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ルビーベリーの真価

朝食の時間。

リオンは領主一家と共に、質素な食卓を囲んでいた。

黒パン、薄いスープ、チーズ一切れ。

それだけ。

エリーゼは小さく切ったパンを、ゆっくりと口に運んでいる。食べる量が少ない。

ヴァルデマールは黙々と食べている。表情は暗い。

「領主様」

リオンが口を開いた。

「材料を買いたい。商人を紹介してもらえますか?」

「材料?何が必要です?」

「砂糖、レモングラス、それと銅鍋を数個」

ヴァルデマールは眉をひそめた。

「砂糖は...高価ですが」

「分かっています。でも、必要です」

「どれくらい?」

「十キロ。それと、できれば上質なものを」

ヴァルデマールは計算する表情を見せた。

「...銀貨で三十枚ほどかかります」

「構いません。必要な投資です」

「分かりました。午後、商人を呼びます」

エリーゼが顔を上げた。

「リオンさん、何を作るんですか?」

「ルビーベリーのジャムだ」

「ジャム...」

エリーゼの目が輝いた。

「美味しいんですか?」

「ああ。あの実は、宝の山だ」

リオンはパンを一口食べた。硬い。味気ない。

「このパンに塗れば、王宮の朝食になる」

エリーゼは嬉しそうに笑った。

でも、すぐに咳き込む。

「エリーゼ!」

ヴァルデマールが駆け寄る。

「大丈夫...です」

エリーゼは笑顔を作るが、顔色は悪い。

リオンはその様子を黙って見ていた。

この娘は、病気だ。

それも、重い。


午後。

商人がやってきた。

四十代の男。商業ギルドの印が入った服を着ている。

「砂糖十キロ、レモングラス一束、銅鍋三個ですね」

商人は素早く計算する。

「合計で銀貨三十二枚です」

「高いな」

ヴァルデマールが顔をしかめる。

「辺境への輸送費が含まれますので」

「...仕方ない」

ヴァルデマールは革袋から銀貨を取り出す。手が震えている。

恐らく、これが領地の残り少ない資金だ。

「領主様」

リオンが言った。

「必ず、元を取ります」

「...信じていますよ」

ヴァルデマールは商人に銀貨を渡した。

商人は荷車から材料を降ろす。

砂糖の入った麻袋。レモングラスの束。新しい銅鍋。

「毎度ありがとうございます」

商人は去っていった。

リオンは砂糖の袋を開け、指先で少し掬う。

舐めてみる。

「...純度は悪くない」

「それで、いつから作り始めます?」

「今日からだ。でもその前に」

リオンは村の方を見た。

「村人を集めてほしい。作り方を教える」

「村人に?」

「ああ。俺一人では量産できない。彼らに技術を教えて、一緒に作る」

ヴァルデマールは不安そうな顔をした。

「でも...村人たちは、あまり新しいことを受け入れません」

「構わない。説得する」

「分かりました。では、広場に集めましょう」


一時間後。

村の広場に、三十人ほどの村人が集まっていた。

老人、中年の男女、若者。みんな疑わしそうな目でリオンを見ている。

「皆さん、こちらが宮廷料理人のリオン・アッシュフォードさんです」

ヴァルデマールが紹介する。

ざわめきが起こる。

「宮廷料理人?」

「なんでこんな辺境に?」

「怪しいな」

リオンは前に出た。

「初めまして。リオン・アッシュフォードです」

静かな声。でも、よく通る。

「今日は、皆さんに提案があります」

「提案?」

一人の中年男性が聞いた。屈強な体つき。農夫だろう。

「ルビーベリーを使って、ジャムを作りたい」

「ルビーベリー?あの酸っぱい実か?」

「ああ。あれは、加工すれば素晴らしい商品になる」

「馬鹿言うな」

別の老人が吐き捨てた。

「あんなもん、食えたもんじゃねえ。何度も試したが、どうやっても不味い」

「そうだそうだ」

同調の声。

リオンは落ち着いて答えた。

「生で食べれば、確かに不味い。でも、加工すれば変わる」

「信じられるか」

「なら、証明しましょう」

リオンは用意していた小瓶を取り出した。

中には、赤い液体。

「これが、ルビーベリーのジャムです」

村人たちがざわつく。

「今朝、試作してみました。味見してもらえますか?」

リオンは小さなパンを切り分け、ジャムを塗る。

最初に手を伸ばしたのは、若い女性だった。

二十代後半。子供を抱いている。

「...私、やってみます」

彼女はパンを受け取り、恐る恐る一口。

「...っ!」

彼女の目が見開かれた。

「美味しい...」

「本当か?」

周りの村人が詰め寄る。

「本当です!甘くて、でも爽やかで...こんなの、食べたことない」

次々に村人が手を伸ばす。

パンにジャムを塗り、口に運ぶ。

そして、一様に驚いた顔をする。

「うまい...」

「これが、あのルビーベリー?」

「信じられねえ」

リオンは静かに言った。

「これを、一緒に作りませんか?」

沈黙。

村人たちは顔を見合わせる。

「でも、俺たちに作れるのか?」

「教えます。一から、丁寧に」

「材料は?」

「砂糖は領主様が用意してくださった。ルビーベリーは畑にある」

「...」

先ほどの若い女性が手を上げた。

「私、やります」

「グレタ!」

隣の老婆が驚いた声を上げる。

「でも、子供が」

「だからです」

グレタは子供を抱きしめた。

「この子に、美味しいものを食べさせたい。それに...このままじゃ、村は終わる」

彼女はリオンを見た。

「少しでも、可能性があるなら、試してみたい」

リオンは頷いた。

「ありがとう」

すると、初老の女性も手を上げた。

「私もやる」

「マルタさんまで...」

「黙ってな。私も、この村を諦めたくない」

マルタは厳しい顔をしているが、目は真剣だ。

「他には?」

しばらくして、もう一人、若い男が手を上げた。

「俺も」

「トマス、お前...」

「俺、器用なんだ。役に立てると思う」

こうして、十人の村人が手を上げた。

リオンは彼らを見回した。

「ありがとう。では、明日から始めましょう」


翌朝。

リオンは十人の村人を、畑に集めた。

「まず、ルビーベリーの収穫から始めます」

彼は一粒の実を摘んで見せる。

「実を選ぶ時は、色を見てください。深い赤、均一な色。それが完熟の証拠」

村人たちが木に近づく。

「これは?」

グレタが一粒摘む。

リオンは見て、頷いた。

「いい。それを籠に入れて」

「こっちのは?」

トマスが別の実を指差す。

「それは、まだ若い。もう少し待った方がいい」

こうして、一時間かけて収穫する。

籠三つ分。約二十キロ。

「次は、選別です」

厨房に戻り、実を広げる。

「傷んでいるものを取り除きます。一粒ずつ、丁寧に」

マルタが実を手に取る。

「これは?」

「少し潰れてますね。でも、使えます」

「こっちは?」

「それは、カビが生えている。廃棄です」

村人たちは真剣な顔で、実を選別していく。

一時間後、使える実は十五キロになった。

「次は、洗浄」

大きな桶に水を張る。

「実を優しく洗います。力を入れすぎると、潰れます」

グレタが実を桶に入れ、そっと手で洗う。

「こうですか?」

「そう、完璧です」

洗い終わった実を、布の上に並べて水を切る。

「ここまでが、下準備。疲れましたか?」

村人たちは首を横に振る。

「まだまだ」

「なら、いよいよ調理に入ります」


リオンは竈に火を入れた。

薪を組み、火打ち石で火花を散らす。

煙が上がり、やがて炎が燃え上がる。

「火加減が、一番重要です」

彼は銅鍋を火にかけた。

「まず、実と砂糖を入れます」

ルビーベリー五キロ、砂糖四キロ。

「比率は?」

マルタが尋ねる。

「実一に対して、砂糖〇・八。これが基本」

リオンは木べらで、優しく混ぜる。

「最初は弱火。急ぐと、実が崩れます」

村人たちが鍋を囲む。

砂糖が実の水分を吸って、液体が出てくる。

「いい匂い...」

グレタが呟く。

甘酸っぱい香りが、厨房に広がる。

「温度を測ります」

リオンは銀の温度計を差し込む。

「今、四十度」

彼は薪を一本足す。

「五十度まで上げます」

ゆっくりと、温度が上がる。

四十五度、四十八度、五十度。

「ここで、レモングラスを入れます」

葉を一枚、手で千切る。

鍋に落とす。

ジュッと音がして、爽やかな香りが立ち上る。

「わあ...」

村人たちが目を輝かせる。

「ここから、十五分煮ます。その間、混ぜ続けます」

「十五分も?」

「ああ。手を止めると、焦げる」

リオンは砂時計をひっくり返した。

「交代しながらやりましょう。マルタさん、最初をお願いします」

「はい」

マルタが木べらを受け取る。

彼女の手が、ゆっくりと鍋をかき混ぜる。

「底をこするように。円を描くように」

「...こうですか?」

「完璧です」

五分後。

「次、グレタ」

「はい」

グレタに交代。

彼女の手つきは、少し荒い。

「もっと優しく。実を潰さないように」

「あ、すみません」

力を抜いて、ゆっくりと。

「そう、それでいい」

さらに五分後。

「トマス」

「俺もやるのか?」

「料理に、男も女もない」

トマスが恐る恐る木べらを握る。

大きな手。でも、動きは意外と繊細。

「...お前、器用だな」

「盗賊やってた時、鍵開けが得意だったんで」

「...聞かなかったことにする」

村人たちが笑う。

厨房に、初めて笑い声が響いた。

十五分が経過。

リオンが木べらを持ち上げる。

液体が、とろりと糸を引く。

「いい。火を止めます」

薪を全て取り出し、水桶に放り込む。

ジュウウウと蒸気が上がる。

「これで、完成」

リオンは鍋の中身を、素焼きの壺に移す。

深紅の液体。中に、形を保った実が浮かんでいる。

「明日まで寝かせます。そうすれば、味が馴染む」

「これだけで?」

「ああ。シンプルだろう?」

村人たちは顔を見合わせた。

「本当に、俺たちにもできるのか...」

「できる。今、見ただろう?」

リオンは村人たち一人一人を見た。

「大切なのは、丁寧さだ。急がず、焦らず、材料と向き合う」

「...」

「明日、味見をしてもらう。それで、判断してください」


翌朝。

リオンは一人、厨房で壺を開けた。

ジャムが、一晩で馴染んでいる。

木のスプーンで少し掬い、舐めてみる。

「...完璧だ」

甘さ、酸味、レモングラスの香り。

全てが調和している。

リオンは小瓶に詰め、昨日の村人たちを呼んだ。

「できました」

マルタが最初に手を伸ばす。

スプーンで掬い、口に運ぶ。

「...」

彼女の目が潤んだ。

「美味しい...本当に、美味しい」

グレタも泣いている。

「こんなの、生まれて初めて...」

トマスは黙って、何度も頷いている。

リオンは彼らを見て、静かに言った。

「これが、あなたたちの力です」

「え?」

「俺はただ、教えただけ。作ったのは、あなたたちだ」

マルタが首を横に振った。

「でも、リオンさんがいなかったら...」

「いいえ。あなたたちがいなかったら、俺は何もできなかった」

リオンは窓の外を見た。

朝日が、村を照らしている。

「これから、もっとたくさん作りましょう。そして、売りに行く」

「売れますかね...」

「売れる。保証します」

リオンは振り返った。

「この味なら、都市部でも通用する」

村人たちの顔に、希望の色が浮かんだ。

「...やってみます」

「俺も」

「私も、頑張る」

リオンは頷いた。

「では、今日から本格的に生産を始めます。目標は、一週間で百瓶」

「百瓶!?」

「多すぎる?」

「いえ...やってみます」

こうして、辺境領のジャム作りが始まった。


その夜。

リオンは一人、自室で窓の外を見ていた。

星が、無数に輝いている。

宮廷では、こんなに星は見えなかった。

街の灯りが、星を消していた。

でも、ここは違う。

暗いけれど、星がある。

「...悪くないな」

リオンは呟いた。

今日、村人たちの笑顔を見た。

泣いている顔も見た。

みんな、必死に生きている。

「俺も、ここで生きていこう」

扉をノックする音。

「どうぞ」

エリーゼが入ってきた。手に、小皿を持っている。

「リオンさん、これ...」

皿には、パンとジャム。

「村の人たちが、リオンさんに食べてほしいって」

リオンは受け取った。

パンにジャムを塗り、一口。

「...美味しい」

「本当ですか?」

「ああ。本当に」

エリーゼは嬉しそうに笑った。

「よかった。みんな、すごく喜んでます」

「...」

「リオンさんが来てくれて、村が変わり始めてる」

エリーゼは窓の外を見た。

「私も、変わりたい」

「エリーゼ...」

「私、ずっと弱くて。みんなに迷惑ばかりかけて」

彼女の声が震える。

「でも、リオンさんの料理を食べて思ったんです。私も、誰かを幸せにしたいって」

リオンは彼女を見つめた。

「なら、料理を習うか?」

「え?」

「お前も、一緒に作ろう。村の人たちと」

エリーゼの目が輝いた。

「...いいんですか?」

「ああ。お前にも、才能があるかもしれない」

「ありがとうございます!」

エリーゼは深く頭を下げて、部屋を出ていった。

リオンは一人、残ったパンを食べた。

硬いパンも、ジャムがあれば美味しい。

「料理は、人を変える」

彼は呟いた。

そして、明日への期待を胸に、眠りについた。


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