家族には話したくない
その後、すっかり気落ちしたモルガーヌは屋敷に戻ると自室ではない場所に直行した。
それは最愛の甥っ子エリックのいる部屋であった。
生憎本人はお休み中だったので、モルガーヌはベッドのふちに手をかけてその寝顔をじっと覗き込む。
(……天使だわ。どうかこの子だけはいつまでも綺麗なままでいてくれますように)
そっと手を置いて純粋成分に癒される。
モルガーヌの不審な行動にミレイアも甥の世話係たちも何も言えずにただ見守っている。
「ここにいたかモルガーヌ」
そこへ。
扉を開けて入って来たのはモルガーヌの兄でエリックの父親であるマチアスであった。
マチアスは無言で部屋の奥まで進み、一度エリックを覗き込んでにんまりすると、すぐモルガーヌを見下ろす。
「話がある。私の部屋に来なさい」
そう言ってさっさと歩いて行ってしまう。
モルガーヌはミレイアと顔を見合わせた後、その後に続いた。
二人が追い付くと、既にマチアスは仕事机の椅子に腰かけている。
「早速だが。今日、街中で捕り物があってな」
「まあ大変。お怪我はありませんでした?」
「ああ。俺が直接出た訳じゃないからな」
マチアスは刑部省の人間だ。その中でも王都の警護の責任のある部署にいる。
本人は体を動かすのが大好きなのでなるべく現場にいたいそうだが、位が高くなるとそうもいかなくなるらしい。
(でもなんだかんだ理由をつけて現場に出てるって聞いてるわ)
いつまでたってもやんちゃな兄の身を案じてしまうモルガーヌである。
「とろこで我が妹よ。最近貴族の子女の間で、平民に変装して平民の店に出入りするのが流行だそうだが、お前は知っているか?」
唐突に振られた話に心当たりのあり過ぎるモルガーヌは焦った。
(完全にとぼけたらきっと怪しまれる!)
「え、ええ、もちろん知ってますわ。私もお友達に誘われて何度かやってみたことはありますけど……」
「うむ。その際、平民の衣装と着替えの場を用意する店がいくつかあるだろう? その商売によからぬ輩が目をつけてな。平民服に着替えて護衛をつけずに街歩きをしていた貴族令嬢が攫われかける事件が発生した。幸い、未遂で済んだが」
「! それは……恐ろしい話ですね、その方がご無事でよかった……!」
「ああ。何かあってからでは取り返しがつかないからな」
マチアスは机の上で両手を組むと、軽く身を乗り出した。
「ということで、今後貴族への注意喚起をする為に、貸衣装屋の利用者の名簿を提出させた」
「……まあ」
(まずいわ)
椅子に座り、正面を向いたままモルガーヌは目を逸らす。
だが容赦なくマチアスは続けた。
「お前とセヴランの名があった。ここ最近の上得意としてな」
「さっきのは嘘です! 本当はセヴランと二人で平民変装したデートに嵌ってますの!」
一部は認めてしまおう。その方が被害は少ない。
「そうかそうか。私はその事実を部下に伝えられ、『婚約者同士仲良しで素晴らしいことですな』とにやにやしながら言われてちょっと恥ずかしかった」
「……悪評でないのだからいいではありませんか」
「その年上部下が流れで自分の娘と婿の不仲について長い愚痴を始めそうだったから、急いで仕事を切り上げて来たんだ」
「それでお早いお帰りに……」
マチアスの指がとんとんと机を鳴らす。
「名簿には、昨日の貸し出しの記録もあった。昨日は二人でマチネに行くと言っていたな? わざわざ着飾ったのを一度平民服になって帰る時には元通りで帰って来た。……そうまでして本来の行動を隠す理由は何なんだ?」
「それは、ええと、やっぱりこういう遊びは叱られるかと思って……」
「ふうん? では明日からお前にはミレイアの他に護衛をつけるがそれは受け入れるな?」
「お兄様!」
モルガーヌは悲鳴のような声を上げた。
一度疑われてしまったら、マチアスはとことん調べるだろう。そういう人物であった。
(……ああもう。これは、隠し通すのは無理ね)
仕方なく、モルガーヌは渋々とセヴランとの婚約解消について話さざるを得なくなる。
「……と、いう訳ですの」
「モル……」
話を聞き終えたマチアスは両手で頭を抱えて机に突っ伏した。
「お前と言う奴は……二人でこっそり何かをやらかしてるにしてもさすがにここまでとは思わなかった。ひどすぎるな!」
「ごめんね、お兄様。でも私から言い出したのじゃないのよ」
「家に相談もせず受け入れたのはお前だろう!」
「反対されるに決まってるのをわざわざ知らせる必要はないでしょ。そもそもよ! この婚約なんて、続けようが止めてしまおうが大した意味はないじゃない!」
机を叩くマチアスに、負けじとモルガーヌもはたき返す。
「元々は双方のお爺様同士が旅先で知り合って意気投合して『いつか年頃の合う子供たちが生まれたら結婚させような』なんて軽い口約束を交わしたのが実行されただけでしょう! しかもお爺様たちは二人とも亡くなってしまっているし!」
「だがな、」
「政治的意味合いだって、敵のいない同じ派閥同士の結束がこれで少し固まるよねってくらいじゃない。取ってつけたようなメリットだわ、無くてもちっとも困らないくらいの!」
ブレイン家もブノワ家も国の議員として席はあるが、その活動には力を入れていない。ブレイン家は刑部の幹部を代々務めているし、ブノワ家は領地経営に力を注いでいるのだ。
マチアスは反論を探すが出てこなかったらしい。わざとらしい大きなため息をついてみせた。
「……お前のそういうかわいげの無さにセヴランも見切りをつけたのかもしれないな」
「! ……私のせいで婚約が無くなったって言うの?」
モルガーヌは動きを止めた。
マチアスの言葉が思いの外深くモルガーヌの心に突き刺さる。
(いくらなんでも。婚約者に手を離されたばかりの女性にその言葉は……ひどすぎるわ)
しかもその婚約者はこちらに嘘をついているのだ。モルガーヌの中に悲しみが蘇る。
「そこまでは言ってないが、!」
否定しようとしたマチアスは、目の前の本人を見てぎょっとする。
モルガーヌの瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
慌てて立ち上がったマチアスが机を回ってモルガーヌを抱き締める。
「悪かった、言い過ぎた」
「マチアス様。モルガーヌ様はかわいげの無さがおかわいらしいのでございますよ」
「うん、そうだな。ミレイアの言う通りだ」
しゃくりあげるモルガーヌの頬を取り出したハンカチで懸命に拭う。
「かわいいモル。色恋というものは必ずしも素晴らしい人間が選ばれるという訳じゃないからな。間違っても、相手より自分が劣っているなどとは考えぬように」
「っ……そうかしら」
「そうだとも。それに、考えてみたら、あの男はお前を預けるにはちょっと頼りなさそうだったよな!」
「! セヴランの悪口は言わないで!」
「……すまない」
「マチアス様はしばらく黙ってらして下さい」
やって来たミレイアがマチアスをモルガーヌから引きはがすと、モルガーヌの方は椅子に座らせる。そして目の前に温かく甘いお茶が用意された。
(……恥ずかしいわ。こんな風に取り乱してしまうなんて)
でもせめて、こうなるのがセヴランの前でなかったことだけは救いである。
(そうだ。こういう点は今後婚姻省でも攻められるかもしれないわね。これからは、ちゃんと心に防壁を作っておきましょう)
後でミレイアと一緒に『捨てられた女性が言われたら傷つく言葉リスト』を作っておこうと思う。それを何度も読み込んで心を慣らしておくのだ。
お茶を一杯飲み干して、モルガーヌはようやく落ち着きを取り戻した。
この際なのでついでに、ルーセルに言われて不安に思っていることと、セヴランが何か隠しているかもしれないこともマチアスに打ち明けてみた。
「セヴランがお前に嘘を。でも、不審な点は婚姻省が調べてくれるんだろう?」
「この短期間ではそちらも限界がありそうですしねえ」
ミレイアが頬に手を当てて首を振る。
「お兄様。ブノワ領が現在金銭的余裕がないというのは本当ですよね?」
「ああ。父上が援助を申し出たらしいが、断られたようだ。我が家に縋るほどの状況ではないらしい」
「では他に、婚約を解消する上で伏せておいた方がいいことって……」
「ザーラ家が実はかなりの資産家で、金銭目当ての結婚をしようとしているとか」
「面談ではどちらがセヴランの利になるか、という話だったじゃない? その事情ならさっさと解消の許可が出ていると思う」
「それもそうですねえ」
そう言えば、とマチアスが手にしたカップを置いた。
「最近王都でやけにブノワ領の馬車を見かけるな、とは思っていたな」
「セヴランもなんだか忙しそうだわ」
ふむ、とマチアスがうなづく。
「わかった。こちらでも少し調べてみよう。父上や母上にはまだ内密にしておくよ」
「ありがとうお兄様。そうしてもらえると助かります」
「後は密かにお前の次の縁談相手を見繕っておくかな。跡取りにこだわらなければ経済的に豊かな子息はたくさんいるだろう。それでもよい相手がいなければ、最悪、形式だけでも私の妻ということにしていつまでも家にいてもらうという手もある」
マチアスとモルガーヌは実の兄妹ではない。血の繋がりはほとんどないと言ってもいい。
モルガーヌの両親は結婚十年経っても子に恵まれなかった為、遠縁であるマチアスをマチアスが五歳の時に跡取りとして迎え入れた。
けれど。マチアスがこの家に来てすぐ、ブレイン夫婦は実子であるモルガーヌを授かったのである。
この場合、マチアスとモルガーヌの結婚も考えられたが、その時には既にマチアスには婚約が決まっていた。モルガーヌが女子であったことと、なんとしてでも実子に跡を継がせたいという願望もなかったブレイン夫妻は婚約解消の面倒さを考え、モルガーヌをそのまま嫁に出すことにしたのである。
そのマチアスは数年前、幼い頃からの婚約者と無事に結婚をした。しかしその女性は長子となるエリックを産んだ際、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまったのだ。それが昨年ブレイン家に起きた不幸だった。
ブレイン家のものとは微妙に違う淡い金髪、緑の目をしたマチアスをモルガーヌは見つめ返す。
(……本気じゃないくせに)
気付かれないよう、そっと掌を握り締めた。
「お兄様の妻になるくらいならエリックの侍女になってここで働きます」
「ええーそんなに嫌がるなよぅ」
「私などを持ち出さなくても。後妻の話ならたくさん届いているのではないかしら?」
マチアスは、武骨な中身とは相反してどこぞの王子様のような美麗な顔立ちをしている。なので貴族女子の間では人気もあり、後妻とは言え嫁ぎたいと立候補する者が後を絶たない。
そんなマチアスの口元がわずかに上がる。
「……私の最初の天使はさっさと天に帰ってしまったからな。人間の女性にその後釜を務めろというのは酷な話だろう」
「私は?」
「モルガーヌは3番目の天使だ。エリックが2番目だな」
「出会った順番がぐちゃぐちゃですわ」
優しい義姉を思い出し、うっかり泣きそうになるのを堪える。
その顔を見られないようにして、モルガーヌは立ち上がった。
「ともかく、そういう次第ですので。私達はしばらく隠密行動をしておりますが、危ないことではないので心配しないで下さい」
「悪い遊びよりやっかいな話なんだが。まあ、うちのお姫様が満足出来るようにこちらも出来るだけ手を貸そう。……ミレイア。少しでも危険に近づこうとしたら引き摺ってでも連れて帰るように」
「承知致しました」
ぐるぐると肩を回す。
(絶対に、本気でやる)
街中でさらし者になる自分の姿を想像し、くれぐれも安全第一で行こうと心に誓うモルガーヌであった。




