第16話 翻訳翻訳
1人の女が大地に降り立った。 北からはエルフ族の大群が。 南からは人間族の大群が。 奴隷帝国の遥か北に位置する山で起きた小競り合い。 それは──言葉が繋がらなかったせいで起こった。
その女の名はユリ・グラベル。 彼女は今、二つの軍勢の真ん中に、ぽつんと立っていた。
「えーと、あの……」
「聞け、エルフ族! 俺たちはただ果物が欲しいだけだ! なんでいつも弓を向けてくる!? 武器も持ってきてないんだぞ、敵意はないって言ってんのに!」
「聞け人間ども! 貴様ら、木に登って我らの妻の水浴びを覗いたな!? そんなことしていいのは夫の我々だけだ!」
「ストーーップ!」
ユリが両手を上げて叫ぶと、二つの軍勢がピタリと彼女に注目した。
「あのー、たぶんですけど、お互い言葉が通じてないみたいなので……わたくしが、通訳しましょうか?」
「できるのか?」
人間の長が驚いたように尋ねた。
「あ、はい。神語っていうスキルがあるので」
「な、なんだとおおお!」
エルフの長が叫んだ。
こうして、ユリを介した会話が始まった。 人間は果物を分けてもらい、エルフは覗き行為を謝罪した。 それだけのことだった。
問題は──ただ、言葉が通じなかっただけだったのだ。
「よろしいか、ユリ殿」
エルフの長が一歩前に出た。
「なんでしょう?」
「空から降ってきたその姿、異世界から来たのでしょう?」
「ええ、そうですけど……あ、服がいつの間にか狩人っぽくなってる」
「この世界に適応したのでしょう。我々エルフにお願いがあります。神と対話していただけませんか?」
「神様!? そんな簡単に会えるもんなんですか?」
「はい。エルフの神は、昔からこの世界に存在しています。生きる次元が異なるため、我々には直接話せませんが、耳を傾けてくれる時、世界樹の葉が生まれるのです」
「ふむふむ、つまりその葉っぱが重要ってことですね?」
「はい。それによりエルフは繁栄してきたのですが、最近、神が沈黙してしまっていて……」
「わかりました。手を貸します」
そう言って、ユリは世界樹へ向かった。
「ふー……ここか」
目の前にそびえるのは、雲を貫く巨大な大樹。 その葉は枯れ、沈黙しているようだった。
「でっか……」
「この根元に神がおられるといわれています。我々がかつて一度だけ見たのは、精霊のような幼い少女の姿でした」
「じゃあ、ちょっと話しかけてみます」
ユリは大樹の根に手をそっと触れた。
――カチリ。
何かが噛み合うような感覚。 それは、神語スキルが発動した証だった。
日本語で話しても、相手にはそのまま意味が伝わる。 それが、神語の力。
「やあ、久しぶりに誰かと話せそうですねぇ」
突然、幼い少女が現れた。
ユリは驚いたが、冷静を保った。
「ワタクシはエルフの神、ユグユグでございます」
「ユリ・グラベルです。よろしく」
「来てくださってありがとう。神語を操る者を、ずっと待っていました」
「わたくしを?」
「はい。今から話す内容を、エルフの民に伝えていただけますか?」
「なぜご自分で話さないのですか?」
「神語は、時代と共に忘れられていくもの。我の声は、もう彼らには届かぬのです」
「そういうことなら、手伝います」
「まずは……魔王が蘇ろうとしています」
「魔王……?」
「奈落の世界──それは海の向こう、無人島を越えた崖のさらに先。死者が眠る地。そこに封印された魔王が、今まさに目覚めようとしているのです」
「おおう……」
「そこで、勇者様を探さねばなりません。彼はすでに生まれており、今は6歳。ジェラルド王国にいると考えられます」
「6歳……?」
「ですが、問題がありまして。彼は自分が勇者であることを忘れ、怪しい教団を立ち上げているらしいのです」
「6歳で教団……!? すごいな」
「今は誰かを主とし、信者を増やしているようです。あなたには、彼を導いて元賢者の元に連れて行ってほしいのです」
「そんな大役、わたくしにできるかな……」
「できます」
「わたくし、翻訳は得意ですが、戦闘能力ゼロですけど」
「大丈夫。エルフ図書館には神語でしか読めない書があり、それを読めば魔法剣士としての力が宿ります」
「魔法剣士!? 剣とか使ったことないんだけど……」
「神語が、あなたに知識と動きを教えてくれます。言葉が力になるのです」
「なるほど、それなら……やってみようかな」
こうして、ユリ・グラベルは立ち上がった。 翻訳の力で種族と種族をつなぎ、 そして、魔法剣士としての力を得て── 間違った道に進む6歳の勇者を目覚めさせるため、 ジェラルド王国へと旅立つのであった。




