第6話 エルフの里
ギルドの建物を出ると、カルマは手に持っていた旗竿を腰のベルトに差した。本来それは旗竿ではなく、愛刀である「聖剣ボウ」だった。
見た目はただの棒きれだったが。
「さてと、依頼を受けたことだし、早速でかけようかな」
『ずいぶん気が早いね。準備の必要はないのかい?』
普通の冒険者なら装備を整え、武器防具の手入れをし、食料や魔法薬などの消耗品をそろえるものだ。
それに対して、カルマは着のみ着のままでクエストに出掛けるという。
「だって、アタシの場合は毎日が旅だからねぇ。特に準備することもないし」
『そういわれれば。まさしく「旅に生きる者」って感じだね』
「そうそう」
『いい方を変えると、浮浪者だけど』
「おいっ!」
核心を突かれてカルマはイラついた。
『それで、どの依頼を最初にするの?』
「そうね。因縁のあるエルフの里を最初にしようかしら」
カルマにとってはある意味「リベンジ」となる。問題はいきつくまでに時間がかかるということだった。
『うかうかしてたら月日が経って、カルマの寿命が縮まっちゃうから気をつけてね』
「うう、わかってる。速攻でやっつけるつもりよ」
妖刀である朝霧を所有しているだけで、持ち主は十日で一年の寿命が縮まる。しかし、手放すこともできないという恐ろしい呪いがカルマにはかかっていた。
「さあ、朝霧ちゃん。アタシの下半身を鑑定して! じっくり、ネットリ見てちょーだい!」
『何を急に色気づいているんだ、この女……』
「ふふふ、鈍いわね。移動時間短縮のために、『速度向上』の魔術を付与するのよ!」
『自分自身の体に付与魔術をかけようというのか? それはまた大胆な』
失敗すれば両足が砕け散ることになる。朝霧に鑑定能力があるからこそ思いついた作戦だった。
『無茶苦茶だね。まあ、やってみるけど……。<鑑定>!』
【カルマの両脚】付与可能数:残り2
『付与できる機能の枠は2つだね』
「あらそう。じゃあ、速度向上×1に耐久性向上×1の組み合わせにしようかしら」
エルフの里までの道は長い。速度に全振りせず持久力にも配慮した方がよいと、カルマは判断した。
『意外に堅実なんだね』
「これでもプロですからね。付与魔術で無理はしないわ」
とがりたがる無鉄砲な連中をいやというほど見てきた。カルマはバカであっても無謀ではなかった。
「魔術師カルマの名においてわが魔力を糧に命ず。速度向上を1スロット、耐久性向上を1スロット、わが両脚に与えるべし!」
この時だけは凛然と胸を張り、カルマは付与魔術を行使した。白い光が下半身を包み、やがて粉々の星屑となって消え去った。
「よーし、大成功! エルフの森までひとっ走りだぁー!」
一声叫ぶと、カルマは風のように走り出した。たちまちスピードに乗り、一蹴りで十メートル宙を進む。
『おおー! これはすごいね。この分なら半日でエルフの里につきそうだ』
「任せなさいっ! アタシは鳥。アタシは風。誰にも止められないのよー!」
◆
四時間後。
「熱いー。喉乾いたぁー。ふくらはぎだるいー」
エルフの森についたカルマは、木の根元に尻をついて音を上げていた。
『ははぁ。耐久性を向上しても疲労とか、消耗とかは防げないんだね』
「そりゃそうか……。人間が生き物だってことを忘れてたわ……」
『でもまあ、エルフの森まであっという間に来られたからいいじゃないか』
「そ、そう? そういうことにしておこうか」
よろよろとカルマは立ち上がった。
回復ポーションはおろか、水筒さえ持っていない。こんなところで立ち止まっていては、体力を失うばかりだ。
「とにかくエルフの里を目指しましょう」
『うん、そうだね。問題はエルフの里を守っている『結界』なんだけど……』
森に入ってからカルマは結界を見破ろうと気を配ってきた。魔力の動きがあれば、感知することが可能だと思ったのだが……。
「うーん。アタシの魔力感知では見つけられないみたい……」
『エルフの結界は魔術とは違うものみたいだね』
おそらく種族固有の特殊な術に違いない。朝霧はそう思った。
「アンタの鑑定の方はどう? かけられた隠ぺい効果を見破れそう?」
『何だかもやもやした感じがするんだけど。初めてのものだからピンとこないのかな?』
朝霧の歯切れが悪かった。初めて嗅いだ臭いのようなもので、「これ」と見定めがつきにくい。
『そうだ。カルマ、わたしを抜いてみてくれる?』
「な、何よ? もやもやしたからってそんな急に……」
『勘違いしないで! 刀を抜いてっていってるの!』
「なあんだ。そういうこと?」
幾分がっかりしながらカルマは朝霧の鞘を払った。涼しげに鞘を鳴らして輝く刀身が滑り出る。
きぃーんと清浄な音が辺りを払った。それだけで、もやもやしていた雰囲気がしんと透き通る。
『うん。頭がすっきりした。わたしを構えたまま、「もやもやが濃い方向」に進んでみて』
「こうか?」
カルマは朝霧の刀身を中段に構えて、センサーのように左右に振り動かした。刀身を動かす手にクモの巣のような抵抗を感じる方向がある。
カルマは抵抗が強い方向へと足を進めた。
『うん。この方向で合ってると思うよ』
次第に暗くなっていく森の中を二時間ほど進むと、刀の先が進まなくなった。弾力のあるものに行き先をふさがれているような手ごたえが、カルマの手元に伝わってくる。
「何かあるわね。このままじゃ進めないみたい」
『きっと結界の本体だろう。鑑定の力で破れないかやってみるよ』
朝霧は今まで以上に精神を集中した。
『エルフの術がどういうものであれ、わたしたちにとっては邪魔ものだ。「邪なるもの」を破る破邪の剣になれば、このまやかしを打ち払えるはず――』
朝霧はかつて刀匠であった頃、神殿に納めるために打ち上げた聖剣を心に描いた。神気を帯び、あまねく邪を払う正義の剣。
いつしか朝霧の刀身に清浄な光がまといつき、蛍の光のように震えた。
「む、これは――」
神聖なものの訪れを感じ、カルマは思わず刀身を頭上高く構えなおした。
「――斬れる!」
カルマの中に確信が目覚めるのと同時に、朝霧の集中が最高潮に達した。
『<神韻>!』
「鋭ッ!」
気合と共に振り下ろした刀身は、何の抵抗もなく地面と平行になる位置で停止した。
韻――と、音ではない音が空間に満ち、やがて消えていった。
「道が……」
『開けたね』
カルマたちの前に草花が咲く小道がまっすぐに伸びていた。
カルマは朝霧を鞘に納めて、小道を歩みだした。一歩を進めるごとに今度は梢から差し込む光が明るくなっていく。
やがて前触れもなく、カルマの前に開けた空間が広がった。
『エルフの里……でいいのかな?』
「でしょうね」
見たこともない花が咲き乱れ、その間を蝶と一緒に妖精らしきものが飛び回っている。
そして、目の先にはとてつもない大木がそびえ立っていた。
「あれが世界樹というものかしら?」
『そうかもしれないね。きっとエルフはあそこに住んでいるのだろう』
山のごときボリュームで、梢を雲に覆われた巨樹を目指してカルマは進んでいった。
「これって不法侵入になるのかしら? エルフ防衛軍に襲われたりしない?」
『平穏に入国したつもりだけど……。正規の手続きを知らないからなぁ』
怒られたら謝ろう。心の中で解決をつけて、カルマは両手を口に当てた。
「こーんにーちはーっ! 誰かいませんかぁーっ!」
『うわあー、デリカシーのない客キタァ』
「うるさいわね。人んちにきたら声をかけるしかないでしょ!」
ぶつぶついい合いながら声をかけ続けていると、そばに立っている木の幹がぱかっと開いた。
「やかましい! 人んちの前ででかい声を出すな!」
「ひっ! ごめんなさい! 誰もいないかと思って」
「誰かがいると思うから挨拶するんじゃないのか? お前、さてはバカだな?」
第一エルフ人の印象はどうやら最悪だった。