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第7話 涙よ、風に散れ

 最初に出会ったエルフの名は、カミーユというかわいらしいものだった。御年四百二十歳のオッサンだということだが。


「エルフって噂通り長命なのね」

「百歳過ぎればオッサン、オバサンだがな」

「人間でいったら四十二歳くらいにしか見えないわよ」

「人間に比べられてもな。わしらにいわせりゃ人間が早熟なだけだ」


 カミーユは人間でいうと十歳児くらいの身長で、金髪碧眼だった。色白で顔の彫りが深い。

 それ以外は人間と区別がつかない。


「アタシ人間の町から走ってきたの。申し訳ないけど、水と食べ物をわけてもらえないかしら?」

「見かけによらずすごい体力だな。食料をわけるくらい構わねぇが、まずは里長んところに連れてかねばな」


 人間がやってくることはめったにないので、里長への報告が必要だという。


「ごもっともね」

『ここは下手に出ようか。里長に認められれば「エルフの涙」をわけてもらえるかもね』


 カルマは喉の渇きをこらえて、カミーユに従って里長を訪ねることにした。


「里長、カミーユです。里に人間が入ってきたので連れてきました」

「うん? 人間だと。珍しいな」


 里長の家も大木の幹をくりぬいたものだった。戸口の高さは人間が通るにはやや低かったが、こども並みの身長しかないエルフたちにはちょうどいいのだろう。

 小柄なカルマにとっては身をかがめる必要もない。


「こんにちは。お願いがあってやってきた、カルマよ」

「里長のゼメキスだ。適当に座ってくれ。ああ、カミーユは帰っていいぞ」


 ゼメキスと名乗ったエルフは男性で、老齢に差し掛かっているように見えた。人間でいえば六十歳前後といったところだろうか。


「ふうむ。手引きもなしに結界を抜けたのか。よほど手練れの魔術師ということかな?」

「あ! 勝手に結界を破っちゃってごめんなさい」

「気にすることはない。誰彼かまわずよそ者に入られては困るが、結界を破れるほどの術達者などめったにおらんからな」


 ゼメキスは白髪の混じった顎髭を右手でひねりながらいった。


「それで、早速だが願い事があるとは何のことだ?」


 思ったよりも単刀直入にゼメキスはカルマの要件に切り込んだ。隠れ里の住人とはいえ、里長ともなればのんびりしていられないらしい。


「率直にいうわ。『エルフの涙』をわけてもらえないかしら」

「……またそれか」


 ゼメキスは軽く顔をしかめた。

 どうやらその目的でやってくる人間はカルマが初めてではないらしい。


「回復薬の原料になるらしいな」

「そうらしいわ。エルフは薬に使わないの?」

「わしらは普通に泉の水を飲んどればいい話だからな。薬など作る必要はない」


 魔法薬にすれば効果が高まり、少量飲むだけで回復薬としての効能を発揮する。

 しかし、泉から直接水を飲める住人たちならわざわざ薬にする必要はない。少々多めに泉の水を飲めばいいのだ。


「小瓶で一瓶、泉の水をわけてもらいたいの」

「そのくらいなら惜しくもなかろうと思うのか?」


 ゼメキスは皮肉な言葉を返しながら、じろりとカルマを見やった。


「うーん。正直いってどれほどのものか価値を知らないのよ。対価が必要なら教えてほしい」


 カルマはあけっぴろげに尋ねた。懐は寂しいが、働いて返せるものなら恩返しをするつもりはある。


「ふむ。お前は正直な人間らしいな。身にまとった魔力がおおらかでよどみがない。性格は雑なようじゃが」

「そうかもしれないわね。面倒くさい話は得意じゃないの」

「そのようじゃな。よかろう。『エルフの涙』一瓶を譲る条件として、里の役に立ってもらおう」

「いいわよ。何をしたらいいかしら? エロいことと痛いことは勘弁してほしいけど」


 長い距離を走って体が疲れているが、少々の無理はいとわない。カルマはここが踏ん張りどころだと、気合を入れた。


「さて、何をしてもらおう……。お前が得意なものは何じゃ?」

「特異なものは付与魔術よ。それがアタシの仕事なの」

「付与魔術のう。エルフはあまりそういうことをせんのじゃが……」


 エルフは種族として戦いを好まない。長命で繁殖力が弱いエルフたちは、戦いを避けて身を隠して暮らすことを選んだ種族だった。

 人間のように武器や防具に魔術を付与して、より強力なものにするという文化がないのだった。


『カルマ、魔術付与するなら武器以外がいいんじゃない?』

「そうね。武器以外の道具で性能向上したいものはないかしら?」


 カルマがそう聞くと、ゼメキスは眉を寄せて考えた。


「うーむ。わしらは数が少ない上に、見ての通り体が小さい。食料をあまり必要とせんのじゃ。狩りや収穫の効率を上げたいとは思わんのう」

「そうかぁ。それなら、娯楽とか休息で使う道具なんかどう?」

「この森は気候がいい。木の中の住処も快適で居心地がいいしのう」


 どうやらエルフは生活に不満を持っていないようだった。これは困ったことになったかもしれないと、カルマは腕を組んだ。


「困ったわね。いいアイデアが浮かばない。――このまま酒飲んで寝ちまいたい気分ね」

「わははは。やっぱり単純な奴じゃな。わしらも酒好きじゃが、ここで造れる酒には大したものはないぞ」

「残念ね。エルフの里なら、さぞ繊細な味の酒があるかと思ったのに……。うん?」


 エルフも酒好きだが大してうまい酒を造っていない。そう聞いてカルマの頭に一つの案が浮かんだ。


「うまい酒が造れるようになるとしたら、エルフにとって価値があるかしら?」

「そうじゃな。この森で採れるものを使って今よりうまい酒が造れるなら、里の皆が喜ぶじゃろう」

「オッケー、それなら相談に乗れるわ!」


 にんまり笑って、カルマは胸をたたいた。


「何と! そんなことができるのか?」


 ゼメキスは驚きをあらわにした。


「任せなさい! 酒造りの現場に案内して」

「よし! わしについてこい」


 ゼメキスはそそくさと立ち上がり、カルマを連れて家を出た。

 歩いてやってきたのは森一番の大木の根元であった。


「改めてみると、本当にでっかい木ねぇ」

「バカ者! これこそ神聖なる世界樹様じゃ!」


 エルフの里を守り平和をもたらす守り神なのだという。人間やモンスターを寄せつけない結界も、世界樹の力によるものだった。


 ゼメキスは大地にひざまずき、額を地につけて祈りをささげた。その後ろでカルマも見よう見まねで祈る。


「立ち上がっていいぞ。見ろ。これが生命の泉じゃ」

「じゃあこの水が『エルフの涙』ってわけか」

「世界樹様に降った雨水が表面を伝って地面に染み通る。それが長い年月をかけて湧き出したものが、この泉ということじゃ」

「へえ。確かにご利益がありそうね」


 きっと世界樹の力が水の中に溶け込んでいるのだろう。「エルフの涙」とははかなげな名前ではあるが。


「酒造りにはこの水を使う。あの小屋でな」


 ゼメキスが示す指の先に、木造の小屋が建っていた。

 小屋の中にはざるや桶、壺や樽などが並べられている。


「原料は森でとれる木の実じゃ。山ぶどう、スグリ、山梅、スモモ。それぞれ違う酒になる」

「発酵酒ってわけね。ふむ、ふむ……」


 話を聞きながら、カルマは小屋の中を歩き回った。あれやこれや道具を手に取ったり眺めながら、考え込む。


「肝心なのは酒の味わいよね。だったら決め手になる工程は――発酵ね!」

『わたしもそう思うよ。職人としての見識からいわせてもらえば、注意すべきは温度と湿度だね』


 朝霧のような鍛冶職人にとってさえ、作業場の温度湿度環境は仕事のできばえを左右する重要な要素だった。ましてや食品工業においては、成否を決める条件となりうる。


「よし、決めた! 発酵樽に機能付与するわよ。付与枠は果たしていくつかしら」


 独り言めかしたカルマのことばを受けて、朝霧は四つ並んだ発酵樽を鑑定した。


【発酵樽一】付与可能数:残り3

【発酵樽二】付与可能数:残り3

【発酵樽三】付与可能数:残り3

【発酵樽四】付与可能数:残り3


『さすがはエルフの作った樽だ。魔術付与枠が三つもあるよ』

「この樽には三つの能力を付与できるわ』

「ほう。鑑定を使えるとはさすがだな」

「付与する能力は……、保温×1、保湿×1、換気×1よ!」


 カルマは並んだ樽に向かって立ち、両手を上げて静かに息を吸い込んだ。


「魔術師カルマの名においてわが魔力を糧に命ず。保温性能向上を1スロット、保湿性能向上を1スロット、そして換気性能向上を1スロット、四つの樽に与えるべし!」


 白い光が樽を覆ったかと思うと、細かいかけらになって散っていった。


「どうじゃ、成功したか?」

「もちろんよ。うまい酒が絡んだ仕事を失敗するようなカルマさんじゃないわ!」

「そうか、でかした! これでこの秋にはうまい酒が飲めるじゃろう」


 そうと決まればお祝いだといって、ゼメキスは里のエルフたちを広場に呼び集めた。

 カルマの付与魔術で酒造りの質が上がったと聞き、歓喜の声が広場にこだました。


「エルフってみんな酒好きだったのね」

「里には娯楽が少ないからな。こうなったら前祝の酒盛りじゃ。今まで通りの酒じゃが、お前も飲んでいけ」

「やったぁー! エルフ酒が飲めるなんてめったにない幸運よ。一生の思い出になるわ」


 酒が思う存分飲める喜びにカルマがよだれを垂らしていると、頭の中で朝霧の咳払いが聞こえた。


『ゴホン、ゴホン! カルマ! カルマったら!』

(何だ、朝霧。うるさいわよ!)

『喜んでるところ悪いけど、話がまとまったんならさっさとお暇しなくちゃ』

(えぇっ? 酒も飲まずに帰れっての?)


 カルマはここにきた目的をすっかり見失っていた。


『里への貢献が認められたなら、「エルフの涙」をもらってすぐに帰ろう』

(「エルフの涙」ね。忘れてないわよ。ちゃんともらいますとも。でもって酒盛りの方も――)

『酒盛りに参加したら一日つぶれちゃうよ? 忘れてしまったのか、わたしの呪いのこと?』

(あ、十日で一年の寿命短縮……。アタシの寿命……)


 カルマにはのんびり酒盛りに参加する余裕などなかった。一日も早く百件の悩み事を解決して、朝霧にかかった呪いを解かなければならない。

 そうしなければ早死にへの道が待っているのだった。

 

「ぐぬぬぬ……。エルフ酒が目の前にあるのにぃ!」

「どうした、カルマ殿? ぐいっとやらんか?」

「ぬぅううん! お水で結構! ゴク、ゴク、ゴク……」

「あっ、それは……」


 少しでもすきっ腹を埋めようと、カルマは目の前にあった水差しから直接水をがぶがぶと喉に流し込んだ。

 水差しを空っぽにすると、カルマは用意されていた「エルフの涙」をポーチにしまって立ち上がった。


「ぷはぁーっ! ゼメキスさん、先を急ぐので失礼する! それじゃ、さらばっ!」

「おいっ、お礼がまだ……! ああ、いっちまった」


 止める間もなく、カルマは矢のような勢いでエルフの里を走り去っていった。


「せっかちな奴じゃのう。あんな小瓶じゃ気が済まないからと特大の水差しに『エルフの涙』を用意してやったというに。空っぽにしていっちまった」


 カルマがやけになってがぶ飲みした水差しには、「生命の泉」からくんだ「エルフの涙」がなみなみと満たされていた。

 これを持ち帰れば山のような金貨を手にすることができただろう。


「あらぁ、エルフの里で休憩したのがよかったのかしら? すっかり疲れが取れて、足が軽いわあ」

『あのね、カルマ。それって「エルフの涙」の回復効果だよ。さっきがぶ飲みした水差しに入ってたみたい』

「ぬわにぃー! なぜ先にそれをいわん! 持って帰れば一獲千金、お宝ゲットのチャンスだったのにぃ―!」

『ダメ、ダメ、Uターンしないで! 呪いのこと忘れちゃダメだって!』


 泣きながらカルマはエルフの里に戻ることをあきらめた。


「ヂギショー! こうなったら依頼の成功報酬、ぜんぶ酒場で使ってやる! 最後の一セントまで飲んでやるぞー!」

『あ~あ。また酒場で飲んだくれるのかぁ。ま、それっていつものことだけどね』


 夕闇を切って突っ走るカルマの目から、悲しみの涙がキラキラと星のように散っていった。

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