お別れを言いたい
「本当に、申し訳ございませんでした!」
婚姻省の待合室で。
マチルドはモルガーヌへと深々と頭を下げた。
「セヴラン様からこのお話を持ち掛けられたのが、丁度、周囲からの縁談攻撃で頭がおかしくなりそうな時で……自分も楽になって誰かのお役に立てるならいいかな、と話に乗ってしまいました」
「頭を上げて! マチルドさんはなんにも悪くないんだから!」
モルガーヌは慌てて彼女に寄り添う。マチルドは泣きそうな笑顔で首を振る。
「いいえ。私は悪い人間です。……本当は、こうなるかもって途中で気付いてました。モルガーヌ様のセヴラン様へのお気持ちが、その、わかりやす過ぎと言うか、セヴラン様のお話とちょっと違うなと言うかで……。でも私は黙ってたんです。自分の為に。……ですが結局こうなって……やっぱり、ずるいことって出来ないものなんですね」
「!」
(私が自覚する前にばればれだったのね……)
少し顔が赤くなる。
「それで……マチルドさんはその縁談攻撃? をこれからどうするの?」
「そうですね。今回のことで気付いたのですが、世の中には色々な需要があるんだなって。だから私と同じように、名ばかりの婚約者を探している男性をどうにか探し出してみようと思うんです」
「そ、そう。その……頑張ってね。よいご縁があるようお祈りするわ」
「はい!」
そうして最後に。モルガーヌは気になっていたことを口にした。
「その……マチルドさんは本当は、セヴランとなら結婚してもいいかなって思ってたり……」
「ないですね」
穏やかだがきっぱりとした拒否を意味するあの笑顔が向けられた。
モルガーヌはホッとするのとそこまで否定しなくても、の両方の気持ちになる。
そこへ、婚約解消申請取り消しの受付を済ませたセヴランが戻って来た。
彼は一度二人の前で立ち止まると、彼女達に向かってぴしっとした動作で頭を下げた。
「君達には、色々と面倒をかけた。申し訳ないと思ってる」
「もう。何回謝ったら気が済むの」
「そうですよ。こちらは問題ありませんから」
「そもそもです。セヴラン様が婚約解消を申し出てきた時に、お嬢様が大泣きして嫌がっていればここまで話が大きくならずに済んだのでは?」
ミレイアの言葉にハッとした二人がモルガーヌを振り返る。
「私のせい⁉」
確かにかわいげがないという自覚はある。その不利益がこんな所で出てしまうとは。
モルガーヌが呆然としている所へ。
受付の方から数人の人物が歩いて来た。
ロッシュ、ペレーズ、ルーセルの三人だった。
まずはロッシュが手にした書類をセヴランに渡す。
「婚約解消申請取り消しは受理されたよ」
「はい」
(取り消しはびっくりするほど簡単なのね)
「こうなると思ってましたよー、私、二人に縁があるかどうかって匂いでわかるんです」
「はい君、適当なことを言わない」
ペレーズがルーセルの肩をぽんぽんと叩く。
そこでふとロッシュが彼女にしてはらしくなく、視線をモルガーヌ達から外して口を開いた。
「……一応確認だが。ブノワ令息が怪我をした件、訴えたりはしないんだね?」
「はい。自分で勝手にやったことですから」
「そうかい」
ロッシュの体から力が抜けるのがわかった。
(驚いた。この人達にとって一番の大問題はそれだったんだわ)
モルガーヌはセヴランと目と目を合わせる。
(……これは。あの話が行けるかも)
「あの、ここだけの話なのですけど」
そう言ってモルガーヌは関係者を近くに集めて声を潜める。
「セヴランとも話したんです。ブノワ領にですね。婚姻省の離縁や婚約解消に関する課題? 試練の場? そういう施設を作らせてもらえないかなって」
「……は?」
おそらく、出会ってから初めて。
こちらの三人の心底驚いた顔を見てモルガーヌは少し胸がすっとする。
「私達にしたような騙し討ちはできないかもしれませんが……ここで起こったことに一切の訴訟は起こさない、みたいな誓約をしてもらってから課題に挑戦してもらうんです。その為に必要なシチュエーションとか役者さん? とかをこちらで提供したり……なんでしたら、領民ぐるみで協力したり」
まだ外部には明かせないが、もちろんそれをするなら新領地でのつもりだ。そこで産業の一つになってくれればいいと思う。
「何もかもがそちらでコントロール出来るなら、街中で実行するよりは少しは気が楽かなと思いまして」
セヴランが付け加える。
課題として刑部に関わらせると聞いた時。婚姻省が何より気を付けていたのは申請者が不意の事故に遭わないかという点だろう、とモルガーヌ達は思ったのだ。
セヴランの怪我に対する今日のロッシュの反応で、それは証明された気がする。
婚姻省の三人は顔を見合わせた後、ロッシュが苦い顔で言った。
「考えとくよ」
ロッシュはそのまま背を向けて、ペレーズは肩を竦め、ルーセルは手を振って去って行く。
モルガーヌとセヴランは顔を見合わせた。
「……手応えは悪くなかったよな?」
「今度きちんと書類を作って提出してみましょうよ」
「……お二人は本当に気が合うのですねえ」
マチルドがつくづく感心した、というように笑った。
その後モルガーヌとセヴランの生活は元通りに……はならなかった。
ブノワ一族は一丸となって金銭の工面、新領地の整備、脱出船の手配、当面の保存食の準備などに追われた。王家と共にブレイン家もそれに協力した。
王家が手助けをするには理由がある。五百年前の無血降伏の際。ヒイロの王はベージュリアの王に、子々孫々までヒイロ一族に便宜を図るよう約束を取り付けたのだそうだ。現王家は律義にそれを守ったらしい。
そしてブレイン家の人々は。最初にブノワ領の話を聞いた時には皆が頭を抱えた。が、モルガーヌの固い決意を前にして彼女の意志を受け入れることにしたのである。
「私の胃痛を返してくれ!」
モルガーヌの婚約解消に死ぬほど悩んだらしいマチアスには叱られた。
ブノワ領については。
とりあえず人数分のテントの用意が出来た所で、領民に火山の話が公表された。
安定した生活を望む者、海を離れたくない者、最後まで島が見える地で暮らしたい者。
それぞれが様々な思いを抱え、新領地についてくる者は領民の半分ほどかと思われた。
領民の最後の集団を乗せた船が、旧ブノワ領から出発する。
その船にはモルガーヌとセヴランが乗っていた。
これが島を見る最後の機会になるから、とこの船に同行させてもらったのだ。
今日のこの日まで、セヴランは悲観的な話をほとんどしなかった。
いつもせかせかと忙しく『次にやるべきこと』を見つけては動き回っていた。
この船に乗るまでも、島に残ると言う老人をなだめすかしてどうにか避難させていた。
そうしてこの帰りの船で。ようやく、何もしない時間が訪れた。
人気のない甲板で、離れていく島を見つめている。
「……美しい島だったわ」
モルガーヌは呟いた。
それは心からの感想であった。
この世の楽園とはこういう場所ではないかと思った。こんな天災に見舞われなければここが自分の最期の地になっていたのだと思うと、なおさらに失われることが悲しかった。
「やっぱり。花祭りにこだわらないで、気軽に遊びに来てればよかった」
「……花祭りにはさ。領主一族が全身を花で飾って山車に乗って島中を回るんだよ」
「……知らなかったわ」
(なかなか派手な行事なのね)
もう少し素朴なイメージを持っていたモルガーヌは驚く。
「その時の母上が、いつもの何倍も綺麗に見えるんだ。だから……モルを領地で初お披露目する時は、一番綺麗な君を皆に見せて、僕の最高の婚約者を自慢してやりたいと思って……」
「……馬鹿ね」
思わず言っていた。
セヴランはハハ、と笑う。
「そうだ。馬鹿だったな。そんなことにこだわらなければ、もっと早くモルを連れてきて、島中を見せてあげられたのに」
セヴランの目からぽろりと涙が零れ落ちた。
モルガーヌは見ていないふりをする。この人は、それを望まないだろうから。
代わりに正面を向いて、彼の手をぎゅっと握りしめた。
「ねえセヴラン。……新領地の真ん中に銅像を建てましょうよ。五百年後の人達の為にね。この美しく豊かで楽しさに満ち溢れた土地を提案した功労者として、貴方の姿を残しておくのよ」
セヴランはふっと笑う。
「……僕だけじゃ嫌だな。モルの姿も隣に並べないと」
「いいわよ? なら三割増し美形に作ってもらいましょう!」
モルガーヌとセヴランは顔を見合わせて笑い合う。
(セヴランとなら)
これからも一緒に失敗して、その度に一緒に学習したりしなかったりして。
ただ守られているだけでは知りようがなかった出来事を山ほど知っていくのだろう。
そしていつかモルガーヌが天国に召される時には。
セヴランの温もりをこの手に感じながら、幸も不幸も精一杯楽しんだ世界にさよならをするのだ。




