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第2話 安寧短し、苦労は多め②

「少年に罰としてお願いを聞いてもらえるチャンスだというのに、有耶無耶にしてはもったいないんじゃないかな?」


 ときは遡って数日前。事の始まりは、凜桜たちが〈アリス〉に訪れた際、雛菊が発したこの発言だ。


 このあまりにも無責任な発言のせいで、何故か梛が凜桜のお願いを聞く流れになってしまったのである。


 とはいえ、梛にも嘘をつき続けたという罪悪感はあるので、ここで「絶対に嫌だ」などと断ることができなかった。

 言ってしまえば自業自得。ツケが回ってきた、ということだ。


 梛は照明を仰ぎ見たまま諦観のため息を吐くと、凜桜に向き直る。


「……で、その『お願い』ってなんだ?」


「聞いてくれるの!?」


「内容次第だ。姉貴は絶対ろくなこと言わないからな」


 期待を寄せてくる凜桜に、梛はぴしゃりと言い放つ。


 日頃から「梛と一緒に寝たい」「梛と一緒にお風呂に入りたい」などと言っている凜桜の願いなど、大方見え透いているのだ。

 もしその手のろくでもないことを言おうものなら、即却下。世にも珍しい、梛が願いを聞くという貴重な機会さえ無くなってしまうかもしれない。


「うーん……そうだなー……」


 てっきり即答するかと思われたのだが、意外にも凜桜は首を捻り、うーん、と唸り出した。


「梛と一緒に寝たい、かなー……。でも、梛と一緒にお風呂に入るのもいいなー……うーん……」


「……一応言っておくけど、両方却下だからな」


「えー! なんでよー!」


 凜桜は不満げに頬を膨らませて、むー、と梛を見やる。


「そもそも、いつもお兄ちゃんの布団に潜り込んでるわけだし、わざわざお願いする必要もなくない?」


「はっ……! たしかに……」


「いや、それ自体普通におかしいんだけどな」


「でも日常茶飯事みたいなものでしょ」


「それはまあ――いやいや、おかしい。絶対におかしい」


 梛はぶるぶると首を横に振って否定する。美卯に乗せられ、危うく認めそうになってしまった。


 梛と違って、美卯は梛と凜桜が一緒に寝ていることを平然と受け入れているらしい。それなら、なぜ朝起きたときにエアガンで撃ってきたのか。あれを受け入れるのもやめてほしいが、エアガンで起こしに来るのもやめてほしい。


「一緒に寝ているだなんて、随分仲がいいんだね」


「梛と凜桜さんは、昔から何をするにも一緒ですから」


「……たしかに、昔は姉貴の後ろをついて回ったりしてたけど、今は姉貴が勝手についてくるだけだからな? 一緒寝てるんじゃなくて、俺が一人で寝てるところに姉貴が侵入してくるだけだから」


 梛は楓の発言を訂正するように言ってやる。


「んー……じゃーあー、一緒にお風呂にー……」


「いや、だから。却下だって言ってるだろ、それ」

「むー……あ!」


 と、凜桜はなにか思いついたように短く声を上げた。


「梛と一緒にお出かけしたい!」


「……え?」


「梛と一緒にお出かけしたいんだけど……ダメ?」


「いやまあ、そのくらいなら別にいいんだけどさ……」


 意外にもまともな願いを口にした凜桜に、梛は面食らってたじろぐ。


「その程度のことでいいなら、最初からそれを……」


 と、そこまで言って、梛はようやく気づいた。


 最初に受け入れ難いほど大きな要求をして断らせることで、その直後の本命である小さな要求を通しやすくする手法――『ドア・イン・ザ・フェイス』。

 凜桜は最初からそれを目的にして、あえて断られるであろう願いを口にしていたのだ。


 その手法は知っていたが、まさか自分がやられるとは思いもしなかった。まったく、恐ろしい姉である。


「……ほんと、さすが姉貴だな」


「え、なに? 急にどうしたの?」


 突如凜桜を褒め出した兄を不気味がる美卯に、梛は自嘲気味に肩をすくめてみせた。


「いやなに、まんまと姉貴の策にハマったと思ってな」


「……なるほど。ドア・イン・ザ・フェイス、だね」


 雛菊は顎先に指を当て、にやりと笑う。


「……ドア・イン・ザ・フェイス?」


「ああ。大きな要求を断らせた後に小さな要求をすることで、『それなら……』って思わせる手法だな。交渉の手口でよく使われるやつだ」


 きょとんと首を傾げる楓に、梛は簡潔に説明してやる。


「最初、姉貴は『一緒に寝る』だの『一緒に風呂に入る』だの、ろくでもないことしか言わなかっただろ? そのあと、さっきの二つに比べたら圧倒的にマシな『一緒に出かけたい』っていう願いを言ってきた。そして俺は、それをまんまと承諾したってわけだ」


「なる……ほど?」


 楓はあまりピンと来ていない様子で、説明が終わっても首を傾げたままだった。

 一方、美卯は梛の言動が腑に落ちたらしく、「なるほどね」と小さく頷いている。


 そして、その願いを言った当の本人はというと……。


「ほんとだねー、気づかなかったよー!」


 どうやら全くの無意識だったらしく、驚嘆の声を上げた。


 ……なぜだろう。無性に恥ずかしく、そして腹立たしくなってきた。


「……やっぱ行くのやめるか」


「なんでよー!? 行こうよー! お願いだからー!」


 凜桜はいつものように梛に抱きついて、必死に梛を説得し始めた。

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