今度こそ審査に通りたい
「そろそろお時間かと」
ミレイアの指摘を受けて、馬車は一度王都内の庭園へと向かう。
ブノワ家の御者に行先を知られない為には本日も馬車を乗り換える必要があった。
二人は『今日は庭園で一日を過ごすから』と御者に告げ、夕方に迎えに来るよう頼んでおく。
そこから辻馬車を拾って婚姻省へと直行した。今日は貸衣装屋へは寄らない。と言うか、平民変装はもう卒業だわねと思っているモルガーヌである。
モルガーヌとセヴランは婚姻省の待合室に先に来ていたマチルドと合流した。
廊下を歩いている最中、ホッとしたようなマチルドは誰にともなく言う。
「……よかった。仲直り出来たんですね」
「お騒がせして悪かったわ」
「いえ、いえ、私は全然!」
ここであまり突っ込んでもややこしくなるだろう。三人はそれ以上話は広げず、穏やかに世間話などしながら進んでいく。
そうして彼女達が面談室に入ると、そこでは一週間前と同じ面子が、全く同じ並びで座って待っていた。
挨拶をして腰を下ろし、モルガーヌはルーセルに目を向ける。
「お怪我の具合は如何ですか?」
(これくらいの嫌味は言ってやってもいいわよね)
自分達は騙されたのだ。しっかり怒る権利はある。
するとルーセルは突如立ち上がり机に手を付いてぴょんぴょんと跳ねた。
「お陰様でこんなに大丈夫ですよー! すぐに医者に診てもらったせいですかねー? いやあ、ブレイン嬢のおかげだ! 感謝します!」
「そうですか。良かったですわ」
飽くまで嘘を認めない相手に笑顔がひきつってしまう。
まさか芝居ではなかったのかと一瞬思いかけて、それはないわねと思い直す。
「さて。それじゃあ始めようか」
この日主導権を取ったのはペレーズだった。
モルガーヌの知識ではどこがどうとはっきり説明できないが、洒落者っぽい様子の男性だ。
書類をぺらぺらとめくって何かを確認した後、顔を上げた。
「ええとね。今日は前回とは違って、こちらの話を聞いて貰う形になる。君らの覚悟を問う為に、離縁に関するある一つの事例を話そうと思う」
ペレーズはモルガーヌに視線を向ける。
「ところでブレイン嬢にブノワ子息。君達は最近平民遊びに嵌っているようだね?」
「嵌っている、というほどではありませんが……」
モルガーヌは少し怯んだ。
(この人達。どこまで私達について調べてあるのかしら)
「うん。ともかく君らがそういう遊びを問題なく楽しんでいられるのは、実は君らの正体を見抜いてる平民の人々が、君らにそうと気付かせずに君らを貴族として扱っているからだ、という事実を知っていたかい?」
セヴランは激しく驚いている。モルガーヌは気不味くうなづいた。
「……そうだろうな、と最近察したばかりですわ」
「そうかい。君が周囲の見える人間で良かった。……これから話すのはね。自分が貴族であるということの自覚が、あまりにも薄かった男の実話だよ」
ペレーズは薄く微笑み机の上で両手を組む。
――――それは昔、王都でのこと。
とある一人の伯爵が、一人の子爵令嬢に恋をした。
伯爵には既に妻も子もいた。肉欲は家で、純愛は外で。それがこの国のやり方となっている。けれど伯爵は正々堂々と恋した女性を抱きたいと思ってしまった。
伯爵は幼い我が子に爵位を譲り、妻にはその後見人としてこのまま伯爵家で暮らしていけるという条件を提示して無事に離縁を勝ち取った。
平民となった元伯爵ことただの男は、家を出れば同じくただの平民となる子爵令嬢と共に王都を出た。
彼らは国の地方を周り、貴族時代に得た知識を売ることで生計を立てていた。
安定はしていない、貧しくはないが裕福でもない、そんな暮らしだが男は彼女と共にいれて満足していた。
けれど、一年ほど経った頃。彼女は男に言ったのだ。
『私達に子供が生まれたら、その子には贅沢な暮らしをさせてあげたいの』
つまりそれは、男に貴族に戻ってくれと言う意味だった。
その日から二人は諍いが増えた。現状で満足している男と、早く貴族に戻れと言う彼女。
ついに二人は共に生きることが難しくなってしまった。
「女性が初めから爵位狙いだったとは思わない。きっと彼女は慣れない暮らしに疲れきってしまったんだろう。愛情は、最初は確かにあった筈だ」
「そんな訳ないだろ。女の方はなんだかんだ理由をつけて正式な結婚を伸ばし伸ばしにしてたそうじゃないか。男が貴族に戻らない場合、すぐに逃げ出せるようにしておいたんだよ」
ロッシュの言葉にペレーズは悲し気に眉を寄せる。
そこでモルガーヌは気が付いた。
(この話の主役って、もしかしてペレーズさん本人……?)
このような仕事をする人達が、どのような人生経験を積んでここに辿り着いたのかはわからない。でもなんとなくペレーズという男の雰囲気が、そういう過去が「ありそう」に思えるのだ。
(訳アリ、って札をつけているように見えるのよね……)
探るモルガーヌの視線の前でペレーズはまた平静な表情に戻る。
「女性と別れた傷心の男は王都に戻った。我が子への情は薄くても、自分の親への感情はあった。まずは両親に顔だけでも見せようと家に向かった」
「ついでに衣食住の世話もしてもらおうと」
「そこまで厚かましくはない。……まあ、仕事の紹介くらいは望んでいたかもしれないが」
ルーセルの言葉をペレーズは訂正する。
「しかし。帰った男が見たものは。無惨に焼け落ち、残骸だけが残された自分の実家の跡地だったんだ」
モルガーヌ達は息を飲む。
「男は事情を知る為に、屋敷に出入りしていた業者の下へ駆けつけた」
男の顔を覚えていたその相手は、ただの平民のその男にも丁寧に対応してくれた。
それは、男が家を出てわりとすぐのことだったと言う。
元妻の前に、一人の宝石商が現れた。その人物は使用されたジュエリーの売買の仕事をしていたらしい。
『誰かが要らないと思った品を、一生の宝物だと思う別の誰かがいるものなのですよ』
それが決め言葉だったと言う。宝石商と元妻が親しくなるには時間はかからなかった。
あっさりと伯爵家に入り込んだ宝石商は、やがて屋敷で我がもの顔に振舞うようになった。伯爵家の財産すら思うように散財する。そしていつのまにか伯爵家には宝石商の親族だと言う老若男女が多数居座るようになっていた。
元妻に注意を促す者は親族も知人も使用人も満遍なく遠ざけられた。
『彼は君の持つ権利を狙っている』『あのメイドは僕に色目を使った』
首になった者、自ら見切りをつける者で使用人は瞬く間に減って行った。
屋敷は早々に荒れ果てたが、料理人だけはいなくなると困ると思ったのだろう、彼については待遇がよく、宝石商達も関わってこようとしなかった。
「男に全てを教えてくれたのは、その料理人から話を聞いた食材を運ぶ業者の人間だった。……無論、通常であれば貴族の家の事情を外に漏らすのは罪に当たるだろう。だがあの家はもう貴族としての体をなしていなかったのだそうだ」
しばらくは我慢を続けていた料理人も、やがて屋敷を出ることにした。
最後に一度だけ、元妻に宝石商と手を切るように言ってみたらしい。
しかし元妻は言った。
『爵位を捨ててまで夫が逃げ出したくなるような、そんな女に寄り添ってくれる人間なんて他にいないわ』
「彼女の中ではいつのまにか話がすり替わっていたそうだ。おそらくそのように宝石商に刷り込まれていたのだろう」
「……ひどいわ」
モルガーヌは思わず感想を漏らした。
婚約者に他に相手が出来た者として、元妻の立場は他人ごとに思えなかったのである。
ペレーズはそんなモルガーヌに向かってにこりと笑った。
「元伯爵の男はね。元妻をしっかりした淑女の中の淑女だと思っていたんだ。だが違った。本当の彼女は自分の意見というものを持てない人間だった。娘時代は親に、結婚後は夫に従うことで生きて来た。その生き方が偶々淑女と呼ばれる生き方に似ていたんだろう。元伯爵はそれに全く気付いていなかった。……息子が当主となった時、まさか幼い子供が命令を出せる訳もない。義両親は彼女を気遣い、すべて彼女の意志を優先させようとする。突然伯爵家が自分一人にのしかかってしまった時、彼女は恐怖で壊れかけた。そんな所へ手を差し伸べたのが宝石商だったんだ」
「まー男性はそうやって理屈をつけたがるもんですが。要は元妻は寂しかった、ただそれだけかもしれませんね」
ルーセルが付け加える。
ペレーズは苦笑いした。
「料理人が去った後、何があったのかはわからない。代わりの応募が間に合わず、残された者で炊事をしようと思ったのかもしれない。……一か所からの火の手にしては均等に燃え過ぎだ、と言われていたらしい。屋敷は炎に包まれた。その場にいた者は誰も助からなかったそうだ」
聞かずにはおれなかったのでつい尋ねていた。
「元伯爵のご両親はどうなったのです……?」
「領地で引退生活をしていた彼らは、男が家を出たことで、孫を守る為に王都の屋敷へ戻っていた。だがある日、ふと気付くと二人の姿は見えなくなっていたそうだ。彼らはこの家が嫌になって、世界旅行に出てしまったと元妻から通達があったらしい。……が。その後二人は戻らなかった。もちろん領地の方にもだ。……彼らの行方は今現在もわかっていない」
「!……」
じゃあ、と発言したのはセヴランだった。
「元伯爵の方は? 事情を話して伯爵に戻れたのかな……」
軽く尋ねるセヴランにこの場にいる者は皆ぎょっとした。
(この感じ。……セヴランはこれがペレーズさんの話だって気付いてないわね)
この場で教える訳にもいかず、モルガーヌはそわそわする。
ペレーズはセヴランに向かって肩を竦めた。
「男は伯爵には戻れないし、戻る気持ちもないだろう。……元妻も幼い当主も死に、他に後を継ぐ親族もなく伯爵家は没落したよ。……男は考えなしの離縁を死ぬほど後悔して、今もどこかで平民としてこそこそ生きているのだろうね」
「うーん。それはちょっと気の毒な気もしますねえ」
同情を見せるセヴランを横目に、モルガーヌは背筋を伸ばした。
「お話、拝聴致しましたわ。教えて頂いた事例はとても悲しい結末だと思います。……ですがその状況は、私達にはまるで当てはまらないのでは?」
話を聞き終えて。ペレーズの過去は本当に気の毒だと思った。けれど今はそちらを憐れんでいる場合ではないのだ。
おそらくペレーズが言いたいのは、うかつな離縁や破談に対する警告だろうとモルガーヌは考える。彼自身の悲劇を披露することで、それに反論するのは血も涙もない人間の所業である、という空気を作り上げているのではないのか。
(セヴランなんかあっさり乗せられそうだもの。一度線引きはしておかなきゃね)
気を引き締めて、セヴランとマチルドに目配せをしておいた。
ペレーズは静かに話を続ける。
「僕がこの話で伝えたいのはね。貴族と言う生き物は、狼に囲まれた羊達の群れである、ということなんだ。親や制度という柵を自ら飛び出した者は、世の中の狼達にとっては格好の餌となるか弱い仔羊にしか思われない。君達はお互いを、その狼達の牙の前に差し出す覚悟があるのかい?」
「それは、」
セヴランが言いかけて止まる。
自分なら狼を跳ね除ける自信がある、とはさすがに言い難かったからだろう。
(周囲に守られていることも知らないで。呑気に平民になったつもりで楽しんでいた私達だもの)
日ごろの行いを顧みたモルガーヌ自身も身を縮めてしまう。予想とは違っていたペレーズの結論にも困惑する。
(でも、やっぱり。私達はペレーズさんの状況とは違うんだって、どうしても思ってしまうから……)
どうにか突破口を探したい。
そう思った時だった。
カタン、と音がして、彼女達の背中側にあった扉が開いた。




