第0話 溺愛から恋愛へ?
「実は梛は……俺たちの子供じゃないんだ」
春休みが終わり、もうすぐ新学期が始まるという四月の初め。
彩峰梛は「大切な話がある」と父親に呼び出され、何事かと思って階下に下りてきてみれば、開口一番にそんな言葉を告げられた。
「……あいつとその奥さん――つまり、梛の本当の両親は十五年前、居眠り運転していたトラックとの交通事故で亡くなったんだ。後部座席に座っていた梛だけは奇跡的に助かったんだが、あいつらは家と縁を切っていてな。頼れる親戚もいなかったから、高校からの仲だった俺たちが梛を引き取ったんだ。……今まで隠してて悪かった」
そう言って、父親は頭を下げた。
別に、梛に両親を責める気なんて毛頭ない。
むしろ、血も繋がっていない梛をここまで育ててくれたのだから、感謝の気持ちしかなかった。
しかし、そんな想いとは裏腹に、梛の表情は曇っている。
理由は、両隣に座る姉と妹の存在。梛と同じように、二人もまた、今この瞬間に初めてその事実を耳にしたのだ。
二人からすれば、兄だと思っていたものが兄ではなく、弟だと思っていたものが弟ではない。実は血も繋がっていない、赤の他人だったということになる。嫌悪感や恐怖心を抱いていてもおかしくはないだろう。
そして、梛もまた、別ベクトルの恐怖を抱いていた。
今まで当たり前のように仲良く過ごしてきた姉と妹。そんな二人に拒絶されることを想像すると、動悸がおさまらず、呼吸困難に陥ったかのように息苦しく感じてしまう。
……いや、優しい二人がそんなことをするはずがない。
それはわかっているのだが、読書で鍛え上げられた想像力が、梛の思考をじわじわと蝕んでいった。
恐怖で言葉も発せない中、梛は恐る恐る、姉――凜桜の顔を覗く。
――と、凜桜はなぜか……目を輝かせていた。
「……つまり、梛と結婚できるってこと?」
「…………は?」
梛は恐怖心など忘れ、思わず素っ頓狂な声を上げる。その隣では、妹――美卯も目を丸くし、口をぽかんと開けて凜桜を見つめていた。
だが、それも仕方のないこと。姉がそんな馬鹿げたことを言えば、誰であろうと同じ反応をするだろう。
先程まで実の姉だった凜桜が、弟との血が繋がってないとわかった途端、結婚できるなどと言って歓喜の笑みを浮かべているのだ。混乱しない方がおかしい。
「梛と血が繋がってないんだよね!? ほんとだよね!? 梛と結婚できるんだよね!? ね!?」
凜桜は前のめりになって矢継ぎ早に両親を問い詰める。
……たしかに凜桜は、昔から「梛と結婚する」などと言っていた。
小学四年生のときに行われた二分の一成人式では、各々が自身の『将来の夢』について語る中、あろうことか同級生や保護者など大勢の前で「大きくなったら弟と結婚したいです!」などと言ってのけたこともあった。
だが、だからと言って、それを本気にする者がいるだろうか。所詮は子供の戯言だ――そう、誰もが思うだろう。
それは目の前の両親も同じ。梛同様、瞳に困惑の色を浮かべていた。
「そりゃあ……」
「できなくはないけれど……」
「やったー! 梛のお嫁さんだー!」
そう叫ぶなり、凜桜は腕を回し、自分の胸へと梛を抱き寄せる。途端、マシュマロのような柔らかい感触と、柔軟剤の優しい香りが梛を包み込んだ。
「落・ち・着・け! なんで結婚する前提で話が進んでるんだよ!」
「えー……」
梛が凜桜の肩を掴んでぐいと引き剥がすと、凜桜は不満そうな、それでいてどこか悲しそうな声を上げる。そして、梛の腕に抱きつき、堪能するように頬擦りを始めた。
「……そもそも、今まで家族だと思ってた人間が、実は赤の他人だったんだぞ? なんでそんな冷静――いや、冷静ではないけど……ともかく、なんで普通でいられるんだよ!」
「逆に、なんでお兄ちゃんはそんな怖がってるの?」
梛が声を荒らげると、まるで梛の心の内を見透かしたかのように美卯が問うてくる。
「別に、お姉ちゃんも私も、血が繋がってない程度で嫌いになるわけないじゃん。……それとも、お兄ちゃんはそのくらいで私たちのことを嫌いになったの? もしそうなら、さすがに幻滅するけど」
「そんなわけ――」
「じゃあ気にしなくていいじゃん。今まで通り五人で仲良く暮らしてけばいい話でしょ」
と、美卯が呆れたようにそう言うと、両親は気まずそうに顔を見合わせ、揃って小さく手を挙げた。
「えーっと……それについてなんだけどね……」
「実は明日から、俺も母さんも海外を拠点に働くことになってな……」
「…………は?」
感謝の気持ちしかない。先程そう思ったばかりだが、ひとつだけ……ひとつだけでいいから文句を言わせてほしい。
「……なんでこのタイミングで言ったんだよ」




