第29話 マルク対ハリー
代表戦は街道脇の草原側で行われることになった。
千鳥足改めマルクは盾と片手剣を装備していた。もちろん剣は木剣である。
それを幾度か振り回して、手になじませていた。
「相手はマルクか……。隙が少ない奴なんですよね」
「確かにいい動きね。とはいえ所詮模擬戦だ。自分の良さを出すことを考えればいい」
「俺の良さ、ですか……。はい、やってみます」
ハリーは相手となるマルクの素振りを見ながら気持ちを落ち着けようとしていた。
正直なところマルクは十人の訓練生の中でもトップクラスの実力者だ。ハリーは模擬戦でこれまでマルクに勝てたことがない。
どうすれば勝てるかというイメージが浮かばなかった。
そんな様子を見て、カルマは自分の良さを出せばいいといった。
確かに相手の強さばかりを考えて萎縮していては、自分の良さなど出せなくなる。
(余計なことを考えるのはやめよう)
ハリーは八日間のおさらいをするつもりでマルクと向き合う位置についた。
両社の距離は六メートル。剣の間合いには遠い。
ハリーは左手に弓を提げ、腰の後ろに矢筒を括りつけている。腰の左右には短いこん棒を差していた。
『弓を持つと盾が装備できないからこん棒にしたのかな?』
(弓の装備を優先したのね。近接戦になったら相手の剣をこん棒で受け止めるつもりみたい)
『それにしても一本は木剣にしてもよかったんじゃない?』
朝霧は疑問に思ったが、木剣の打ち合いではマルクにかなわないとハリーは考えたのだった。
採用試験でカルマがこん棒を使う姿を見たことが影響しているのかもしれない。
『カルマの弟子っていうつもりかもしれないね』
(さあどうかしらね)
訓練生と指導員二人の見守る中、審判のバサラが中央で手を挙げた。
「これより模擬戦を始める。勝負は一本。――始めっ!」
開始の宣言と同時にマルクは右手の木剣を頭上に掲げ、左足を一歩前に踏み込んだ。
「こいっ!」
相手を実力で上回るという自信に満ちた構えだった。
「……」
対するハリーは気合を発することなく、むしろ体が縮んだように見えた。
(委縮したか?)
マルクがちらりと思った時、ハリーの手が閃いた。
ヒュンッ!
構えも取らずに矢を放ったのだった。
気づいたらマルクの目の前に矢が迫っていた。
「くっ!」
不意を突かれはしたが、マルクに油断はない。左手の盾で飛来する矢を受け止める。
カンッ!
高い音を立てて先を丸めた矢がはじかれた。
「うん?」
弓を構えたハリーの体が小さくなっている。マルクが矢を受け止めたわずかな時間に、足音も立てずに後退していた。
『ほう。気配を抑えるのが随分うまくなったじゃないか』
(そうね。あの子も<気配遮断>スキル獲得に近づいてる)
ハリーの気配が薄くなっているために、マルクには彼の動作が捉えにくくなっていた。予備動作なく、突然動いたように見える。
するするとハリーは彼我の距離を十メートルに広げた。
マルクにとっては相手の攻撃だけが自分に届く不利な距離だったが、矢の追い打ちを用心して不用意に踏み込むことを躊躇していた。
『ここまではハリー君のペースだね』
(相手の意表を突いたという意味では成功ね)
ハリーの戦法は、およそ剣士としては邪道だった。まるで冒険者のようだと、朝霧は感じた。
マルクの方が正統派といえる。
『君の弟子らしい戦い方じゃないか』
朝霧は面白がるようにいった。
『さて、ここからどうなるのかな?』
試合開始後の駆け引きに戸惑ったマルクだったが、ハリーとの距離が離れたことで対応を切り替えた。
(距離がある分、矢を射かけられても対応しやすい)
さっきは六メートルの距離から矢を受けた。
矢は自分めがけて飛んでくる。盾を正しく使えばそれを止めるのはさほど難しくない。
距離が十メートルに離れた今は、さらに余裕が生まれていた。
(狙われるとしたら――足元か)
盾では隠せない足元を射抜かれたら、たとえ練習用の矢でも動きに支障が出る。当たり所が悪ければ骨折するかもしれない。
マルクは盾の位置を下げ、背中を丸めてできる限り全身が盾の陰になるようにした。
それでも膝から下は露出していたが、すねを狙われたらフットワークを使って避けるつもりでかかとを上げて備えた。
ハリーの方は作戦通りに戦いを進めていた。まともに打ち合ったら分が悪い。
試合開始早々の一射には実は命中を期待していた。気配を抑えて予備動作なしに矢をお見舞いした。マルクの油断を突ければ、当たる可能性はあると思っていた。
しかし、きちんと盾で受けられたので距離を取って仕切り直しという展開になった。これも作戦のうちではある。
これだけ距離があれば、たとえマルクが突進してきたとしても近づく前に二射はできる。狙うのはもちろんすねの部分だ。
機動力を削げれば、そこからの近接戦を有利に運べるだろう。
(――構えを低くした。持久戦を選んだか)
ハリーとしては一番やりにくい形になった。しっかり守りを固められると、矢が通る確率が下がってしまう。
守る側としては狙われるのが足だとわかっていれば、圧倒的によけやすくなる。
(それでも俺はこいつを射続けるのみ!)
気配を抑え、タイミングを読みにくくしたまま、ハリーは矢を連射した。低い射線を描いて、矢はマルクの右足に迫った。
「ふっ!」
マルクは軽く左に飛んで、矢をかわす。
そこへ次の矢が飛んでくる。今度の矢は着地しようとする左足を狙っている。
「しっ!」
その左足で地面を蹴り、マルクは反対の右に飛ぶ。十メートルの距離がマルクに対応する時間を与えていた。
すると、今度はハリーの狙いが変わった。足元ではなく、盾の上に出たマルクの顔を狙って矢を飛ばした。
盾の陰に隠れていても、敵の攻撃を見定めるために目から上は盾から露出せざるを得ない。
「くっ!」
マルクは頭を下げ、盾の右横に顔半分を出す姿勢を取った。左足を前に出した半身の姿勢だ。
(よし! ここだ!)
ハリーはこの展開を待っていた。
半身に構えたマルクは前後には足を運べるが、左右には動きにくい。特に左に動くためには、バックステップを踏まなければならない。
右手の木剣は後方にあり、矢を切り落とすには大きく体を回さねばならない。それは全身をさらけ出す動きでもあった。
つまり、マルクの構えは一見堅い守りでありながら、揺さぶりに弱い状態でもあった。
ハリーはマルクの盾に立て続けに矢を射かけながら、マルクの左手側へと斜めに突進した。
二人はともに相手に左手を向けた位置関係になる。
ハリーは左手に矢を飛ばす起点となる弓を握り、マルクは防御の起点である盾を構えた左手を相手に突きつけていた。
ハリーは攻撃的姿勢。マルクは守備的姿勢。
すべてはこの状態を作り出すためにハリーが考えた作戦であった。
マルクは考える間もなく、いつの間にか守勢一辺倒に追い込まれていた。
(くそっ! 剣の間合いに入ればこっちのもんだ!)
その瞬間まで守り切る。マルクの頭はその考えに支配されていた。
ガツッ!
残り三メートルの間合いとなったとき、ハリーの矢が射線を変えた。
マルクではなく、その手前の地面を射てきたのだ。
「ぬっ?」
矢尻の代わりに球をつけた練習用の矢は地面に刺さらずに、跳ね返った。マルクの左足めがけて、地面すれすれを飛ぶ。
ゴンッ!
マルクは盾を地面にたたきつけるようにして、矢を受け止めた。
同時に接近戦に備えて右手の剣を持ち上げる。
ハリーは右手で腰からこん棒を引き抜いていた。その姿を視界にとらえたマルクは、勝利を確信した。
(これは剣の間合いだ! もらったぞ、ハリー!)
ハリーは盾を装備していない。マルクの剣を受け止める手段はなかった。
「しぃっ! 何だとっ⁈」
ガツッ!
ハリーの弓が上段から斬り下ろしたマルクの木剣を受け止めていた。
「バカな! そんな木の枝でっ⁈」
ハリーの弓は拾ってきた木の枝を加工した粗末なものだった。
『カルマ謹製の弓を見た目で判断しちゃいけないねぇ』
耐久性向上。カルマはそれを弓に付与していた。
本身の剣ならいざ知らず、木剣ごときに折られるようなやわな属性付与はしていない。
それを知っている朝霧は、マルクの油断を指摘する。
今の攻防で、マルクは全身を盾の外にさらけ出してしまった。
ハリーはマルクの木剣を押しのけながら、左手の弓を放り出した。その手はすぐに腰からこん棒を抜き出す。
同時に右手のこん棒をマルクの喉に向けて一直線に突き出した。
「だぁああーっ!」
この試合初めて、ハリーの口から気合が発せられた。
右手の木剣を動かしていては間に合わない。マルクは体をひねりながら、左手の盾をこん棒に横からたたきつけた。
ハリーの勢いに押されてマルクの足がもつれる。
二人は重なり合うように、勢い余って地面に倒れ込んだ。




