彼女と話をしたい
「ごめん! 今日は急用が入った!」
翌日、屋敷を訪れるなりセヴランが謝って来た。
とりあえず二人は周囲の耳に入らぬよう、身を寄せ合って小声で会話する。ミレイアが不自然でないよう盾になる。
「そうなのね。なら私だけで話を聞いてこようかしら?」
「それもごめん。ええと、女性だけで出向かせていいような所の相手ではないんだ」
「まあ」
(セヴランたら。一体どこへ連れて行こうとしていたのかしら)
「ええと、僕はこのまま相手の所に行って日付の変更をお願いしてくるからモルはマチルドを家に送ってくれるか」
「マチルドさん⁉ 一緒に来てるの?」
「今日は仕事が半休なんだそうだ。約束してたからつい迎えに行ってしまったけど、考えてみたら今日は行けないんだなってここへ来て気が付いて……」
「セヴラン……」
うっかりにもほどがある。
けれど連れてきてしまったものは仕方がない。
「わかったわ。こちらでちゃんとお家までお送りします」
「ありがとう、よろしく頼むよ!」
モルガーヌの肩にぽんと触れて走っていく。
慌ててモルガーヌも後を追うと、外では馬車から降りて来る、前と変わらず質素な身なりのマチルドと、入れ替わりで馬車に乗り、二人に手を振って去って行くセヴランがいる。
取り残されたマチルドと、迎えに出たモルガーヌは何とも言えない気持ちで顔を見合わせる。
(いけない! この状況はまずいわ!)
そこでモルガーヌは、家の者達が『モルガーヌの婚約者であるセヴランの馬車に乗り、二人のデートに同行しようとしていたこのお嬢さんは一体何者だろう?』という顔をしているのに気が付いた。
急いで強引にごまかしてみる。
「あ、あーら! マチルド先生! ごめんなさいね、うちの婚約者がうっかり者で! せっかく先生にお時間を割いて頂いたのに、お勉強できなくて残念だわあ!」
「え? あ、はい。残念? ですねー」
「皆、この方はね、大学で植物の研究をされている才女なのよ。ブノワ領の件でお話を聞こうと思って今日来て頂いたのだけど……領地の人がいないんじゃ、仕方ないですわね」
周りの者達にわかるように残念がってみせる。
もちろん、使用人達は特に何も口を挟まない。
「えーーーと。マチルドさん。……このまますぐお帰りと言うのも何ですし……うちでお茶でも飲んでいきます?」
「いえ! とんでもないです、御用が流れたのならすぐに退散致しますので……」
(そうだわ。マチルドさんにとってここは敵地じゃない)
ハッとした。居心地は最悪のものだろう。
そういう場所に恋人を一人で置いて行ったセヴランの無神経さに少しむかっとする。
(……何か。ちょっと、マチルドさんとお話してみたい気分だわ)
セヴランに困らせられる話について、一緒に盛り上がれることもあるかもしれない。
これからしばらく味方として共に行動する相手なのだ。仲良くなるにはいい機会ではないか。
「あの、マチルドさん。私ね、行ってみたい平民向けのカフェがあるの。もし良かったら、一緒に行ってみてくれない?」
そうして二人が平民服に着替えて訪れたのは、田舎の民家をイメージして作られたという、ちょっとした旅行気分になれる外観と内装の店だった。
モルガーヌは通常通り個室に入る。マチルドに複数人で圧をかけるのは嫌なので、ミレイア達にはこの部屋の扉が見える席で待っていてもらう。
「ボルドン! 凝ってますね、この花はこの家のモデルとなった地方でしか咲かない花なんですよ」
「まあ。そうなのね」
個室内に飾られた花瓶の花にマチルドはご機嫌になる。緊張していた様子が少しだけ解れた。
「王都にはこんな素敵な場所があるんですね。私は人づきあいもうまくなくて、世の中の情報に少しうとくて……平民変装が流行っているというのも初めて知りました」
「そうなの。良かったら、これからも一緒にカフェ巡りでもしてみない?」
マチルドはただ無言でにこにことしている。
(……あ、これはお断りされたのね)
馴れ馴れしすぎたかと反省する。
マチルドという人は、一見びくびくしているようで、自分の意見はきちんと通す人物なのだろう。そうでなければ貴族女性が仕事を持って自立するのは難しいのかもしれない。
(さて、何の話をしましょうか)
本当は話題など一つに決まっている。セヴランについてだ。
だが今この状況でモルガーヌからその話を振れば、マチルドに嫌がられてしまうのではないだろうか。そんな気がする。
なのでもう少し当たり障りのない話を提案してみた。
「マチルドさんはブノワ領には行ったことがあるのよね?」
「? はい。仕事でですが」
「残念ながら、私は行く機会に恵まれなかったの。ほとぼりが冷めたら遊びに行くつもりではあるのだけど……」
「まあ、そうなのですか。婚約期間は長いと伺ってますが……」
「花祭りっていう一番いい時期があるでしょう? その頃に我が家の家族の誕生日が固まっていてね。結婚したらそっちは嫌でも行けるんだから、それまでの間は家族の祝い事を優先してたのよ」
「それはそれは……」
そこでお茶と茶菓子が運ばれてくる。
田舎の平民の素朴な菓子を、王都の職人が見た目を華やかに仕立てた物だ。
「それで、どんな所だったかしら? あそこは観光地として有名でしょう?」
「はい。とにかく、王都から遠い所です。馬車と船を乗り継いで寄り道しないで片道十日はかかりました」
「ええ? ほんとにそんなにかかるのね」
モルガーヌが学んだ限りでは、ブノワ領は王都から行くには半月ほどかかる、となっていた。なんとなくこういうものは余裕を持った日数が示されていると思っていたので、実際に行った人の言葉に少し驚いてしまう。
ちなみにセヴランは、ブノワ領がブレイン領より王都から遠いという事実に負けず嫌いを発揮して、あまりその辺の苦労については触れないようにしていた感じがある。
「決して大きくはないですが、本当に、本当に美しい島でした。地上は花々で溢れかえり、青い海は波も穏やかで白い砂浜が宝石のように見えました。そうだ、島の中心に大きな銅像が立っているんですよ」
「銅像?」
「確か、ブノワ領は遥か昔は一つの王国で、のちにベージュリア国に吸収されたのだと聞いています。この場所が国であったことを忘れないように最後の王様の像を立てたのだ、と説明に書いてありました」
「五百年前に無血降伏して国民を守った賢王よね」
習った情報を頭の中で掘り起こす。
「はい。そしてその銅像のお顔が! なんとセヴラン様に似てるんです。ご先祖だから不思議はないんでしょうけど、ちょっとおかしいですよね」
「待って。王様の銅像がセヴランに? どんな服装とポーズなの?」
こう、と言ってマチルドは両手を上げた。
「両手で空を支える姿をしています。服装……というか服の形はよくわかりません。王様の体は全部生花で覆われていて、それが服みたいになってるんです。頭にはもちろん大きな花の花冠です。私が見た時はデレラ……赤い花でしたが、こまめに入れ替えているようですから色んな色のバージョンがありそうですね」
「セヴランの顔に花のドレスと花冠……」
モルガーヌは想像してみた。
そして思わず吹き出してしまう。
釣られたようにマチルドも笑った。
「銅像に似てると思ったと、セヴラン様には言わないでおきますね」
「ううん、言ったらノリノリで仮装して笑わせにくるわよ。むしろそそのかしてみてよ」
「そそのかす、ですか」
目をぱちぱちとさせて驚いている。あまり人に悪さを進めるような経験はないのだろう。
モルガーヌは慌てて付け加えた。
「もしそれで気不味くなったら私の入れ知恵だってちゃんと言ってやってね」
「……はい」
にっこりと笑う。
それはカフェ巡りを断った時と同じ種類の笑顔だった。
(……これは。ちょっと押しつけがましかったかな)
なんとなく妙な間が生まれてモルガーヌは茶菓子をちょこちょこ口にする。
しばらくして。
モルガーヌ様、とマチルドが口を開いた。
「……セヴラン様との婚約解消の件。本当に、後悔されていませんね?」
「!」
カップに伸ばした手が空振りする。
(何故いきなり。と言うか、驚いたわ。これからずっと色んな人から同じ言葉を聞くだろうとは思っていたけど。まさかこの相手からそれを言われるとは思ってもみなかった)
モルガーヌはお茶を口にして気を鎮める。
突然の問いかけにどきどきしている。でも絶対に、マチルドの前で動揺する所は見せたくなかった。かわいげのなさは周囲の折り紙つきなのだ。
「……それを聞いてどうするの? 私の方の後悔は、貴女達のこれからとは何も関係ないと思うのだけれど」
「っ……」
そう返されたマチルドは体を揺らした。何度か何かを言いかけては止める。
それを繰り返した後、次第にその目がうるうるしていく。
モルガーヌは、焦った。
(え! 嘘! これ泣く状況⁉ 私が泣かしたことになる⁉ どうしよう、嫌だ困ったなんとかしなきゃ!)
咄嗟に昨日のマチアスが頭に浮かんだ。モルガーヌは反射的に立ち上がるとマチルドを抱き締める。
「大丈夫よマチルドさん! 貴女は何も悪くないから! 私も全然怒ってないし、後悔なんかしていない! 真実の愛は美しいわ、どうか私のことは構わず二人でその思いを貫いてちょうだい!」
「モルガーヌ様……! どうして貴女は……!」
マチルドが何かを言いかけた時だった。
二人の死角である方向から、ガタンと物音がした。
「え、」
「声を出すなよ」
モルガーヌは。
気付くと何者かに背後を取られ、目の前にはぎらつくナイフが付き出されている。
視線だけかろうじて動かせば、路地裏に面した窓からはもう一人男性が入ってくる所だった。
「こいつらで間違いないな?」
「ああ。ブレイン家の馬車で貸衣装屋に入った」
背後の男は窓辺の男に答え、再びモルガーヌ達に向き直る。
「ブレイン家の娘はどっちだ? ……ああ、返事はしていい」
すぐ後ろから聞こえる声にモルガーヌは鳥肌を立てる。
それでも、なんとか声を絞り出した。
「……私よ」
「セヴラン・ブノワの婚約者だな? ならちょっとつきあってもらう」
ナイフが消え、代わりに腕がつかまれる。モルガーヌは恐怖と不快さで顔を歪める。
(何なの、この人達は)
侵入者は二人。身分は平民だろう。見たこともない者達だ。目的はブレイン家の娘の誘拐であると言う。
怖がりながらもどうにか状況を把握しようとするモルガーヌのすぐ傍で、何故かマチルドが手を挙げた。
「お待ちください! い、今の婚約者はその方ですが、結婚するのは私です! 連れて行くなら私を! その方との婚約はもうすぐ解消される筈ですから!」
(マチルドさん!)
あまりにも無謀な自己犠牲精神に愕然とする。
すると、窓辺にいた男がいきなり笑い出した。
「婚約解消だあ⁉ ハ! 田舎を嫌って一度も領地に足を運ばず、ごねにごねて結婚式まで延期させたってオジョーサマがついに見捨てられたってワケか!」
「え」
(何故そんな話になってるの⁉)
思わずマチルドと顔を見合わせてしまう。
一応は疑いを浮かべるマチルドに、ぶんぶん首を振って否定しておく。
「どうするよ。なら役に立つのは茶髪の方か」
「……いや。念のため両方連れて行こう」
「待って!」
モルガーヌは声を上げる。
「その娘の言ってるのは戯言よ! 私はセヴラン様と別れるつもりなどないわ! 婚約者は私だし、結婚するのもこの私です!」
自分一人なら隙を見て逃げ出せるかもしれない。だがマチルドではその手段すらないだろう。
男達は「はあ?」と訝しむ顔を見せ、マチルドがさらに割り込んでくる。
「そ、そちらこそ嘘です! 私達は今婚約解消申請を婚姻省にしていて、」
「お黙りなさい、この……泥棒猫が!」
(どうして引いてくれないの!)
モルガーヌとマチルドは不毛な睨み合いをした。
窓辺の男は二人を見比べてにやにやする。
「おお、修羅場じゃねえか。うちの坊ちゃんは案外モテモテなんだな」
「……どっちでもいい。とにかく両方連れて行くのは確定だな。縄を貸せ」
最初の男が窓辺の男に手を伸ばした。
その時だった。
突如開いたドアから何かが飛んできた。
同時に飛び込んできたブレイン家の護衛がテーブルごと窓辺の男に突進する。
「お嬢様‼」
ハッとしたモルガーヌはマチルドを抱えて入り口で待ち受けるミレイアの下へ行く。ミレイアはすぐさま二人を後ろ手に庇い前に出た。
その間に、騎士はぐったりとした窓辺にいた男を拘束していた。
モルガーヌが目をやると、最初の男は肩を押さえて蹲ったたまま動かない。足元にはミレイアの愛武器である鉄製の警棒が転がっていた。
(一体何が起きてるの?)
震えるマチルドと身を寄せ合ったモルガーヌは、ただただ呆然としていた。




