第3話 類は友を呼ぶ。面倒な友を呼ぶ。①
梛に安らぎの時間はほとんどない。
というのも、朝早く起きては弁当と朝食を作らなくてはならないし、昼間は学校、夕方はバイト、夜は夕食作りと、忙しい日々を送っているからだ。
寝る前には一時間ほどゆっくりできる時間があるが、それも凜桜によって邪魔されるので、存在しないと言っていいだろう。
バイトがない日、そして休日も同じだ。
数少ない身体を休められる時間であったバスタイムも、凜桜が浴室まで押しかけてくるのを止める人物が海外赴任で不在なため、羽を伸ばすこともできない。
鳥の行水と言ってもいいくらい、湯船に浸かる時間が減った気がする。
常日頃から精神的にも肉体的にもくたびれている、そんな梛に唯一残された安らぎの時間というのが、梛のバイトがない日と、凜桜の生徒会の仕事の日が重なった日だ。
凜桜は普段こそふざけたように梛に引っ付いてばかりだが、成績は学年トップで運動神経も抜群。
おまけに生徒会長まで務める、いわばスペックおばけのような存在である。
そんな凜桜が生徒会の仕事で忙しく、なおかつ梛のバイトが休みという、月に一度あればいいくらいの希少な日。
家で安らかに眠るもよし、友人とどこかへ遊びに行くもよし、本屋に寄って置き場所のない本をどうやって本棚に詰め込むか考えるもよし――そんな幸せな時間が、今月はなんと二回もあるのだ。
きっと、梛の苦労を見て哀れに思った神様が、つかの間の休息を用意してくれたのだろう。
……もっとも、神様もサンタの存在も信じていないのだが。
帰りのホームルームが終わるなり、梛は鞄を肩に背負うと、浮かれた足取りで教室をあとにする。
と、
「梛!」
名前を呼ばれて振り返ると、知った顔が見えると同時に、その人物の人差し指が梛の頬に突き刺さった。
「梛ってば、また引っかかったね」
「……楓、それ流行ってるのか?」
「うーん……マイブーム、かな?」
言いながら、楓は梛の隣に並ぶと、梛の頬に当てていた指を今度は自身の頬に当てて首を傾げる。
幼なじみの梛でなければ勘違いしてしまいそうな仕草だ。
「ところで、凜桜さんと美卯ちゃんは待たなくていいの? また怒られちゃうよ?」
「なんともありがたいことに、今日は生徒会の仕事があるんだとさ。美卯も手伝うらしいから、放課後をゆっくりと過ごせるってわけだ」
梛は刹那の開放感を噛み締めるように大きく伸びをする。
「あ、せっかくだし、帰りにどっか寄るか?」
「え、いいの!? でも、家でゆっくりしたいんじゃ……」
「ああ、それなら別に気にしなくていいぞ。さっきまで寝てたから全然眠くないしな。まあ、急にどこか行くかって言われても、行き場所に困るだろうけど」
「梛は行きたいところないの?」
「行きたいところ、か……」
梛は思考を巡らせるように顎先に手を当て、唸りながら階段を下りていく。
寄り道と言って最初に思いつくのが、梛のバイト先である喫茶〈アリス〉。
あそこなら放課後をゆっくり過ごすのに最適だが、楓は昨日も一昨日も店に来ていた。さすがに三日連続で訪れてもすることがないだろう。
次に思いつくのはゲームセンターだが、楓はあまりゲームをやる方ではなかったはずだ。
梛の家に遊びに来ても、梛と美卯が遊んでいるのを凜桜と一緒に見ていたのが強く印象に残っている。行ったところで、梛がプレイしているのを見ているだけになってしまいそうだ。
そうなると残るは本屋くらいだが、楓は好んで本を読むタイプではないので、付き合わせても退屈なだけだろう。
まあ、最近は梛の勧めで少しずつ読み始めてはいるのだが。
「うおっ!?」
「ごふっ」
と、梛が頭を悩ませていると、まるで恋愛漫画の導入のように、曲がり角から小さな人影が飛び出してきた。避ける間もなく、そのままぶつかってしまう。
「すみません、大丈夫ですか?」
「いえ、こちらこそごめんなさいっす――ってなんだ。梛先輩じゃないっすか」
「……えーっと、どちら様で?」
梛は気まずそうに頬をぽりぽりと掻きながら、困惑した表情を見せた。
目の前にいるのは、青みがかった黒髪を短く切りそろえた、年相応よりも少し幼く見える瞳が特徴の少女。
制服のきちんとした装いよりも、ジャージやパーカーといった動きやすい格好のほうが似合いそうな、どこか活発な印象を受けた。
本人が梛を「先輩」と呼んでいた以上、おそらく年下なのだろう。
名指しだったことを考えれば、人違いの線も薄い。
しかし、梛のことを「先輩」と呼ぶ知り合いなどいただろうか。
そもそも、後輩と呼べる存在が、妹である美卯くらいしか思い当たらない。
「な、梛先輩……記憶喪失っすか!? じ、自分のこと、わからないすか!?」
「記憶喪失ではないと思うけど……その……ごめん」
「楓先輩! 梛先輩どうしちゃったんすか!? 自分のこと覚えてないみたいだし――はっ、もしかして楓先輩も自分のこと覚えてないんじゃ……! つまりここは、自分が存在しない世界ってことっすか!?」
梛が申し訳なさそうに謝ると、少女は慌てた様子で楓に助けを求めた。
「お、落ち着いて陽葵ちゃん! ……もう、梛ったら、あまりいじめちゃダメだよ?」
「いや、本当に知らないんだって。俺を先輩呼びするってことは一年だろ? 俺の知り合いで一年って美卯くらいだし……」
「梛先輩、本当に自分のこと覚えてないんすか? 将来を誓い合った仲じゃないっすか!」
「……そうなの?」
「いや、知らん。マジで知らん」
疑うように視線を向けてくる楓に、梛はぶんぶんと首を横に振って答える。
人の顔や名前を覚えるのが苦手な梛でも、こんな騒がしい――いや、感情豊かで賑やかな子を忘れるようなことはさすがにない。
陽葵と呼ばれた少女と楓が知り合いであることから、梛だけが一方的に知られている可能性が高いだろう。




