第2話 安寧短し、苦労は多め④
――しかしそれも一瞬だけ。梛は店の前でぴたりと足を止めると、まるで散歩を嫌がる犬のごとく二人に抗い始める。
なにせ、凜桜と美卯が最初の目的地に選んだのは、洋服は洋服でも下着が売っている場所――ランジェリーショップだったのだ。
まだ店の外だというのに、大人びた下着がずらりと並んでいるのが視界に入る。
明らかに男性禁制の地であることは一目瞭然。当然、入ろうだなんて思わないし、そもそも近づきたくもない。
梛は額に冷や汗を浮かばせ、頬を引きつらせた。
「……普通、洋服って言ったらシャツとかズボンとかじゃないのか?」
「さあね。そういうのは人それぞれだから」
「頼む。絶対に逃げないから、外で待たせてくれ。後生だから」
「えー! 梛が選んでくれるんじゃないのー!?」
梛が後ずさりすると、凜桜が不満そうに頬を膨らませる。美卯もそれに続くようにして、梛の背中を押した。
「ほら、いつまで入口に突っ立ってるの。時間無くなっちゃうでしょ」
「……美卯、落ち着いてよく考えてみろ。お前だって、俺と一緒に店に入るのは恥ずかしいはずだ。というか、恥ずかしくないわけがない」
どうしても店に入りたくない梛は、美卯に必死に言葉を並べる。すると美卯も、そんな当たり前のことに今さら気づいたようで、はっとした表情を浮かべて頬を赤らめた。
これでこの場から逃げることができる――と、思われたのだが、美卯はぶんぶんと首を横に振って梛に向き直る。
「……たしかに恥ずかしいけど、それはそれ、これはこれ。せっかく久しぶりに三人でお出かけなんだし。それに、今日はお詫びとして付き合ってくれるんじゃなかったの?」
「むぐ……」
思わぬ反論に梛は口を噤んだ。
そう。今日は凜桜に嘘をついた件だけではなく、あの日、二人を置いて一人で帰ったことへのお詫びも兼ねているのだ。
なので、たしかに美卯の言う通りではあるのだが、姉と妹が一緒とはいえ、年頃の男子がランジェリーショップに入るのは、さすがに恥ずかしいわけで。
しかし、今日の目的は二人へのお詫び。それなのに、梛がこうして嫌がってるのも、あまり良くないだろう。このままこうしていても、美卯にキレられそうだし。
葛藤の末、梛は胸に溜まった恥ずかしさを、ため息と共に押し出した。
「……わかった。けど、できるだけ早く済ませてくれ」
「やったー! それじゃあ、レッツゴー!」
凜桜は大仰に手を天高く突き上げると、そのまま梛の手を引いて、ずるずると店の中へと引きずり込んでいく。
外の時点でもわかってはいたが、やはり梛がいていい場所ではなかった。
辺り一面にセクシーな下着が陳列されており、その中には「着る意味あるのか?」と思わせるような際どいものもいくつか見られる。
当然、店員も客も、店内にいる全員が女性。梛が店に入るや否や、先程とはまた別種の、居心地の悪い視線が一斉に梛へと襲いかかる。
しかし、二人といるからかそれもほんの一瞬で、店員からなにか言われるようなこともなかった。
「んー……あ、梛ー! これとこれ、どっちがいいかなー?」
入店してから数分も経っていないのに、凜桜は精緻なレースで飾られた上下セットの下着を二着、梛の眼前に持ってきた。
言うまでもないことだが、女性の下着なんて見る機会がないので、色以外の違いが一切わからない。あと、なんかすごいデザインで見るのも恥ずかしい。
「あー……ええと……」
と、梛が言い淀んでいると、凜桜が何かを見つけたようで「あ!」と短く声を上げる。
「美卯、あそこで試着できるみたいだよ! 梛はちょっと待っててねー!」
凜桜はそう言い残すと、美卯を連れて店の奥にあった試着室へと姿を消した。
当然、梛は店の中に一人取り残される形となり、和らぎかけていた気まずさも再び強く感じるようになる。
世の中の男性というものは、よくこんな場所で平然としていられるものだ。その胆力を少しでいいから分けてほしい。……できれば三割ほど。
自分の置かれた状況に耐えられず、梛は俯いて夕飯の献立を考え出す。と、カーテンの向こうから美卯の呼びかけてきた。
「お兄ちゃん、ちゃんといるよね? ……声聞こえないけど……もしかして、逃げた?」
「いる……いるから。逃げてないから。だから、できるだけ早くしてくれると助かる……。というか、早くしてくれ、頼む」
梛が急かすように言うと、布の擦れる音と共に、美卯の呆れたような吐息が聞こえてくる。
「逃げないのは偉いけど、着替え中の女の子を急かすのはどうかと思うよ? ま、気持ちはわからなくもないけど」
「ごめんねー、もう少しだけ待っててねー!」
「あ、そんなに暇なら、私とお姉ちゃんに似合いそうなの探してきてよ」
「……ここで待たせていただきます」
無理難題を言ってくる美卯に、梛はこれ以上食い下がろうとはせず、二人が出てくるまで大人しく待つことを選んだ。




