第5話 三件の依頼
「心当たりがないこともありません」
「聞かせてもらっていいかしら?」
魔術師ギルドの一階には大広間のようなロビーが広がっている。入り口の反対側が受付カウンター、両側の壁は掲示板になっていた。
掲示板にはびっしりと紙片が貼りつけられている。腰の位置から見上げる高さの天井まで隙間なくびっしりと。
その一枚一枚が仕事の依頼票だ。
今も数名の魔術師が掲示板の前で依頼票を眺めている。自分の実力に見合った仕事がないかと探しているのだ。
依頼票に書かれた仕事は、高い位置にあるものほど難易度が高い。天井に近いものなどは「浮遊魔術」か「遠見術」でも使えなければ内容を読み取れないようになっている。
必然的に人を選ぶのだ。
低い位置にある依頼票は雑用程度のものばかり。せいぜい小遣い稼ぎにしかならない。
内容が千差万別の依頼票だが、一つ共通していることがある。
個人情報はわからないようになっているのだ。
考えてみればわかることだ。○○男爵が奥方の浮気を疑っているなどと、世間に知らせるわけにはいかない。
困り事というものは往々にして「弱み」になるものなのだ。
よって、そういう秘密の依頼が掲示板に貼り出されることはない。信用できる魔術師を選んで、こっそりと依頼するものなのである。
それをこの珍妙な女魔術師は、遠慮もなしに聞かせてくれといってきた。
「それは無理です。依頼主の個人情報を漏らすことになりますので」
「アタシを信用してもらえないかしら」
逆にどこをどう見たら信用できるのかと、モンドは問い返したかった。
「まじめに二、三年実績を積み重ねていただければ、ギルドとしても信頼できる会員リストに加えさせていただきます」
(それまではおとなしく雑用をやっておけ、素人め)
そういう気持ちを視線に込めて、モンド氏はカルマの目を見つめ返した。
『カルマ、カルマ!』
(何よ、朝霧?)
モンド氏を相手に押問答を始めようとしていたカルマを、朝霧の声が呼び止めた。カルマはモンド氏の視線を受け止めたまま、頭の中で朝霧と会話する。
『ここは一旦引き下がろう。引き際を間違うと出禁になっちゃうよ』
(むむむ……。そうね。焦りは禁物か)
カルマもギルドとはどういう場所かわかっている。信用は一朝一夕に得られるものではないのだ。
「わかったわ。無理をいって困らせるつもりはないの。またくるわ」
「お待ちしております」
ほっとして頭を下げるモンド氏に見送られ、カルマは受付カウンターを離れた。そのまま外に出るかと思うと、カルマは掲示板に歩み寄った。
『あれ? 帰るんじゃないの?』
依頼を受けるつもりか、カルマは掲示板に並んだ依頼票を見渡した。
すると、おもむろに背中に括り付けていたのぼりを抜き取る。竿から布を外し、くるくる丸めてベルトに挟んだ。
ただの棒になった旗竿を目の前の床にトンと立てる。
両脇に立つ魔術師が当惑気味に眺めていると、カルマの両足が床を離れた。
軽くジャンプした勢いのまま両手を動かして、カルマは床に立った旗竿をするすると昇った。
「えっ?」
「何?」
驚く見物人にかまわず、カルマは垂直に立った竿の上につま先で立った。とんでもない身軽さだ。
これが魔術による浮遊などであれば、さほど驚く必要はない。ここは魔術師ギルドである。
ところが、カルマの動作には魔力の動きが伴っていなかった。つまり、純粋な身体能力だけで支えもない棒の上に立ったことになる。
『いやあ、すごいバランス感覚だねぇ』
さしもの朝霧もかなり驚かされた。ポンコツ魔術師のカルマにこんなことができるとは想像していなかったのだ。
(ふん。こう見えてもエルフの森を走破した人間よ。木登りだったらサルにも負けないわ)
木から木へと飛び移り、毎日木の実を採り、獲物を捕らえていたのだ。旗竿の上に立つことくらい朝飯前だった。
「これとこれ。それからこれにしよう」
内容も読まずに手近な依頼票を三枚、カルマは掲示板からはがした。
どれも用紙が変色してしまったほど古い依頼で、数か月から数年そのままであったことがうかがえる。
いわゆる「塩漬け案件」と呼ばれる困難な依頼事項だった。
すとんと床に降りたカルマは旗竿を左手に、依頼票の束を右手に持って受付カウンターに戻ってきた。
「依頼を受けたいんだけど」
「こちらの依頼票ですか……、これは!」
差し出された依頼票に目を落として、受付のモンド氏は目を見開いた。
誰も手を出さないか、手を出しても失敗してきた「塩漬け案件」だ。
「失礼ながら、この三件は当ギルドでも最高難易度の案件ですが……」
「結構よ。そのくらいこなせなくちゃギルドの信頼は得られないでしょ?」
「そこまでのご覚悟であれば、止めは致しません。カルマ様の本件受注を承認いたします」
「ありがとう。じゃあ、依頼内容の詳細を説明してほしいんだけど」
依頼票には簡単な概要しか書かれていない。これも個人情報保護の一環である。
詳しい話は依頼を正式に受注してから、個別に聞くのがルールだった。
「かしこまりました。それでは別室にご案内いたします」
モンド氏に案内されて、カルマは二階にある応接室に連れていかれた。
「早速ですが、三件の依頼についてご説明します」
一つ目は、「エルフの涙」と呼ばれる湧き水の入手依頼だった。エルフの里にある生命の泉から湧き出す水を、満月の夜にユリの花をひしゃく代わりにしてくみ上げたものでなければならないという。
それをガラスの小瓶に入れて持ち帰るという依頼であった。
「それって、エルフに妨害されたりしないのかしら?」
「ふつう、よそ者はエルフの里に入れてもらえないそうです。里に受け入れてもらえるなら、湧き水をくむことも許されるといわれております」
「そういうことか。エルフの森なら突き抜けたことがあるけど、エルフの里に行き当たらなかったのよねぇ」
「えっ? あの森を抜けたんですか?」
生きて帰るのも難しい秘境である。この旗竿女はとんでもない実力者かもしれないと、モンド氏はカルマを見る目を改めた。
「エルフの里は結界に守られているそうです。エルフに認められるか、結界の術を破るかしないと中には入れません」
「そういうことだったの? まんまと騙されていたわけね。そうと知った以上、今度はごまかされないわよ」
『エルフの結界ね。僕には鑑定の力があるから任せておいて。しっかり見破って見せるから』
結界と聞いて妖刀朝霧が自信ありげに語った。
「ふふふ。もう勝ったも同然よ。二番目の依頼について教えてちょうだい」
「こちらはワイバーンの生き血を持ち帰るという依頼内容です」
ドラゴンの亜種であるワイバーンは空を自在に飛び回るモンスターだ。炎のブレスを吐く強力な魔物であり、動きも素早い。盾役、戦士、攻撃魔術師、回復魔術師がパーティーを組んで討伐する相手であり、一流の冒険者でも苦労する強さを持っていた。
「討伐依頼ではないのね?」
「はい。あくまでも生き血を持ち帰るという採取依頼です」
そうはいってもワイバーンがおとなしく血を取らせるわけがない。気絶させるか、息の根を止めるかしないと生き血を抜くことはできないだろう。
「注意点は血の鮮度です。生きた状態か、死の直後に血を抜いて密閉しなければなりません」
「面倒くさいのね」
カルマは平然と聞いているが、この依頼も難易度がとんでもなく高い。ワイバーンの生息地にはほかにも強力なモンスターが存在する。その脅威にさらされながらすばやくワイバーンの血を採取しなければならない。
「おひとりでは難しい案件かと」
「そうね。でも、何とかするわ」
旗竿女は余裕しゃくしゃくだった。モンド氏にはその源が判断できない。
(もしかすると、この女は超一流の魔術師なのかもしれない。――見た目はアホだけど)
「三件目の依頼について説明してちょうだい」
「こちら付与魔術の依頼です」
「あら? アタシの専門ジャンルじゃない」
「え? そうなのですか?」
モンド氏は当惑した。
(この女、付与魔術師なのか? それなのに「エルフの涙」や「ワイバーンの生き血」を取りにいくって? 死ぬよ? 死んじゃうよ?)
モンド氏の感覚は正常だ。どちらも戦闘力のない付与魔術師ごときが踏み込めるような領域ではない。第一級の冒険者パーティでも生存が難しい危険地帯だった。
たまたまカルマが異常なサバイバル能力を身に着けているために、危険に鈍感なだけだ。
よい子が真似をしてはいけない行為だった。
「それで? 何にどんな機能を付与すればいいの?」
「あ、はい。対象は食器で、付与する能力は毒無効化です」
「……それは難しいわね」
「えっ?」
付与魔術の専門家なら何とかなるんじゃないのか? モンド氏はそう思って、眉を持ち上げた。
「食器に付与するのは毒素分解の機能になるわよね? そういうのって食器本来の性質にはないので、乗りにくいのよ」
「ははあ。そういうものですか」
「だから、術を重ねがけすることになるんだけど、食器の方が耐えられるかしら……」
毒を弱めるだけでは足りない。完全に分解しなければ毒無効化という目的を実現することはできないのだ。
そう考えると、カルマがいう難しさの一端がモンド氏にも理解できた。
だがしかし、カルマには鑑定のできる朝霧がついている。
「でもまあ、今のアタシなら何とかなるでしょ。依頼人のお宅にお邪魔しなくちゃいけないから、住所を教えてちょうだい」
「お気づきでしょうが身分あるお方なので、この件はご内密に」
「当然ね。秘密は守るわ」
「先方に伺う場合はわたしを通してご連絡を」
モンド氏から必要な情報を聞き終えたカルマは、魔術師ギルドを後にした。