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第1話 一難去って前途多難①

 両親、そして凜桜の衝撃の告白から数日後。

 実は冗談だった――なんてことはなく、予定通り両親は海外へと旅立ち、凜桜と美卯との三人暮らしが始まった。


 とはいえ、両親が不在になって面倒事が増えた以外は、梛の生活は以前と何ら変わらない。


 ――そう。朝起きたら凜桜の魔の手によって拘束されていた、なんて数日前と何も変わらないのだ。


 別に彩峰家に牢屋があるわけでも、梛や凜桜にそういう趣味があるわけでもない。かと言って、誇張表現でもなく、実際に梛は凜桜に捕まっている。


 昨晩、十一時頃には自分の部屋で眠りにつき、日付を跨いで今日の朝。海外赴任で不在の母親に代わって三人分の朝食と弁当を作るため、梛は六時半に目を覚ました。


 そこまでは、両親が不在となってからの日常のルーティンなのでまだいい。……まあ、朝早く起きなくてはならないのは不満ではあるのだが、誰かがやらなくてはならないことなので仕方ないだろう。自己犠牲の精神は、この社会で生きていく上で必要不可欠なものである。


 半覚醒の意識の中、けたたましく鳴り響くスマートフォンのアラームを止めようと上体を起こしたところで、左腕に柔らかな重みと人肌の温もりを感じたのだ。

 度々――いや、毎朝潜り込んでくるものだから、すぐにその正体が凜桜なのだとわかった。


 ……だが、その後が問題だった。


 また姉貴か。そう思って梛はうんざりとした視線を向ける。

 と、そこにはなんと下着姿(・・・)の凜桜が梛の腕を抱き枕代わりにして寝ていたのだ。


 当然、凜桜に脱ぎ癖なんてないし、普段は潜り込むにしても服は着ている。そんな凜桜が、なんとびっくり下着姿。

 初めて見る光景に、梛は時間が止まってしまったかのように動かなくなってしまった。


 数瞬のローディングを挟んで眼前の情報を処理すると、梛は落ち着きを取り戻すため深呼吸を繰り返す。


 もしかしたら自分はまだ夢を見ているのかもしれない、眼前の光景は幻覚かもしれない。そう考えて、空いている手で自分の頬をつねってみる。

 しかし、つねられた瞬間の鋭い痛みと、遅れて感じた鈍い痛みが、これが悪夢ではなく現実であることを梛に告げただけだった。


 抜け出そうと必死にもがいてみるも、まるでプロレスラーに技をかけられているかのごとく力強くホールドされていてビクともしない。これで無意識だというのだから恐ろしい。


 この話を聞いて、「普通に起こせばいいのでは?」と考える人も中にはいるだろう。


 ご愁傷さま。後先考えずに行動するあなたは、間違いなく早死するタイプだ。

 寝ているからこの状態で済んでいるのであって、凜桜が目を覚ましたら状況がさらに悪化するのが目に見えている。


 じゃあ、どうするか……どうしようか。


 と、梛が頭を悩ませていると、コンコンコン、と扉を叩く音が聞こえてくる。


 現在、彩峰家には、強盗でも押し入っていない限り三人しかいない。つまり、ノックの正体はここにいない人物。そう――美卯だ。


「お兄ちゃん、そろそろ起きなよ……」


 言いながら美卯は、梛の返事を待つことなく部屋に入ってくる。


 一見すれば、優しい妹が寝坊助な兄を起こしに来てくれるという、なんとも微笑ましい光景に見えるだろう。


 しかし、ここは現実。セーブとロードを繰り返せる恋愛ゲームの世界ではないのだ。


 梛の隣で惰眠を貪る人物を視認した途端、美卯の表情はまるでカメレオンのごとく一瞬にして、兄を蔑むかのような顔へと変貌していく。


 このあと、確実に罵声が飛んでくるだろう。

 ここで騒がれてしまえば、眠っていた魔獣が目を覚ましてしまい、阿鼻叫喚の地獄絵図待ったなしだ。


 最悪の事態を回避するため、梛は一か八かの勝負に出る。右手で凜桜の魔の手に落ちた左腕を指さすと、愛想笑いを浮かべて説得を試みた。


「おはよう、美卯。まずは落ち着いて話を聞いてくれ。ここ、俺の部屋、俺のベッド。そして拘束されている……OK?」


 ……うん。ありのままの事実を伝えてみたが、どうにも言い訳くさい。

 言った本人である梛でさえそう思うのだから、聞き手である美卯からしても同じだろう。


 しかし美卯は、梛に罵声を浴びせることもなく、無言のまま部屋をあとにした。

 説得が役に立ったとは思えないが、どうやら梛の置かれた状況を理解してくれたらしい。


 ――と、梛が安堵した、その瞬間。


 再び扉が開き、またもや美卯が姿を現した。しかも、その手には拳銃のようなものが握られている。


「美卯……さん?」


 梛が引きつった笑みを浮かべながら妹の名前を呼ぶと、美卯は慈しむような笑顔を作り、迷いなく梛へと銃口を向ける。


「……ッ!」


 と、危険を察知した梛が布団の中に潜った直後、チャッ、といういかにも安っぽい音と共に一発の弾丸が放たれ、梛の脚部のあたりに着弾した。


「……っぶねぇ! 何すんだよ!」


 梛が思わず声を荒らげると、美卯は肩を小さくすくめてみせる。


「なんだ、お兄ちゃんか。てっきり、服を脱がしたお姉ちゃんを部屋に連れ込んだ変態かと思った」


「どこをどう見たら俺が変態に――いや、この状況なら見えなくないかもしれないけど、俺がそんなことするわけがないだろ! 日頃の姉貴の言動知ってるよな!?」


「――などと供述しており、容疑を否認しています」


「は・な・し・を・き・け!」


「はいはい、わかったわかった。起きたなら早く朝ごはん作って」


 梛の反論に聞く耳を持たず、美卯は手をひらひらと振りながら階段を下りていった。


「……あいつ、俺のことなんだと思ってんだよ……。てか、先に起きたなら朝飯くらい作っててくれてもいいのに……」


 と、梛が頭をかきながらぼやくと、布団がもぞもぞと蠢き出した。


 ……そりゃあ、これだけ大騒ぎすれば起きないはずがないだろう。誰だって耳元で騒がれれば嫌でも目を覚ます。


 やばい。そう思ったときにはもう遅かった。


 左腕の封印が解かれたかと思えば、凜桜の腕が触手のごとく身体に絡みついてくる。


「……梛だー、おはよー……えへへー」


 眠たげな声と共に、凜桜が無邪気にはにかみながら梛に抱きついた。


 寝ている間に入ってしまったのか、綺麗で長い夜色の髪が数本口に咥えられている。

 薔薇の刺繍が施された真っ黒な下着との相乗効果で、凜桜の色気は何倍にも増していた。


 しかし、それで動じる梛ではない。


「……おはよう、姉貴。そして離せ、離してくれ」


 梛は目を逸らしながら、迫り来る凜桜の顔をぐいと押し返す。「ふぎゅう」と可愛らしい声を発していたが、そんなもの気にしてはいけない。


「えー……もうちょっと一緒に寝てようよー。あ、もしかして下着も着けてない方が良かったー? さすがのおねーちゃんでもそれは恥ずかしいよー」


「……なあ、姉貴。俺はこれから朝飯と弁当を作らなきゃいけないんだ。だから早く、今すぐ、速やかに離れてくれ」


「いーやーだー」


「……」


 先程まで、凜桜の格好に気まずさや居心地の悪さを感じていたが、話を聞こうとしない凜桜への苛立ちが勝り、梛は次第に冷静さを取り戻していった。


 さて、ここで問題。優しく言っているのに話を聞こうとしないなら、身内相手のこの場合、梛はどうするべきか。


 答えは簡単――手を出すしかない。

 梛は無言で凜桜の脇腹の辺りをつついた。


「うぎゅっ!」


 凜桜は短く悲鳴らしきものを上げると、一瞬ではあるが力を弱めた。もちろん梛は、その一瞬の隙を逃さない。

 手早く腕を振りほどき、ベッドから転がり落ちるようにして、凜桜の魔の手から解き放たれた。


「もー、何するの!」


「『何するの!』じゃねえんだよ。こっちは弁当と朝飯作らなきゃいけないんだから、姉貴と違ってそんな悠長に寝てられないんだよ」


「えー……まだ六時半だよ? 一緒に寝てよーよー」


「……じゃあ、仮に一緒に寝たとして、その場合は誰が飯を作るんだ?」


「もちろん、梛が美味しいご飯を作ってくれるでしょ?」


「……」


 呆れてものも言えないとは、まさにこのことだろう。姉妹揃って、梛が食事を作るのが当たり前になっているらしい。


 いまだ布団から出ようとしない凜桜を、梛は軽蔑した目で一瞥すると、重労働明けのような重い足取りで部屋をあとにした。

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