第9話 眠り茸を手に入れろ!
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。ちょっとモンスターにも効き目がある催眠薬を見せてもらいたいんだけど」
「それでしたらこちらの瓶になります」
小さなガラス瓶に納められた茶色の液体がそうだった。
「催眠薬トランキラでございます」
「使い方は?」
「肉の塊に空洞を設け、トランキラ一瓶分を封入します。モンスターにそれを食わせれば、どれほど大きくとも一分以内に眠らせることができます」
「飲み込ませる以外の方法は?」
「矢尻に仕込んで撃ち込む方法がございます。ただし分量が少なくなりますので、大型モンスターの場合一撃では足りないことがあります」
「ふうん。ワイバーンの場合はどう?」
「成獣なら最低でも五本の矢を当てる必要があるかと」
催眠薬自体の効果は大きいが、それをモンスターに使用する方法が簡単ではなさそうだった。
「わかったわ。ちょっと匂いを確かめてもいいかしら?」
カルマが尋ねると、薬師の眉がぴくりと動いた。
「危険ですので、手短に願います」
「じゃあ、ちょっとだけ」
そういうと、カルマはガラス瓶の栓を少しだけ緩めて鼻を近づけた。
ふわりとした甘さの中に、腐肉の匂いを含むような香り――。
「ありがとう。鮮度に問題はないようね。納得したわ」
「それではお買い上げでしょうか?」
薬師はカルマの手から催眠薬の瓶を受け取りながら、購入の意思を確認した。
ここまでしたらきっと買ってくれるだろうと期待しつつ。
「あいにく今日は持ち合わせがないの。また改めて買いにくるわ」
「さようですか。ご来店をお待ちしております」
優雅に会釈してカルマは店を出た。
『カルマ、カルマ。それで、催眠薬は何とかなりそうなの?』
「せっかちね、朝霧。今のやり取りで薬の匂いは覚えたわ」
『匂いねぇ。それだけでなんとかなるのかなぁ』
匂いから原料を推測することはできるかもしれない。しかし、多種多様な薬草や素材に関する知識がなければ薬の製造は難しい。
カルマは匂いという手がかりから催眠薬のレシピを再現できるのか?
『次はどうするの?』
「冒険者ギルドにいくわよ」
冒険者ギルドについたら、カルマはギルドへの加入手続きを取った。幸いここでも加入は無料だ。
冒険者の一員となったカルマはそのままの流れで、依頼票の並ぶ掲示板へと近づいた。
『ここでも依頼を受けるつもり? 魔術師ギルドの依頼が二件残ってるよね?』
朝霧の疑問に答えず、カルマはしきりに目を動かして依頼票を読み比べていた。
やがて、掲示板中断付近に貼られた一枚の依頼票を手に取った。
「これにするわ」
カルマは依頼票をもってカウンターに向かい、受注登録を行った。
カルマが受けたのは眠り茸と呼ばれるキノコの採取依頼だった。
『なるほど。これが狙いだったんだね』
冒険者ギルドのカウンターで、カルマは依頼品のサンプルとして乾燥させた眠り茸の実物を見せてもらった。
そっと鼻を近づけると、催眠薬トランキラに感じた独特の匂いにそっくりだった。
眠り茸がトランキラの主要成分であることに間違いないと思われた。
「臭いだけじゃないわよ。依頼人の名前を見た?」
依頼票には依頼人の名前が書かれていた。そこにあったのはさっき訪ねた薬師の名前だった。
トランキラを作る薬師が採取依頼を出していたのだ。
「同じ名前での依頼はほかに三件あったわ。でも催眠薬の主原料になりそうな素材は眠り茸だけ」
『それでこの依頼を受けたんだね』
眠り茸採取の依頼をこなしつつ、自分のためにも採取しようというのだった。
「眠り茸以外の成分はわからないけど、眠り茸の成分を煮詰めればトランキラに近い効能が得られるはず。多少大目に使えばワイバーンにも効くはずよ」
『驚いたね。カルマがそこまで頭を使うなんて』
「お金を節約するためなら必死に知恵を絞りますって」
酒代以外に使う金などない。それがカルマの信念だった。
「さて、眠り茸の繁殖地は町の北にある森の中だそうよ。歩けば半日だって」
『歩けばね。歩いていく気はないんでしょ?』
「もちろん。時は金なり、よ」
カルマは町を出たところで自分の下半身に付与魔術をかける。速度向上と耐久性向上だ。
「夕方までに帰ってきたいわね」
『群生地が見つかるといいね。採取自体は簡単なはずさ』
「一応、策はあるわ。期待していて」
不敵に笑うと、カルマは北の森を目指して走り出した。
飛ぶように進むカルマはたったの三十分で森に到着した。
「到着。付与魔術解除! でもって、下半身に回復力向上×2を付与!」
前回エルフの里との往復でカルマはヘロヘロに疲労した。後になって考えてみると、こうして回復力向上を付与しておけば、自然に回復できたはずだとカルマは気づいた。
人間は後知恵ならば賢くなれるのだ。カルマの場合は特にそうだった。
『さて、どうやって眠り茸の群生地を探すつもりだい?』
「ふふふ。我に秘策あり、よ。朝霧、アタシの「鼻」を鑑定して!」
『鼻だって? ええと、じゃあいくよ?』
【カルマの鼻】付与可能数:残り1
「オッケー! 魔術付与できるわね。それじゃ、嗅覚向上×1を付与!」
カルマは自分の嗅覚を高めて、眠り茸の匂いを追跡しようと考えたのだ。
『なるほどねぇ。豚の鼻を使って土の中のトリュフを探す方法があるって聞いたけど……。豚の代わりがカルマかぁ』
「やめて、そんな言い方! アタシが豚になったみたいじゃない」
ブーブーいいながらカルマは鼻を持ち上げ気味にして、森の中に入っていった。
「スン、スン。二時の方向かしら。スン、スン」
『モンスターの警戒も忘れずにね』
「スン、スン。あ、そうね。<気配遮断>オン、<気配感知>オン」
うっかり者のカルマがソロで行動し続けていたら、いつかは命取りになるミスを犯していたことだろう。
眠ることもなく、酒に酔うことも、疲れることもない妖刀朝霧は、カルマにうってつけの相棒であった。
目的は眠り茸。カルマはモンスターを探知すれば迂回し、獲物を見つけても手を出すことなく、眠り茸の匂いを追った。
「む。匂いが濃くなった。眠り茸は近いわよ」
『見える範囲を鑑定してみるよ――あ、眠り茸発見!』
「えっ、どこどこ?」
『十一時の方向、二十メートルってところ』
朝霧の指示する場所にいってみると、確かに眠り茸らしきキノコが生えていた。冒険者ギルドで見てきた見本とは色の濃さが多少違う。
「ギルドで見たやつは乾燥させてあったから、実物より色が薄かったのね」
『匂いはどう?』
「クン、クン。うん、間違いない。眠り茸確定よ」
ふんわりと丸いドームのようなかさを持つピンク色のキノコが立ち木の根元に二本生えていた。
「眠り茸ゲットー! ようし、採りまくるわよ!」
目の前にはピンクの集団が広がっていた。カルマは布袋を取り出した。
この袋が一杯になるまでキノコを採りまくるつもりだった。
「ブーブーブー。キノコ掘りっ! ブーブーブー。キノコ掘りっ!」
キノコ掘りではなくキノコ狩りなのだが、カルマはすっかりトリュフ豚の気持ちになって眠り茸を採り続けた。
『そろそろ袋が一杯になったね。カルマ? おい、カルマ!』
「――ん? 何かいった? んー、何だろ? ふぁ~あ……」
目を擦りながらカルマは大きなあくびをした。
『はっ、いけない! カルマ、眠り茸の胞子を吸い込んじゃったんだ! 眠っちゃだめだよ!』
「あぁ、そうかぁ。どうりで眠いと思ったぁ。んー、どうしよう? ふぁ」
モンスターが住む森で不用意に寝込んでしまったら命が危険にさらされる。眠気が広がる頭で、カルマは必死にこのピンチを脱出する手段を考えた。
「そ、そうだ! 付与魔術解除! 我が鼻に痛覚向上×1を付与!」
カルマは鼻にかけていた嗅覚向上を解除し、代わりに痛覚向上を施した。
「でもって、こいつをこうっ! きゅうぅぅぅうっ!」
敏感になった鼻の頭を右手でつまんで、カルマは思い切りひねった。
「ひだぁああああああいっ!」
にじみ出る涙とともに、カルマの頭にかかっていた眠気の霧が去った。
そのまま息を止めて、カルマは眠り茸の群生地から脱出したのだった。