第15話 仕事の時間
(これは……想像以上の圧迫感ね)
無駄にだだっ広い応接室のソファーに収まり、カルマは四方を囲む調度品のあれこれを眺めていた。
ここはギルドを通じての呼び出しに応じて訪れた、豪商ヤルギスの邸宅である。
金に物を言わせて買い集めたのであろう。四方の壁は絵画で埋め尽くされ、彫像の数々が物言わぬ目でカルマを見下ろしてくる。
(ええっと、こんなに裸の女を並べる必要ってあるのかなぁ)
一つ一つを見れば美しい女性像なのだろうが、こう裸ばかり並べられると公衆浴場に放り込まれたような気分になる。
自身が女であるカルマにとっては見慣れたモノであり、官能を刺激されることもない。むしろ不気味だ。
(夜中には入りたくない部屋よねぇ)
『金をかけているのは間違いないけどね』
家具の木材、部屋を支える柱や梁、窓枠、シャンデリアなどなど、至る所が金色に輝いている。
『金箔に金無垢。全部本物の光だ』
(……昼間も入りたくないわ)
カルマだって装飾品に使われる程度の金には興味がある。金貨も好きだ。
しかし、こうもこれみよがしに金ピカを強調されると、息が詰まって頭が痛くなる。
『一代で財をなした人かなぁ。にわか金持ちというのは金の使い道に困るらしいよ』
(ふうん。アタシも困ってみたいもんだわ……やっぱりいいわ。楽しくなさそう)
部屋に通されてから十五分。お茶も出されずに待たされた挙句、ようやくこの家の主人ヤルギスが姿を現した。
執事らしき品のいい男性老人と、干物のような老メイドを引き連れている。
「旦那様、これが魔術師ギルドから紹介された女魔術師でございます」
「付与魔術師のカルマといいます」
「うむ」
立ち上がってヤルギスを迎えたカルマを老執事が紹介した。二重顎をわずかに動かしてヤルギスは挨拶を返し、二人は向かい合ってソファーに腰を下ろした。
豪商ヤルギスは四十代の男性で、でっぷりと肥え太った男だった。肌の色は不健康に白く、額は禿げ上がっていた。
鼻の通りが悪いのか、常に口を半開きにしている。黄色く染まった歯並びは見ていて気持ちの良いものではない。空気に触れて乾くのか、時折べろりと舌で歯の表面をなめ回すのも不快だった。
(あ、アタシたぶんこの人生理的にダメだわ)
そうした内心の想いを顔には出さず、カルマは付与魔術師としての職業トークを開始した。
「この度は食器に『毒無効化』の付与を行いたいとの依頼を受けてきました」
「当家から出した依頼に間違いありません。お前にできますか?」
質問はヤルギスの背後に控える執事から投げかけられた。感情を見せない顔だったが、その視線だけは鋭い。
「可能です。ただし、難しい付与になるので食器を多めに用意していただきます」
「……それはどのようなわけで?」
カルマの要求にヤルギスはじろりと目を動かしたが、今度の質問も執事からのものだった。
「剣に『切れ味向上』の属性を付与する場合、剣が元々持っている属性を強化する術になります。属性とは飴のようなものだと思ってください。柔らかい状態であれば、飴を引っ張って伸ばすことができます。これが剣に『切れ味向上』を付与する行為だとします」
素人に付与魔術の本質を理解させるのは難しい。カルマはたとえ話で説明を試みた。
「ところが食器には『毒無効化』という属性はありません。『耐熱性』とか『耐久性』という属性なら備えていますけどね。もともと存在しない属性は『硬い飴』のようなものと考えてください」
「引っ張っても伸ばせないということですか?」
ここでも執事が合いの手を入れた。
「それどころか、壊れます。無理な付与を行えば対象は粉々に砕けてしまうんです」
「そうですか。これまでもそういうことはありました」
表情を動かさずに執事がいった。
(やっぱりアタシが初めてじゃないのね。だとしたら、この人……)
依頼票が変色するほどの期間、ヤルギスは毒の脅威にさらされてきたということになる。
(よく痩せもしないで生きてるわね)
そのたっぷりとしたぜい肉は、毒殺を恐れながら貯えてきたものには見えなかった。
『悩みを抱えながらでも太る人はいるからね。見た目で人の人生は判断できないよ』
人間とは複雑な生き物だ。
「――できるのか?」
思いのほか高い声でヤルギス本人が発言した。声を発した後で、ぜいぜいと喉を鳴らす。
「いくら皿を割ってもいい。貴様にできるのか?」
ヤルギスは食らいつくような目でカルマをにらんだ。
「できますよ? 食器を割ったりもしません。数さえそろえてくれたら毒無効化の食器セットを用意して見せます」
アタシを誰だと思っているのだ? 付与魔術師の誇りにかけて、カルマは仕事の完遂を断言して見せた。
「結構だ。貴様に任せる。詳細はこのジェームスと調整しろ」
カルマの答えに満足したのか、ヤルギスはぜい肉を揺らして立ち上がり、応接室から出て行った。
あわててカルマも立ち上がり、ヤルギスを見送る。
執事のジェームスはヤルギスのためにドアを開け、廊下に送り出した後でカルマのところに戻ってきた。
「ここからはわたくしがお前の相手をします」
「よろしく」
さっきまでヤルギスが据わっていたソファーにジェームスが腰を下ろした。
カルマは苦手なヤルギスがいなくなったことに、内心ほっとしていた。
「わたくしはこの家の執事のジェームスです。依頼に関してはわたくしが旦那様の代わりにお前の相手をします。よいですね?」
「わかりました。早速ですが、依頼に取り掛かっても?」
「はい。進め方はお前に任せます。始めてください」
ジェームスはいかにも執事然とした背筋の伸びたたたずまいで、ヤルギスのような生理的嫌悪感はない。だが、その慇懃無礼ともいえる言動はカルマに違う意味で壁を感じさせた。
(仲良くはなれない感じ、かな?)
仕事の邪魔にならなければ別に構わない。カルマはそう気持ちを切り替えた。
「毒無効化を施す対象は、皿四枚、ボウル二個、ゴブレット二個、ナイフ、フォーク、スプーンを各一つずつでよかったですか?」
「その通りです」
「食器はどこにありますか?」
「すべて厨房に保管してあります」
カルマが予想した通りの答えがジェームスから返ってきた。
「それではアタシの方が厨房に移動したいと思います」
わざわざ大量の食器をここに運ばせるよりも、カルマ本人が食器の保管場所に移動した方が手っ取り早い。カルマはそう判断した。
「わかりました。マリア、案内を頼みます」
「かしこまりました」
ドアの横に控えていた老メイドが小さく頭を下げた。彼女がマリアだろう。
廊下に出るとマリアが先導し、そのあとにカルマ、一番後ろをジェームスが歩く形となった。
真っ赤な敷物が続く長い廊下を進み、突き当りを曲がって館の一番奥まで進んだところに厨房はあった。
朝食の片付けが終わっており、広い厨房は閑散としていた。料理人の多くは休憩を取っているのだろう。
「食器はあちらの棚に納められています。ラルース、こちらに来てください」
ジェームスに呼ばれてきたのは料理長のラルースであった。
「こちらのカルマが館の食器に魔術を付与します。こちらの調理台を使わせてください。お前はいわれた食器を運ぶ作業を指揮しなさい」
「へい。わかりやした」
「カルマ、何から運ばせますか?」
いよいよ仕事の始まりだ。広々とした調理台の表面を眺めわたしながら、カルマは肘まで腕まくりをした。
「じゃあ、まずは皿を。重ねずにおけるだけ、調理台に並べてください」
「トージ! みんなを集めろ!」
ラルースはぱんぱんと手を鳴らして、部下の料理人たちを集めた。
たちまち皿が運ばれて、調理台の上に列を作った。
(思った通り、たっぷり数があるね。これなら付与枠が多い個体も混ざっていそうだ)
『皿は四枚選べばいいんだよね。カルマ、必要な付与枠はいくつだい?』
(三枠――といいたいところだけど、安全を見て四枠ほしいかな)
『それはなかなか厳しいね。わかった、しっかり鑑定するよ』
魔術付与枠数の鑑定を請け負った朝霧は、腕が備わっているなら腕まくりをしたい気持ちで並べられた皿たちに向かい合った。
『皿よ、皿たちよ。刀匠朝霧の名において命ず。わが眼前に、その本性たる真実を明らかにすべし。示すべきは魔術付与枠――<鑑定>!』




