第12話 絶体絶命
いよいよダンジョンアタック当日。カルマは聖剣ボウと聖盾イータを両手に構えてダンジョンの入り口をくぐった。
純粋な攻撃力なら妖刀朝霧の方がまさるだろうが、朝霧は日本刀だ。
日本刀とは両手使いの武器だった。
防御のことを考えると、カルマは片手を盾のために空けておきたかった。
『途中の雑魚モンスターは無視でいいね』
「どうせ素材の持ち帰りができないからね」
素材で荷物を重くしては動きが鈍くなってしまう。
ソロアタックのカルマにはよほどのお宝以外持ち帰る余裕がなかった。
<気配遮断>でモンスターとの遭遇を避け、どうしてもよけきれない相手だけを倒して先へ進んでいた。
『オークが通路をふさいでいるね。ここは弓で倒そうか』
「了解。弓も矢も強化済みよ。ヘッドショットを決めてやる」
洞窟型の通路には風が吹いていない。巨体のオーク相手なら、カルマには必中の自信があった。
ヒュンッ!
撃たれたとも気づかずに、オークは額のど真ん中を射抜かれて倒れた。
細身の女性とは思えない弓の威力だった。
「腕力と体幹の強化。だいぶなじんできたわ」
『ほんとだね。こうなると小柄であることが安定感を増す長所に見えるよ』
休憩をはさみつつ地下五層の広大な空間まで進んだときに、そいつはいた。
赤茶色の鱗に体を覆われた飛竜ワイバーン。尻尾まで入れた体長は五メートルほど。
「威圧感がハンパないわね。まともにいったら歯が立ちそうもないわ」
『剣で挑むなら名人クラスの技量が必要だろうね。作戦通りエサをまこう』
「ふう。やっとこいつを下せる」
カルマは胸の前で結んだロープをほどき、背中からそれを地面に下した。
朝から狩りに出て獲ってきたイノシシだ。
下半身の強化を筋力強化に全振りしてここまで担いできたのだった。
<気配遮断>をオンにしたまま、こっそりとイノシシの死骸をワイバーンの斜め横まで運ぶ。
「あいつの気を引くために、傷をつけるわよ」
カルマは聖剣ボウでイノシシの首筋を切り開いた。まだ固まっていない生き血が傷口から流れ出した。
『よし、撤退だ』
物影を縫って、カルマは気取られぬ位置までワイバーンから遠ざかった。
あとはワイバーンが催眠ゼリー入りのイノシシに食いついてくれるのを待つばかりだ。
ピクリとワイバーンが鼻先を上げた。空気中に広がった血の匂いに気づいたのだろう。左右に顔を振って匂いの元を探していた。
やがて大まかな方向をつかむと、両足を踏ん張って地面から飛び上がった。
バサッ、バサッ!
力強く翼で空気を押しのけ、高みへと昇る。と、イノシシを見つけて体をひねり、滑空しながら降りてきた。
ガツッ!
両足の鋭い爪を突きだして、ワイバーンはイノシシに襲い掛かった。もちろんイノシシからの抵抗はない。
「ギャーッ!」
天に向かって咆哮を上げ、ワイバーンはイノシシに食らいついた。まがまがしい牙がたちまち血に染まる。
「お残しは駄目よ。全部食べてちょうだい」
祈る思いでカルマが見ていると、ワイバーンは大口を上げてイノシシに食らいつき、宙に放り投げるようにして丸呑みした。
「うわあー。引くわー。絶対食われたくねぇー」
『そりゃそうだろう。催眠ゼリーが効くまで待とうか』
「あとは待つだけね。うまくいったわ……ふ、ふぁ、は」
ホコリでも吸い込んだのか、カルマの鼻が急激にうずいた。
『ちょ、ちょっと、カルマ! くしゃみをこらえて!』
「ふ、ふあ、へぁああー……」
視界の先でワイバーンがふと首を持ち上げた。自分以外の存在に気付いた様子。
『カルマ――っ!』
「へぁああーっくしょんっ!」
『ああ、ダメ―!』
「G-GyaaAAAHs!」
盛大にくしゃみをしたカルマをワイバーンの目が捉えた。たちまち地を蹴って空中からカルマに襲いかかる。
「いやぁあああ! 速度向上+速度向上!」
カルマは下半身に速度向上を重ねがけし、全速力で逃げ出した。その上空にワイバーンが迫る。
『あと二十メートル!』
カルマの前には狭い洞窟への入り口が見えている。あそこまでたどりつければワイバーンを振り切れるはずだった。
「ギャーッ!」
しかし、ワイバーンの声はすぐ後ろに迫っていた。このペースでは洞窟に逃げ込む前に襲われてしまう。
そう判断して、カルマはくるりと踵を返した。
『カルマ!』
「アンタの切れ味、見せてもらうわ!」
カルマは聖剣と聖盾を放り捨て、腰の朝霧を一気に引き抜いた。
ワイバーンが眼前に迫って、大口を開ける。
「速度向上解除! ジャンプ力向上×2!」
カルマは両足にありったけの力を込めて飛び上がった。目指すはワイバーンの首だ。
目の前にワイバーンの大口が迫ってくるが、カルマは下あごの下をかすめて飛び込んでいった。
一瞬、ワイバーンが敵を見失った隙に妖刀朝霧がその喉元に斬りつける。
「柔軟性向上×5!」
「キシャァーッ!」
カルマが発した付与魔術がワイバーンの首元を襲った。魔術を受けた首周りの鱗が限界を超えた付与を受けて砕け落ちる。
鱗の守りを失ったワイバーンの地肌に、妖刀朝霧の刃が打ち込まれた。
「根性見せろや、朝霧ぃいいーっ!」
『誰にいっている? <草薙>――』
カルマが撃ち込んだ刀身は、まるで豆腐でも切るようにワイバーンの太首を切り裂いた。
魔力による浮力を失ったワイバーンの頭部は、切り口から血を吹き出しながら放物線を描き、ぼとりと地面に落ちた。首から下の体はしばらく滑空を続け、洞窟の壁に激突した。
「あぁぁぁぁぁーっ!」
全身全霊を籠めて一刀をふるったカルマは、じたばたあがきながら地面にたたきつけられた。衝撃で息もできず、激痛が全身を貫く。
「ぐふぅ、うー……」
『しっかりしろ、カルマ!』
「う、付与魔術全解除……回復力向上×2……」
消え去りそうな意識にしがみつき、カルマは全身に回復力向上を付与した。そこまで意識を保てたのは、皮肉なことに全身に走る激痛のおかげだった。
カルマに意識が戻ったのは二時間後のことであった。
『……ルマ、カルマっ!』
「イケメンくん、こっちおいで……。じゅる……」
『カルマったら!』
「うー……。はっ! イケメンは、どこ?」
地面に激突して転がったカルマは、全身泥だらけの状態で目覚めた。体中打撲と擦り傷だらけだったが、奇跡的に骨折した個所はなかった。
慎重に立ち上がってみたが、強い痛みはすでに消えていた。
『よかった。動けるんだね』
「うん。ちょっとあちこち痛いけど。何があったんだっけ?」
『頭でも打ったのかい? アレをごらんよ』
「ん? なんじゃこりゃあっ!」
数歩後ろにワイバーンの頭が転がり、二十メートル先にはぐしゃぐしゃにつぶれたワイバーンの死体があった。
「あぁぁぁあああ……! ワイバーーーーン!」
『今更かい。「ハンバーーグ」みたいにいわないで』
「思い出した。ワイバーンに襲われて、やけくそで斬りつけたんだった」
『大型モンスターにやけくそで斬りつけるなよ』
ワイバーンの圧倒的な巨体を見て、ようやくカルマは何があったかを思い出した。今更ながら足元から震えが這い上がってくる。
「うひゃあー、よく生き残れたもんだ」
『まったくだよ。絶対死んだと思ったもの』
今考えても奇跡的な生存だった。出たとこ勝負にも程がある。
『ツッコミどころが多すぎるんだけど。何であそこでくしゃみなんかするの?』
「いや、自然現象だから。くしゃみとかおならとかゲップとか鼻くそとか……」
『くしゃみ以外関係ないし。それにしても、よくとっさにワイバーンの鱗を砕けたね?』
苦しまぎれに「柔軟性向上」を重ねがけしたことで、ワイバーンの鱗は付与限界を超えて砕け散った。そんな使い方はこれまでやったことがないはずなのに。
「追い詰められて自分に付与魔術を重ねがけしたかったんだけど、それをやったら全身崩れちゃうでしょ? そう思ったら、相手にかけてやればいいじゃんって気がついたのよ」
『うわぁ、ぶっつけ本番かい? 無茶するなぁ』
「死ぬか生きるかの瀬戸際だったから。それにしてもアンタの切れ味、さすがだったわね」
鱗の防御がなくなったからといって、ワイバーンの首を両断するのは並大抵のことではなかった。
『<草薙>という。妖刀になったわたしに備わったスキルさ』
草を切るようにすべての物を斬る。異常の切れ味をもたらすスキルだった。
「そんなスキルがあるなら、いつも使えばいいじゃない」
『反動でその日一日は豆腐も切れなくなる。そういうペナルティがあるんだよ』
「うわあ、引くわー。やべえ奴じゃん」
『仕方ないだろう。生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだから』
「アタシのね……。助けてくれてありがとう」
妖刀である朝霧に「死」はない。粉々に折れない限り、次の持ち主を待てばいいのだ。
『刀の切れ味とは持ち主のためにあるものだ。それだけのことだ』
「アンタ今、豆腐も切れないけどね」
格好いいことをいおうとした朝霧にきついダメ出しをして、カルマは体のほこりを払った。
「催眠ゼリーとか、無駄になっちゃった。ま、結果オーライね。さっさと生き血を採って帰りましょ」
『そうするとしよう』
カルマはワイバーンの死骸に歩み寄り、心臓のあたりに朝霧を突き立てようとした。
「あれ? あれっ? ぜんぜん切れない。おかしいなぁ、おかしいなぁ……」
『嫌がらせか! 豆腐も切れないっていっただろ!』
「ぬははは! ぜんぜん切れない。おもしろーい!」
『やめんかっ!』
結局ワイバーンの生き血は両断された首元から絞り出して手に入れることができた。
ダンジョンを出たカルマはヒメイジの町を歩き回ったが、豆腐を売っている店が見つからなかった。
切れ味を失った朝霧が豆腐を斬れるかどうか試すことができず、カルマは一晩中残念がっていた。




