもしかしたらって思ったけど、まさか本当に下着姿で潜り込んでるとはねぇ……」
「凜桜先輩……すごい大胆っすねぇ」
凜桜と陽葵は感嘆するように声を上げる。
「凜桜って寝るときはいつもこんな格好なの?」
「いえ、つい最近からですよ。暖かくなってきたからじゃないですか?」
「そんな虫じゃないんすから……。というか、よくそんな冷静でいられるっすね」
「……慣れって怖いよな」
梛は自嘲するように引きつった笑みを見せた。
初めて凜桜がこの格好で寝ているのを見たときは少し気が動転してしまったが、今となっては「またかよ……」と呆れることのほうが多い。
これが寝起きに見せられたものでなければ取り乱していたのかもしれないが、今の梛にはただただ面倒としか思えなかった。
「でも、梛先輩にも解けないなら、自分たちができることはないんじゃないすか?」
「三人寄れば文殊の知恵って言うだろ? ……まあ、ここにいるのは四人だけど。何かいい案はないか?」
梛が言うと、桔梗が「あの……」と恐る恐る手を挙げて尋ねてくる。
「普通に起こしたらどうなるんですか?」
「……姉貴が抱きついて離れなくなる」
「なんだ、いつものことじゃないすか」
「それじゃ、起こしちゃって大丈夫そーだね!」
「いや、大丈夫なわけ――」
「ウェイクアップ、りーおー!」
綾芽は妙に良い発音でそう言って、梛の隣で静かに眠っている凜桜を揺さぶった。
すると、眠れる魔獣は、封印から解かれたかのように目を覚ます。
「――んー……あ、梛だー。おはよー」
起きた凜桜は梛を見つけるなり、身体に腕を絡ませた。
先程、陽葵は「いつものこと」なんて言っていたが、実際はそんなことない。
普段の凜桜は、まだ常識がある方だ。
抱きつくにしても腕だけで、今のように梛の身体全体を抱き枕にするようなことはしない。
それに、梛が本気で怒れば、嫌われたくない凜桜はすぐに手を離すのだ。
しかし、寝起きの凜桜はどうだ。
まるで酔っ払いのように執拗にキスを迫ってくることもある。
梛が嫌がっても、寝ぼけているのか己の欲に忠実に行動し、離れようともしない。
「えへへー、ぎゅーっ」
凜桜は梛に甘えるように頬擦りする。
綾芽たちの前だというのに、まるで気にしていない――いや、凜桜からしたら、三人がいてもいなくても関係ないのだろう。
「なんか、今日の凜桜先輩、その……」
「うん、えっちだね!」
「……綾芽先輩。あえて言葉濁したんすから、わざわざ口に出さないでくださいよ……」
率直な感想を述べる綾芽に、陽葵は乾いた笑みを見せた。
一方、桔梗はというと、目の前の光景を見ないように手で顔を覆っている……が、隙間から瞳を覗かせていた。




