第27話 魔法剣士ユリ
緑深きエルフの里の中心に、それはあった。
枝葉が幾重にも重なり、まるで大樹そのものが屋根と壁を兼ねているような、静謐なる「エルフ図書館」。
中に足を踏み入れれば、香り立つ木の匂いと、紙とインクの古びた匂いが入り混じり、耳を澄ませば森のざわめきすら書架の間から忍び込んでくる。
ユリ・グラベルはそこで、ひたすらに本を読み解いていた。
彼女の指先はページをめくるたびに微かに震え、瞳は文字を追うというより、文字の奥に眠る
「声」を拾っているかのようだった。
スキル──【神語】。
あらゆる言語を解読するそれは、長時間の使用によって、彼女の感覚そのものを研ぎ澄ませていた。
最初は鳥のさえずりが意味を持つ言葉として聞こえるようになった。
次に、草原を渡る虫たちの細やかな囁き。
やがて、岩や川や風といった「自然物」すら、己の歴史や感情を語るようになった。
この世界には、見えぬ言葉の網が巡り巡っている──ユリはそれを少しずつ紐解いていった。
それは音楽にも似ていた。
日本にいた頃、勉強中や執筆中にクラシックもロックも、時にはアイドルソングも聴いたことがある。
けれどこの異世界では、旋律は存在しない。
代わりに、森のざわめきや水のせせらぎが、旋律となって彼女に語りかけるのだ。
剣術もまた、本から学んだ。
【神語】は文字だけでなく、記述された技や構えをそのまま身体に「翻訳」する。
ゆえに彼女は、恋愛小説を読めば体温が上がり頬が染まるほどに、内容を身に染みて理解するのだ。
以前、甘い恋文を読んだ瞬間、隣に座っていた若いエルフの男が真っ赤になったこともあった。
──おそらく、妙な「雰囲気」を全身から漏らしてしまっていたのだろう。
そんなある日。
エルフの神、ユグユグが彼女の前に姿を現した。
「ユリ・グラベル。ジェラルド王国にいる勇者を見つけ、厚生させてください」
「……勇者を?」
ユグユグは頷くと、さらに声を落とした。
「その前に、異世界人の一人がこちらに向かっています。エルフの民を殺すつもりでしょう。何とか阻んでほしいのです」
「わかりました。話せば分かるかもしれません」
「お願いします」
こうしてユリは、エルフの想いを背負い森を抜けた。
その先に待っていたのは、奴隷帝国の姫スカーレットの命を受けた武装英雄、レオ・バルーザだった。
陽の下、互いの姿が見える距離まで近づく。
「初めまして、レオ・バルーザさん」
「おうよ、あんたがユリ・グラベルか。悪いが、これからエルフを殺さなきゃならねえ」
「話は聞いています。スカーレット姫からの依頼でしょう」
「そうだな。だが道を開けてくれないか?」
「それは出来ません」
「……なら仕方ねえ。おいらを殺すのは不可能だぜ?」
「いえ、魔法剣士ですから」
「まじかよ」
レオの背後で、巨大な斧を背負った壮年の男がニヤリと笑った。
「こういう時のために俺がいる」
斧を肩から滑らせ、地面に叩きつける。重低音が地を這った。
「行くぞ、とっつぁんも」
「あいよ」
レオが斧男と同時に駆け出した瞬間、ユリの手にある木製の剣──サフィルシードの剣が脈打った。
刃も柄も、一本の神木を削り上げて作られたそれは、持ち主の魔力に呼応し、葉のようにきらめく。
「魔法とはこう使うのです」
大地が呻き、木々が一斉に伸び上がる。
蔦が鞭のようにしなり、枝葉が槍のように突き出し、二人に襲いかかった。
「ほれほれー!」
斧男は回転しながら魔力斬撃を飛ばし、蔦を切り裂く。
レオは木の触手を軽やかに避け続けた。
彼のスキル──【武装支配】は知っていたが、どうやら条件があるらしい。
ユリが思考を巡らせた瞬間、レオが叫ぶ。
「ヘイスト十倍!」
彼の輪郭が揺らぎ、動きが瞬きよりも速くなる。
しかしユリは即座に反応した。
「ブラッドリータイム」
身体強化の暴走を抑え、十全に制御するエルフ魔法。
次の瞬間、彼女の姿が掻き消える。
風が唸り、斧男の喉元に木剣の切っ先が迫った──が、間に割って入ったのは全身鎧のレオだった。
「ふー、今のは物理か」
「なぜそこを気にするのです?」
ユリの瞳が細くなる。
【超絶鑑定】──対象を正確に見極めるには相手の動きを止める必要がある。
だが今回は使うまでもなかった。
「……あなた、魔法が弱点なのですね」
「ぎくり」
「レオ、ばれてる」
「とっつぁん、お前余計なこと言うな!」
「あーやっちまった」
ユリが静かに手をかざす。
「ならば見せて差し上げましょう──いでよ、バリミリガルの雷」
空が割れた。
雲が渦を巻き、光の奔流が地上に降り注ごうとする。
大地が青白く染まり、髪が逆立つほどの電気が空気を満たす。
「う、嘘だろ……降参だ!」
レオは手を上げた。
「引きますか? さもないと、この一帯を灰にしますよ。ちなみに私には雷は通用しません」
「……わかった、引く。とっつぁん、行くぞ」
「スカーレット姫の命令は?」
「死ぬよりマシだ」
「だな」
二人の背が森に消えるまで、ユリは剣を下ろさなかった。
そして──ユグユグが再び現れる。
「ありがとう。奴隷帝国はジェラルド王国に侵攻するより前に、別の国に攻められるでしょう。……魔王です」
「……魔王?」
「復活してしまったの」
「ならば、勇者を更生させなければ」
「お願いします。何もできぬ我が身が恥ずかしい」
「そんなことはありません」
ユリ・グラベルは旅立った。
空を駆け、川を滑り、ジェラルド王国まで二日とかからず。
その頃、十人の異世界人が各地から集い、覇を競おうとしていた──。




