第27話 森に入る
翌日からノエルとジェシカは投擲の練習を始めた。
しかし、投擲に適した武器など用意がない。手ごろな石を拾い集めて礫撃ちの練習をするしかなかった。
「石もバカにしたもんじゃないわよ。どこにいっても手に入るんだから」
カルマはそういって二人を励ました。
鶏の卵程の丸みのある石を選んで、ノエルたちは立ち木の的を相手に投擲を稽古した。もちろん数日で身につくようなものではなく、当面は物を投げるための筋肉作りとフォームの安定が目的である。
「最初は当てることは二の次。礫に勢いをつけることとフォームを安定させること。この二つに集中して」
投げ続けることで礫は勢いを増した。
そのころには指先に血豆ができて、つぶれて痛んだ。
「どれどれ。見せてみて。こりゃ痛そうね」
「このくらい大丈夫。稽古を続けます」
「無理をするとろくなことないわよ? 指先をかばって、フォームが崩れてしまうわ」
体の一部を痛めるとそれをかばおうとしてほかの部分までおかしくなる。人の体は微妙なバランスの上で動くようにできているのだ。
「仕方ないわね。えーと……大丈夫。アタシが回復力向上の属性を付与してあげるわ」
朝霧の鑑定で「枠数」を確認しながら、カルマは二人に付与を行った。
カルマの回復力向上付与は体に備わる自然治癒力を強化するものであって、回復魔術や回復薬のように体へのダメージを巻き戻すものとは異なる。
筋肉の超回復や指先の皮膚硬化などの働きを阻害せずに、体へのダメージを癒すことができるのだ。
一晩眠れば豆は消え去り、指先は強い皮膚に覆われていた。
血豆や切り傷を作るのはノエルたちだけではなかった。弓の訓練を続けるハリーたちも同様に、一日の終わりにはカルマの付与魔術を受けることになった。
「アンタたちみんな、付与枠が一つ以上あってラッキーだったよ。でも、アタシの付与魔術に頼り切らないようにね」
「わかっています。いつもカルマさんがいるわけじゃありませんから」
普通の状態であれば、体の異常を治してから訓練を再開するのが正しいやりかただ。カルマの付与魔術で回復を加速させるというのは、今回だけの特殊条件だった。
おかげで内容の濃い訓練ができると、訓練生たちはカルマに感謝した。
演習四日目、午前中は前日同様水鳥を狩り、昼食後カルマ班は森へと移動した。
事情はサリー班についても同様で、彼らも午後森に訓練の場所を移した。もちろん彼らの移動は駆け足だった。
「シドー、森に入ったら戦闘法の訓練ができるんでしょうか?」
「ん。許可する。森はモンスターの巣でもある。常に用心」
野営場所は森の浅いエリアに定め、森の中での行動はそこからの日帰りで行うことにした。
余計な危険を上乗せする必要はないというサリーの判断だ。
草原から川に沿って移動してきたので、相変わらず川水を水源として利用できる。新しく水源を探さなくてよいのは大いに助かった。
「午後は戦闘訓練ができるね」
「シドー、何の武器を使いますか?」
「そうだな。森の中だからダガーにしようか」
剣が折れたり、破損したときの備えとして全員短剣を携行していた。障害物が多い森の中では、取り回しのよい短剣の方が長物武器より使いやすい場面も多い。
「昨日の夜、これを作っておいた」
サリーは肩からぶら下げていた円筒形のかごのようなものを地面に下ろした。全部で十個くらいありそうだった。
「これは何ですか?」
「巻き藁の代わり。立ち木に直接ダガーを突き刺したら、手首を痛める。これを的にして短剣術を稽古する」
それは細枝を二十センチほどの長さに切りそろえ、葦の茎でぐるぐる巻きにしたものだった。
「こうやって喉、わきの下、下腹、内ももの急所にあたる位置に固定して使う」
サリーは手ごろな立ち木に巻き藁もどきを括りつけて見せた。
「数が足りない分は森の材料で自作しろ。盾で敵を抑えて急所を刺したり、剣をいなして飛び込んだり、実戦を想定した稽古をして」
真剣では対人戦ができない。そうかといって短剣を模した木剣では、刺したり斬ったりという武器の使い方が十分に体感しにくい。
「刺すための角度とか力の入れ具合。そういうことを練習する」
道具立ては素朴だが、稽古の意図は極めて血なまぐさいものだった。
「明日は弓とダガーで狩りに出る。今日のうちにダガーの使い方に慣れて」
「わかりました」
「頑張ります!」
ようやく戦闘訓練らしいことができる。サリー班の隊員はやる気を燃やしていた。
飛びつくように巻き藁もどきを拾い上げ、立ち木に括りつけた。巻き藁の数に限りがあるので、二体分の仮想敵しか用意できない。
とりあえず交代制で「敵」に挑むことにした。
「必ず敵の攻撃を想定する。受けるかかわすかして、懐に飛び込む」
サリーはアドバイスを与えながら、自らその動きを再現して見せた。トンファーを主武器にするサリーは、普段から似たような動きを取り入れていた。
磨き上げられたステップで、流れるように動く。
「手だけに意識を取られない。足運びが大切」
順番待ちの隊員は食い入るようにサリーの体さばきに見入った。ゆっくりとなぞるように自分の体を動かしてみる。
そして、自分の順番がきたら実戦のスピードでダガーを的に突き刺す。
「角度! 短剣と前腕の角度が揃わないと、威力が上がらない」
「刺したらすぐダガーを引け!」
「正面に止まるな! 左右に動け!」
夕暮れが迫る頃、ダガーを受け止め続けた小枝の束は、バラバラに崩れて落ちた。
◆
カルマ班が森で鍛えようとしたのは、引き続き弓だった。
「アンタたちは衛兵でしょ? 森は主戦場じゃないわ。モンスターと戦うのは冒険者の仕事だしね」
町中での治安維持、または町を守る戦いに従事するのが衛兵の仕事だ。限られた演習期間にモンスター相手の駆け引きを訓練しても仕方がない。
カルマはそう考えた。
「八日やそこらで急に強くなったりしない。この演習で求められているのは状況に対応する力でしょ」
サリーやカルマを指導員として雇ったことからして、そういう趣旨だとしか思えない。カルマの戦闘力など、並の冒険者にも及ばないのだから。
「森と一口にいっても、木の密度や植生は場所によってさまざま。地形もそう。その時その時の状況に合わせて、どれだけ実力を発揮できるかが大事よ」
すべての状況に体を合わせることなどできない。自分の型をしっかり持ち、そのいくつかを状況に応じて使い分ける。
または、自分の力を発揮できる状況を選ぶことが必要とされる。
「さて、まずは沢を探そうか」
草原同様、今回も水源の確保からカルマ班の行動は始まった。
「今回は地形を読んで動く。ハリー、一番身軽な子を木に登らせて」
ハリーが選んだのはジェシカだった。荷物を下ろし、短剣だけを腰にしてするすると大木に登り始めた。
ぎりぎりまで梢に近づき、樹上から周囲を見回した。
「西側に谷間らしき地形が見えまーす。森に切れ目があるような。距離は……一キロほどでしょうかー」
「東側はどうなっている?」
「二キロ先に尾根のような地形が見えまーす。木が高くなって南北に延びてます」
「ふうん。よーし! 降りてこい!」
東側にある尾根を越えれば沢があるかもしれない。しかし、ないかもしれない。
カルマは西に向かった方が、沢に巡り合える確率が高いと判断した。
「西に向かって移動する。ハリー、念のため立ち木に印をつけておいて。以降五十歩毎に印をつけること」
森を出てから移動した方が動きやすいのだが、カルマは移動中に狩りの目的を兼ねることにした。隊員にはできるだけ気配を消させる。
落ち葉や小枝が足元に積もった森では、草原よりも気配を抑えることが難しかった。
それでも、<気配遮断>のスキルをオンにしたカルマは高い音を立てることなく、進んでいく。ハリーたちはその背中を追いながら、カルマの身ごなしを真似しようと努めた。
時折カルマは移動を止めて、樹上の鳥や灌木の切れ目でうろうろする野ネズミなどの獲物を指さした。すると、隊員たちは思い思いの場所に位置取りして弓を構える。ノエルとジェシカは石を握って投擲に備えた。
(撃てっ!)
カルマの手振りを横目で見て、隊員はほぼ同時に攻撃する。
しかし、当たらない。同じ距離で水鳥を仕留めてきたのに、森の中ではうまくいかなかった。
「森の中では的との間に高低差ができやすいからね。その分を考えに入れないと」
隊員は落ち込みそうになっていたが、カルマはこだわりもなくそういった。
慣れない環境で的を外すことは当たり前だ。初めからそう考えていたからだった。
「どうして失敗したか、反省は必要だけど。失敗したからっていちいち落ち込む必要はないわ。悩んでもうまくなりゃしないし」
あっけらかんと移動を再開するので、隊員たちは次の機会はこうしようという工夫の方に意識を振り向けることができた。
幸い途中でぽっかり開けた平地で野ウサギが草を食べているところに巡り合った。これならほぼ草原で水鳥を狩った状況と同じだ。
自信をもって矢を射られた結果、ハリーの矢が無事に獲物に命中した。
「うん、よかったな。明日の食糧の足しになる」
「はい! 拾ってきます」
ハリーは獲物にとどめを刺すと、すぐに血抜きをした。肉に捌くのは野営地についてからのこととし、手早く木の枝にしばりつけて肩に担いだ。
四日の間に一端の狩人っぽくなったハリーであった。




