第17話 カルマ、危機一髪
「あなたは……誰だっけ?」
『いや、さっき別れたばかりのマリアさんだろう』
駆け足で追いかけてきたのは、ヤルギス邸の老メイド長マリアだった。ようやくカルマに追いついたものの、息が切れてかがみこんでしまった。
「はあ、はあ……」
「大丈夫ですか? 何か用かしら?」
年寄りが無理をしたせいで、マリアは膝に手をついて空気をむさぼっていた。
「落ち着いて。話があるなら息を整えてからでいいから」
見かねてカルマはマリアの息が落ち着くまで見守ることにした。
この後は食器店にいって付与枠を四つ持つ皿を見つけなければいけないが、格別急ぐ用事でもない。マリアの話を聞く余裕くらいあった。
「ふう……。失礼しました。実はカルマさんのお耳に入れたいことが」
「何でしょう? 依頼に関することですか?」
それ以外にマリアからカルマに伝えたいことがあるとは思えない。ここまで必死に追いかけてくるということは大事な話なのだろう。
カルマはマリアの話を聞いてあげようという気持ちになった。
「それが……ここではちょっと。せめて路地裏までついてきてくれますか?」
ここは大通りの真ん中だ。秘密の話をするにはさすがに人目が多かった。
マリアが先導する形で二人は細い横道に入った。
常に建物の影となる狭い路地は暗くてひんやりとした空気がよどんでいた。
「えーと、それでお話とは何でしょう?」
路地に入ったものの口を閉じたままのマリアに、カルマは話を促した。
「あ、あの。それは……」
もごもごと意味のない言葉をつぶやきながら、マリアは路地の奥へと後ずさっていく。
「ちょ、ちょっと」
カルマが手を伸ばすと、マリアはくるりと背を向けて走り出した。
「何よ? どこへ行くのよー!」
マリアを追って一歩踏み出そうとしたところで、カルマは背中から水を浴びせられたように感じた。
『カルマ、伏せて!』
朝霧の警告と同時にカルマは石畳に身を投げだした。
ギンッ!
すぐ後ろで金属が石を打つ音がする。
胃が裏返るような恐怖を感じながら、カルマは石畳の上をゴロゴロと転がって後方の脅威から距離を取った。
わけもわからず抜刀して、朝霧を突き出して構える。見上げた視線の先には、石畳に剣を振り下ろした姿の男がいた。
今日はお金持ちの家を訪問するので、聖剣ボウと聖盾イータは宿に置いてきた。カルマの身を守る道具は朝霧だけだった。
「チッ! 勘のいい女だ。素直に斬られりゃ、長く苦しまなくてすむものを」
「ま、マジでやべー奴だ。本気で殺す気かあ!」
石畳に斬りつけた剣先の傷を確かめながら、男がずいっと近づいてきた。
『カルマ、こいつはヤルギスさんのところにいた護衛だ』
「え、護衛の人? 何だって人のこと斬ろうとするのよ!」
「理由を知ったところで何にもならねぇが、わけも知らずじゃ死ににくいか。おめえが邪魔だっていうことよ」
男は手にした片手剣をすっと持ち上げた。
いかにも人を斬りなれた動きを見て、カルマは窮地に陥ったことを悟る。
男から走って逃げるには、体の向きを変えて走り出す必要がある。背中を向けた瞬間に、あの片手剣が振り下ろされるに違いなかった。
両足に速度向上を重ねがけしたとしても、ターンする瞬間は無防備に背中をさらすことになる。
「わかった。ジタバタするのはやめる」
そういうと、カルマは両手に構えた朝霧を腰の鞘に戻した。
『カルマ!』
(抵抗してもかなわない。こうするしかないわ)
「ほう。いい覚悟だ。お前に依頼を果たされちゃ困るお人がいるんだ。悪く思うなよ」
「あぁ~ん、死にたくないよ~」
カルマは泣き出しそうな顔で頭を抱え、しゃがみこんだ。
男の片手剣がピクリと動く。
「跳躍力強化×2!」
叫びとともに、カルマは石畳を思い切り蹴った。
跳んだ先は、左手の壁だ。
今度は左足で壁を蹴り、右側の壁めがけて斜めに跳びあがる。
「くそっ!」
予想外の動きに一瞬反応が遅れた男が、頭上を飛んでいくカルマに斬りつけた。
しかし、切り上げる動きでは剣速が上がらず、カルマの動きに追いつけなかった。
トントンとジグザグに跳躍を続け、カルマは建物の屋根に飛び乗った。
「ざまあみろ、バカヤロー! ペッ、ペッ!」
路地に立つ男を見下ろしてカルマは捨て台詞のついでに唾をお見舞いしてやった。
それ以上は時間を無駄にせず、両足への魔術付与を速度向上に切り替えて屋根の上を走りだした。
「あっぶねー。ぎりぎりだったぁ」
『うーん。見事な逃げっぷりだね。斬られるかと思ったよ』
「狭い路地だったのが幸いだったわ。向こうは剣を思うように振り回せないし、こっちは壁を蹴って登れたし」
軽口をたたく間もカルマの足は動き続けている。建物の端まで行くと、一瞬動きを止めて景色を見定め、方向を決めて走り出した。
『どこへ向かうつもりだい?』
「とりあえず安全なところ――魔術師ギルドよ」
ギルドの中では暴力はご法度だ。あらゆる暴力からギルドはギルド員を守る。
例え王家が相手であろうと、それは絶対のルールであった。
『なるほど。それがよさそうだね。念のため、気配を消すのを忘れないで』
「そうね。<気配感知>オン、<気配遮断>オン。――町中でこんなスキルを使うとは思わなかった」
音も立てず、カルマは建物から建物へと飛び移り、町の上空を魔術師ギルドへとひた走った。
◆
「依頼人の護衛に襲われた? 間違いないんだな?」
「こっちは死にかけたのよ。見間違いなんかしない」
「そうか。依頼人のヤルギスが裏切ったか、それとも護衛の男が誰かに寝返ったか……。いずれにしろ魔術師ギルドに喧嘩を売ったことになる」
命からがら魔術師ギルドに逃げ込んだカルマは、受付のモンド氏を通してすぐにギルド長に緊急事態を報告した。
カルマの正面で鼻の頭にしわを寄せている丸坊主の男が、魔術師ギルドの長スタンだった。
年齢五十過ぎのスタンは魔術師とは思えないほど筋肉に覆われた体をしていた。身長も二メートル近くあり、格闘家といわれても信じてしまいそうな外見だった。
カルマの報告を聞き、タンクトップからむき出しになった胸や腕の筋肉が怒りのために赤く染まっていく。
「久しぶりに荒っぽいことになりそうだ」
ギルドを|虚仮<こけ>にされて怒っているのだろうが、口ぶりだけ聞いていると喜んでいるように聞こえる。
案外喧嘩をする機会を歓迎しているのかもしれない。
「あのぅ、こうなったら後始末はギルドに任せてもいいわよねぇ?」
「あん? 何いってやがる。おいしいところだけ俺たちがかっさらったら、おめえが面白くねぇだろう?」
面白いとか面白くないとか、そういう基準で考えてないといい返したかったが、貧乏ゆすりまで始めたスタンを見てカルマは口をつぐんだ。
「よっしゃ、カチコミだ! 十分後にギルドを出るぜ。おめえも支度しろ」
「ええー? 展開が早すぎる―! ちょ、ちょっと宿に戻って用意してきます!」
「わかった。遅れるなよ!」
荒事が避けられないと悟ったカルマは、宿に戻って聖剣ボウと聖盾イータ、そして強化済みの弓矢を装備して魔術師ギルドに戻った。
「おう、帰ってきたか。なかなか勇ましい恰好じゃねぇか」
「カチコミにいくんでしょ? こうなったら本気でいくわ」
「いい根性してるぜ。よし、ついてきな!」
ギルドの入り口でカルマを出迎えたスタンは両手にガントレットを装着していた。どうみても拳闘士といったいでたちで、とても魔術師には見えなかった。
「あれっ? モンドさんも一緒なの?」
いつもの受付、イケメンのモンド氏もスタンと行動を共にしていた。
「ギルド長一人をいかせるわけにはまいりません」
モンド氏は思い詰めるような表情でそういった。
「それはまた……。大した忠誠心ね」
「何をいう? この人一人で行かせたら、何やらかすかわからないだろ? 私が見張っていなくては」
「へっ? まさかのお目付け役だった?」
どうやらスタン氏は張り切りすぎて問題を起こしたことが、過去に何度もありそうだった。
「へへっ。四の五のいってねぇでさっさと繰り出すぞ。ひゃっほう、祭りだぁーっ!」
「だから調子に乗るな、筋肉バカ! ハゲ頭に電撃くらわすぞ!」
我慢しきれず駆け出したギルド長を追いかけて、モンド氏もきっちり着こなした背広の裾を翻して走り出した。
「待ってぇ! えーと、これ大丈夫かなぁ。ついていくのは間違いのような気がしてきたよ」
『戦力的には頼れそうだから、後ろについていくといいよ、カルマ』
「ああー、めんどくさいわ、この依頼! 絶対割増料金をふんだくるぞー!」
次から依頼を受けるときは冒険者ギルドの方にしようかと、カルマは走りながら考えていた。




