わかりあいたい
翌日。モルガーヌはブノワ家を訪れた。
今日はおとなしく療養すると言っていたセヴランのお見舞いである。
この屋敷に来るのは随分と久しぶりだった。
(そう言えば。今年は王都シーズンになってからパーティもお茶会も開かれてない、と聞いてるわ)
セヴランの母親はその手のことが大好きな人間だ。なのにそれらを遠ざけているので、経済的事情が関わっているのかなと考えていた。
モルガーヌが部屋を訪ねれば、セブランはソファでくつろいでいた。
「痛みはどう?」
「ああ、大丈夫だ。軽い捻挫だから少し休んでればいいって医者にも言われたよ」
「そう」
ホッとした。
怪我とは別になんだか疲れているようだったし、今の彼に休養は必要なものだろう。
それから二人はいくつかたわいのない会話を交わした。
しばらくして、モルガーヌは本題に入る。
「ねえセヴラン。私、考えたのだけど。……私達、結婚しない?」
「⁉」
セヴランは思わず立ち上がりかけ、痛みを感じてまた座り直す。何度か口を開け閉めしてから、ようやく言葉を絞り出した。
「……どういう意味だ?」
「私ね、思ったの。婚姻省はきっとこちらの婚約解消を認めてくれる気がないわ。だったらもう、いっそのこと解消はしない方向で考えてみた方が建設的じゃないかしらって」
「けんせつてき……」
それがモルガーヌの辿り着いた答えだった。
このまま審査を続けてロッシュ達にこちらの思いを暴露されてしまうのが怖い。それともう一つ、今後いつまでかかるかわからないけれど、この審査の為に目の前で仲良く寄り添う二人を見ているのもきついだろう、と思ってしまったのだ。
内心とは裏腹に、モルガーヌは笑顔を作る。
「結婚したら私は世界中を巡る旅に出るわ! 観光地の視察という名目でね! どうしても出なければならない公式な行事にだけ帰ってくる。そしてマチルドさんは植物アドバイザーとしてブノワ家で雇って家に住んでもらうの。使用人は口の堅い者で揃えて誓約書を書いてもらいましょう。大丈夫、皆で協力しあえば真実の愛は隠し通せるわ!」
セヴランは呆然としていた。
「モルは……僕に犯罪者になれと?」
「仕方ないじゃない! 愛する人と一緒にいる為なんだからそれくらいの危険は冒しなさい! そうね、二人に子供が出来たら、貴方似なら私達の子、マチルドさん似なら養子を貰ったことにすればいいんじゃないかしら? 信頼できる医者も探しておかなければならないわね、ブノワ家の主治医の方は……」
「モルガーヌ‼」
パン! とセヴランが自分の太ももをはたいた。
あまりにも鋭い声に、モルガーヌは一瞬飛び上がってしまう。
「やめてくれ。それじゃあ意味がないんだよ。……婚約解消は絶対なんだ、今、君が自由の身になることが必要なんだから!」
「……私が?」
意味がわからない。
モルガーヌが必死に考えていると、セヴランがこちらに顔を向けた。
「……好きな人がいるんだろ?」
「!」
そう言って、険しく顰められていた顔が緩んだ。
モルガーヌはただ息を飲む。
「知ってたよ。モルは、ずっと前からそうだよな。だから僕は死ぬまでには君の気持ちをこっちに向けてやるって思ってたんだけど……」
くしゃりと自分の髪をつかむ。
「去年の葬儀でさ、見ちゃったんだよ。……教会でモルを探してて、君の従妹に……パティだったか。あの子に、君が向こうにいるわよって教えてもらった。言われた通り教会の裏側に行ってみたら……君とマチアスが、しっかり抱き合っていた」
(見られていたなんて)
驚いた。全く気付いていなかった。
「ショックだった。殴り込みに行こうかとも思った。でも、気付いたんだ。あの時から……マチアスの隣は、空席になってしまった」
モルガーヌは立ち上がる。
「それが、何! そりゃ抱き合って慰め合うわよ、大事な人を亡くした者同士なんだから!」
モルガーヌの剣幕が予想外だったのだろう、セヴランは怯む。
「こ、声も聞こえた。マチアスは『お前に婚約者がいなければ』って言ってた。君は『言わないで』って答えてた」
モルガーヌの頭には血が上り、顔が真っ赤になる。
「私に婚約者がいなければ婿をとってブレイン家を継いでもらって、自分は隠遁してしまいたかったって意味よあれは! そんな悲しいことは言わないで、が私の返事よ!」
パティ! とモルガーヌは一度怒鳴る。
(絶対に許さない。私の葬式にも来れないよう遺言残してやる!)
「でも、だって……モルがマチアスに恋してたのは事実だろう?」
「……子供の頃の話よ。初めてお兄様がお義姉様と並んでいるのを見た時に、あのデレッデレの変な顔を見せられて私の初恋は砕け散ったわ」
本音を言えば。この婚約解消騒動がその時点より前に起こっていたのなら。モルガーヌの中にはマチアスとの未来が思い描けたかもしれない。
しかしそんな季節はとっくに過ぎ去ってしまっていたのだ。
「で、でも、じゃあ、」
「それで? 私を他の男性に渡せるから、自分も自由恋愛をしようと思ってマチルドさんを選んだの?」
「マチルドにはただ、モルに好きな人と結ばれてもらいたいから婚約解消に協力してくれって頼んだんだ。彼女は家でも職場でも結婚を勧められててとても困ってた。だから僕と婚約して、ずっとその状態を続けようって提案したんだ。結婚しなければ妻の負担は彼女には何もかからないし、婚約してるって事実があれば彼女はそれで身を守れる。お互いに、助かったんだ」
「?」
モルガーヌは一度首を傾げる。
「マチルドさんとは……恋愛関係じゃないの?」
セヴランは慌てた。だが一度口にしてしまったものは取り返しがつかない。
「……そういう、ことになる」
モルガーヌは全身から力が抜けて、すとんとその場に腰を下ろした。
(……セヴランは、恋してなかった)
今回の話があってから、最大の拍子抜けである。
良かった、という思いと。ならばという思いで胸の中がまぜこぜになる。
そこで部屋の隅に控えていたミレイアが、んーんー、とわざとらしい咳払いをした。
二人が振り返る。
「どうしたミレイア。こっちでお茶でも飲むか?」
「甘くした方がいいかしら、お砂糖を三つ入れる?」
「そうではなく!」
ミレイアはセヴランに近づいた。
「セヴラン様。ミレイア様にまだお伝えしてないことがあるのではないですか?」
「?……!」
何かに気付いたセヴランは顔を背ける。
「それは、必要ない」
「必要かどうかはお渡ししてからお嬢様に決めて頂いたらよいではありませんか。ご自分からが無理ならイライラ致しますので私の口から言いましょうか?」
「よしてくれ!」
セヴランが立ち上がった。
「……確かに僕は、モルが大好きだ。幸せになって欲しいと心から願ってる」
「それは恋愛的な意味でございますよね? 友情的な意味ではなく」
「ああそうだよ!」
耳まで赤くしてセヴランは言った。
「……嘘よ」
思わずモルガーヌは言っていた。これを聞いたセヴランがカッとなる。
「っなんでだよ」
「だって一度も焼きもちすら妬かれたことないもの!」
「こ、婚約解消後にエリックと一緒に花祭りに来いって言っただろう! あれを、マチアスと来いと言わなかったのが僕のせめてもの抵抗だった!」
「!」
二人はいつのまにかお互い立ち上がっていた。
モルガーヌは両手を口に当てて震える。
(こんなことって……!)
「でもだからってモルと結婚したくはないんだ」
「⁉」
モルガーヌとミレイアは二人で前のめりになる。
「セヴラン様、それは私に貴方様を殴れと言う合図ですか?」
「そんな訳ないだろう!」
セヴランはミレイアから逃げるように後退したあと、モルガーヌに視線を向けた。その顔は泣き笑いの様な表情になっていた。
「あのさ。こうなったら全部言うけど。……うちの島、無くなるんだ」
「……え?」
聞き違いかと思った。ミレイアと確認し合った後、もう一度セヴランに向き直る。
「いや無くなるって言うと消滅するみたいで違うのかな。もうすぐ……いつかは誰も確定できないけど、そう遠くない先に島には誰も住めなくなるんだそうだ。モル、火山って知ってるか」
「どこか……この世界の遠い所にある火を噴く山だって習ったわ」
「そう、それそれ。うちの島、それなんだそうだ」
(それ、とあっさり言われても)
モルガーヌは混乱し、必死に考える。
「待って、わからない。……ブノワ領は火を噴いてないわよね?」
「うん。僕らの島の記録にも残らないくらい遠い昔に火を噴いて、それっきり休んでいたらしい。それが最近になってまた火を噴く兆候が見え始めたんだって。……今年の初めに植物がやられただろう? マチルドが調べに来てくれて、とりあえず何かの要因で地面の温度が上がったことが原因だってことまでは突き止めた。その頃ちょっと暑かったしな、気温のせいだろう、涼しくなったら戻るだろう、で話しは一度終わった。……でも。マチルドの報告を偶々聞いた別分野の先生がいて。その人が気になることがあるってわざわざうちまで調べに来てくれたんだ。その人はそういうことの専門家で。ブノワ領が火山で、噴火の準備が始まっているって教えてくれたんだ」
「それなら……その間だけ避難するとか、」
「一度動き出したら次の休みに入るまではものすごい年月がかかるんだそうだ」
(……そんな)
モルガーヌは言葉が出ない。
「そういう話を国に相談してみたらさ。特別に、ブノワ家に代替地をくれるって言うんだよ。王都からそんなに離れてない場所だけど……ほんっとーに何もない荒野でさ。大きさ的には島より少し小さいかな? 領民がどこまでついてきてくれるかわからないけど、まあ全部収まらないことはないだろうってくらいの広さだな」
「ブノワ領の人達も……皆、そちらへ引っ越すのね」
「領民の行先は自由だ。領地を移るにしても国が特例の許可証を出してくれるらしい」
商売や何かの為に後からブノワ領に住み着いた人達はわからないが、ヒイロの子孫達はきっとついてくるだろう。モルガーヌはそう思ってしまう。
「でもさ、いきなり島が住めなくなります、出てってくれ、じゃ怖いだろ? だから僕らは代替地を人が住めるようにしてるんだ。幸い水があるからな。とりあえず嵐か何かがあった時全員が避難できるような大きな建物を一つ建てて、残りは領民分のテントを用意しようと思ってる。ひとまず寝る場所だけは用意したからそっちに移ってくれって言われた方が安心すると思ってさ」
「……セヴラン」
「テントはさ! この前のウォルバサーカス団にいい職人を紹介してもらったんだよ! あとさ、産業も農業も何もなくなるだろ? だからここは、前から僕が考えてた巨大公園を作ろうと思うんだよ。一大エンターテインメント領地だな! 実はウォルバサーカス団にも頼んでるんだ、何年かでいいからうちの領地だけで公演してくれないかって。コンサートホールも欲しいな、あと色々な運動が出来る場所とか、協力者がいたら美術館とか、そういう、色々、わくわくするものだ!」
セヴランの瞳がきらきらと輝いていた。
反対に、モルガーヌの顔は暗く打ちひしがれていく。
「……セヴランは、その問題に対処する為に忙しくしていたのね?」
「あ、ああ。婚約者としての務めも果たせないで悪かったな」
「そうじゃないでしょう。……どうして私に何も言ってくれなかったの‼」
ダン、と激しく足を踏み鳴らしていた。
びびったセヴランは一歩下がる。
「だってモルには関わらせたくなかったから!」
「! どうして⁉ 知ってたら我が家だって何か……」
そう言えば、と思い出す。
ブレイン家からの援助をブノワ家は断ったと言っていた。
「……本当は。おじ様もおば様も婚約解消の件ご存じなのね」
だから縁がなくなるブレイン家からの金銭は受け取れなかったのだろう。
セヴランは顔ごと視線を逸らした。
「僕から二人に解消を頼んだ。……死ぬほど大変だろうなって思ったんだよ」
「はい?」
「僕の夢なんてただの夢で終わるかもしれない。それまでにせめて生き延びることだけでも頑張ろうとしても、それさえ無理で、領民なんて誰もいなくなるかもしれないし、僕らは貴族でなくなる可能性が高い。……モルにはいつも何の苦労もしないで怒っていて欲しかったんだ」
「そこは笑ってじゃないの⁉」
もう一度ダンと足を鳴らす。
「モルには絶対につらい人生を歩いて欲しくない、僕は君を泣かせたくないんだ!」
「……私を泣かせたくないですって?」
テーブル越しに胸倉をつかむ。
「そんなのとっくに大泣きしたわよ! 夕べ! 自分が貴方に失恋したんだって初めて自覚した時にね!」
「!」
セヴランの瞳が零れ落ちそうなくらいに見開かれた。
モルガーヌの顔が真っ赤になっている。
「誰かと穏やかに生きるより、セヴランと一緒に冒険したいの!」
もしもこれが。セヴランが一人で家を出て何かを始めると言う話なら、モルガーヌは反対していたかもしれないし、婚約解消を自ら望んだかもしれない。
しかしこれからセヴランが背負う困難は逃れられないものなのだ。おそらくそれはブノワ家の為でなく、領民の為に。
「うちは武人の家系だから。貴方のこれからの戦いに私が参戦したいの。うまくいったって喜んだり駄目だったって落ち込んだり、今際の際にはお互いの手を握って、あの時ああしてればこうしてればって愚痴と反省を言い合いながらすっきりするのよ!」
「成功しないこと前提なんだな……」
「大丈夫です。お嬢様とセヴラン様とそのお子様達の衣食住くらい私がなんとかします」
セブランとミレイアが続けて言う。
モルガーヌの頭の中ではペレーズが恋した女性の話が思い出されていた。
(遠い将来、こんな筈じゃなかったって死ぬほど後悔するかもしれないわ。それでも)
「セヴラン! いつか私が死ぬ時に、私の手を握ってもらうのは貴方がいいの……!」
「モル……!」
セヴランが掴んでくるモルガーヌの手を外させた。
それから、不自然な体勢のままモルガーヌを抱き寄せる。
「……意地でも君より長生きするよ」
セヴランの声が震えていた。
モルガーヌは、今日は泣かされないようにするので精一杯だった。




