本人と話したい
翌日、モルガーヌは前回とは違う落ち着いたカフェの個室でセヴランと落ち合った。
「マチルドさんは来られないの?」
「ああ、彼女は勤め人だから。あんまり自由な時間は取れないんだ」
残念なようなホッとしたような気持ちでモルガーヌは、そう、とうなづいた。
「彼女、結婚したらお仕事はどうするの?」
「続けてもらうよ。どうしてもそうしたいって言われたんだ」
「へえ。そうなのね」
(じゃあブワノ家の妻としての仕事はどうするのかしら……まあ、セヴランがなんとかするのでしょうね)
自分の中で結論づけて口には出さないでおく。
「そう言やペレーズさんのお嬢さんも仕事を持ってるらしいんだよ。結婚しても働き続けることについて二人で話が盛り上がってたなあ」
「ペレーズさん? って面談員の? いつの間にそんな話をしたの?」
何故そんな名前が。とモルガーヌは首を傾げる。
「昨日の帰りにな。なんだかものすごく急いで駆け付けたい場所が出来たとかで、馬車に乗せて貰えないか頼まれたんだ。こっちは少しでも心証をよくしたいからな、当然乗せてあげたよ」
「……待って」
うまくやっただろう、という顔のセヴランを前に、思わずモルガーヌは動きを止めた。
「……私、昨日、ルーセルさんを送って行ったわ」
「へえ? なんでそんなことに?」
「目の前で暴漢に襲われてたのを偶々助けて……!」
ハッとする。そしてテーブルを平手でバンとはたいた。
「やられたわ!」
「ええ?」
「全部嘘! お芝居だったのよ! 私達の気が緩んだ所で個別に話を聞くのが目的だったんだわ!」
「ええ⁉」
セヴランが立ち上がる。
よくよく考えてみれば。あのタイミングで、偶然モルガーヌ達が事件を目撃するなど出来過ぎだった。
まさか侍女に助けられるとまでは思わなかっただろうが、怪我をして送ってもらうまでは計算の内だったに違いない。
「本当か、いやでもそこまでするかあ?」
「あんなにあっさり面談が終わったのを変だって思わなかった?」
「うん……そりゃ、思ったけど……えええ! そうか、そういうことするのか……うわあ、騙されたなあ」
頭に手を当て、セヴランは崩れるように腰を下ろした。モルガーヌも淑女にあるまじき動作で今度は拳でテーブルを叩く。
(悔しい。人の善意を利用して騙してくるなんて……!)
いやそれよりも、簡単にぺらぺらと自分の心情を話してしまったことを後悔する。あれが面談の場だったら、もう少し警戒して、解消に近づくような返答が出来ただろうに。
「……そっちは何か不利になるような話はしてないわよね」
「ない、と思う。いやそれがどんな話題かわかんないけどな。俺達の馴れ初めとか結婚後の予定とかそういうのを話したかなあ」
興奮を収める為か、セヴランはカップに残っていたお茶を一気に飲み干した。
(俺達)
一方モルガーヌはまた余計な言葉に引っかかってもやっとする。
薔薇色のカップの中身を意味なくスプーンでかき混ぜた。
「モルの方はどうなんだ? ルーセルさんとどんな話を?」
「こちらは……」
昨日のやりとりをざっと思い浮かべる。
そこで咳払いをしながら改めて視線を向けた。
「ねえセヴラン。貴方にちょっと、確認したいんだけど。……貴方、最近パティと会ってる?」
「パティ? ……あー君の従妹か。葬儀の時以来会ってないけど。……それがなんかあるのか」
「いえ。会ってないならいいの」
モルガーヌ的には心底ホッとした。それだけは何がなんでも起こって欲しくない事態だったのだ。
それと、もう一つの懸念を尋ねてみる。
「あと……怒らないで聞いて欲しいんだけど……その。貴方とマチルドさんってどういうおつきあいをしているのかしら」
「どういう? ってどういう意味だ?」
セヴランの眉が上がった。
モルガーヌは内心焦る。
(うわ、ものすごく言いにくい! ここで察して欲しかった!)
それでもはっきり言わなければ通じないのだろう。意を決して聞いてみる。
「あのね。だから、男女のおつきあいで時々あるって言うじゃない? それまでそういうつもりじゃなかったけど、とある出来事があって、責任を取るという形で結婚する、みたいな……」
「?……!」
セヴランが再び立ち上がった。
「……それは俺とマチルドに対する侮辱だ」
「! ごめんなさい……」
長い付き合いの二人だったが、それはこれまで見たこともないようなセヴランの怒り方であった。
最初に予防線を張っていたモルガーヌでさえ思わず謝らざるを得ないような。
「っ……」
さらに感情を吐き出そうとしたセヴランはどうにか自制したらしい。そのまま乱暴に腰を下ろして顔を上げない。
モルガーヌは慌てた。
「ごめんねセヴラン。本当、失礼だった。ルーセルさんに言われてそういう可能性もあるのかなってちょっと思っちゃって……」
「……パティと会ってるのかっていうのも?」
「実は相手がマチルドさんじゃなく、私が嫌がる人なこともあるかもって……」
正確にはそれを言ったのはミレイアだが黙っておく。
「なんだよそれ。要はそっちは俺が嘘ついてるかもって話をしてたのか」
「ごめん! 今から思えば、こうやって後で私達がちょっと揉めるように仕組まれたのかもしれない?」
「ふん、どうだかな。その場でモルが笑い飛ばしてれば済んだ話だろうし」
「ああ、もう、ごめんなさいってば! 疑って悪かったわ! 反省してる! そうだ! お詫びに前に断った絵柄で刺繍してあげる!」
モルガーヌの得意なもののいくつかの中に、刺繍があった。
セヴランはモルガーヌの作ってくれる、彼のおかしなリクエストにきっちり答えた世界に一つだけのハンカチを使用するのが好きだった。
モルガーヌの言葉を聞いてセヴランの目が光る。
「ムージ広場のトゲル将軍の騎馬像だな⁉ なら布地いっぱいに大きく作ってくれ!」
それは以前、あまりにごちゃごちゃしていて難しいとモルガーヌが嫌がった題材であった。自分で言い出しておいてまだ少し抵抗したくなってしまう。
「ハンカチとして使いづらいと思うけど……」
「いいんだ。……モルからこういうのを貰えるのも最後だしな。部屋にでも飾っておくよ」
「わかった。ならこっちも気合を入れて刺繍するわね」
ふとセヴランが気が付いた。
「そうか。……だったら俺も最後に何かモルに贈るよ。記念になるような物。何がいい?」
「ええ? そうねえ……じゃあ、セヴランの絵がいいわ」
セヴランは多趣味だ。上手にこなしているものも、そうでないものもたくさんある。モルガーヌはその中では彼の絵画の腕前を一番に評価していた。
「壁に飾るようなのじゃなくて……棚とか鏡台に置いておけるような、小さくて、綺麗で、見ると優しい気持ちになるようなそんな花の絵が欲しい」
しっかりとイメージが固まっているのは理由がある。
結婚したら年に一度セヴランにそのような絵を描いてもらおうと思っていた。部屋中の置き場が少しずつその絵で埋まっていき、最終的には花畑の中にいるような気分に浸る予定であった。
(もう、そんな計画は叶わなくなってしまったけど)
胸の中にわずかな寂しさが過った。
「……ブノワ領の花祭り。結局見られなかったわね」
結婚すれば嫌でも毎年見られるから、と、国内でも有名な観光名所になっているその祭りにモルガーヌは参加したことがなかった。
一瞬、何か驚いたような顔をしたセヴランは、すぐにくしゃりと顔を歪めて笑う。
「……ほとぼりが冷めたら……エリックと一緒に遊びに来なよ」
「男子はお花なんて興味がないのよ」
「大丈夫だ! あと十年もしたらうちの領地には巨大公園が出来上がってるからな! 老いも若きも男も女も楽しめる、そんな場所にするから! そしたらエリックも喜ぶだろう?」
セヴランの顔が輝いていた。
彼の多趣味には、一つの目的があった。それはいつか自分の領地に誰もが楽しめる観光施設を作ること。
ブノワ領は元々観光で潤っている土地であった。
美しい海や穏やかな気候、領内に昔からある花々を愛する文化などを求めて外国からも人が入る。
けれど、それだけではいつか飽きられてしまうとセヴランは子供の頃から語っていた。
もっと来た人々がわくわくするような、刺激ある場所にしたいのだ。
そのような夢を話すセヴランを、モルガーヌは尊敬を持って応援しようと思っていた。
けれどその場所から自分は下ろされてしまった。これからは、それをするのはマチルドの役目である。
(いけない。湿っぽくなっちゃう)
モルガーヌはハッとなった。なんとか気分を換える。
「ねえ! せっかくだから、今まで結婚すると思ってたから言えなかったけどそうじゃなくなったから言ってもいいかなってことを暴露し合わない?」
「な、なんだよそれ」
「じゃあ私からね。皆に黙ってなさいって言われてたから内緒だったんだけど。実は私、子供の頃からミレイアと一緒に武術の訓練を受けてて結構強いのよ。多分セヴランと戦っても勝つわ」
突然の告白にセヴランは口をぱくぱくさせる。
「……君とうっかりとっくみあいをしなくてよかったな」
「子供の頃はぎりぎりだったわね? 投げ飛ばさないようこれでも自制してたのよ」
「それはどうもありがとう」
頭を下げて来る。顔を上げ、口を開いた。
「じゃあこっちも今だから言うけど……俺。子供の頃から今この時までずーっと、君の家族が怖かった。あとミレイアも」
「あら」
確かに。ブレイン家は武人の家系で、父も兄もばきばきに鍛えた体をしている。
舐められたら負けの精神で常に圧を放っているので人から怖がられるのは正常反応と言っていいだろう。
「……家族には、婚約解消が決まったらそっちには接触しないよう言い含めておくわ」
「そうしてもらえると助かる」
もう一度頭を下げて来る。
それから二人は思い出話に花を咲かせた。
改めて昔を振り返ることなど意外になかったもので、あの時本当はああだったこうだったの話がぽろぽろと出てくる。
(なんでも話せてると思ってたけど。私達、案外お互いに遠慮してたのね)
その内に部屋の扉がノックされ、ミレイアが中に入って来た。
「そろそろお時間です」
「お、もうそんなか」
「どうしよう。今日は肝心な話をほとんどしてないわ」
するとセヴランが一枚のメモを服から取り出す。
「婚約解消は見つからなかったけど、離縁経験者で会ってもいいって人は見つかったから。明日一緒に会いに行って、それから傾向と対策を考えよう」
「探しておいてくれたの?」
メモを受け取りながらモルガーヌは驚いた。セヴランは得意げに胸を張る。
「こう見えて俺は出来る男なんだ」
「すごい! 知らなかった! もっと早く知りたかった!」
そして二人は明日の待ち合わせ時間を決めてカフェを出ることにする。貸衣装屋の返却時間が迫っているのだ。
「あのー、一つお伺いしたいんですが」
通りを歩き出した二人にミレイアが発言する。
「どうしてわざわざ平民に変装して密会するんです? いくら隠密行動とは言え他にもっとやり方があるような……」
そんなの決まってるじゃない、とモルガーヌは胸を反らした。
「楽しいからよ」
「楽しいからだ」
モルガーヌとセヴランの返答が被る。
ミレイアは大きなため息をついた。
「そういう所は息が合うお二人なんですけどねえ」
「気が合うだけで恋をするなら、この世に友人関係はなくなってしまうわ」
「ああ、それもそうですかねえ」
なんだか残念そうに頷いている。
「それで、お嬢様。昨日の憂いはすっかり晴らせたのですね?」
「ええ、そうね。だいたいは」
妊娠疑惑もパティ疑惑も杞憂であった。
(一応最後に確認しておこうかしら)
モルガーヌは足を止めてセヴランと向き合った。
「ねえセヴラン。一応聞いておくわ。……貴方、この婚約解消の件で私に隠してることは無いわよね?」
「……もちろんだ! 俺が君に嘘をつく訳がないだろう」
ハハ、と笑って歩き出す。
その後姿を見ながら、モルガーヌの顔からはさあっと血の気が引いていた。
(今、セヴランの鼻がぴくっと動いた……これは、この人が嘘をつく時の反応……!)
セヴラン・ブノワは婚約者に言えない秘密を持っている。
これが今日この日、モルガーヌが手にした確かな結論であった。




