18:月夜の逢瀬 3
◇
昔話だ、と前置きをして、彼は静かに話し始めた。
◇
『サラ・マクラベル』という名を覚えているか?
彼女は俺の妹だ。
いや、妹のような存在、と言うのが正しい。
ショーンは彼女の弟、俺は……彼らの、兄のような存在だった。
プレニウス領の端に、レンザという小さな村落がある。
昔は麦を育てる長閑な村だったが、今はもう何も残っていない。
「レンザの夜襲」で滅んだ。
当時、プレニウスに不満を持つ敵対勢力が、滞在していた軍を狙って夜襲をかけ、多くの命が奪われた。
サラとショーンの両親も、その犠牲者だ。
俺の父、アンデリックは、己の滞在が悲劇を引き起こしたとして、彼らを引き取り俺と共に育てた。もちろん、伯爵の嫡子と村落の子では身分が異なる。平等というわけにはいかなかったが、遊びに興じた時は……その差は無かったように思う。
俺とサラとショーンは、俺が一番年長でな。
年の差は無いと同義だったが、俺の名を呼び、慕ってくれる彼らと遊ぶのは楽しかった。狩りにも出た。遠乗りもした。大切な妹だった。
そのサラが奉公に出て、死の証として帰ってきた。
知らせを受けた時、心に穴が開いたように痛かったが、見ていられなかったのはショーンの方だった。「自死のようだった」と告げられても、到底受け入れられない様子だった。
父のアンデリックも心を痛めていたようだが、サラの死の究明をしようとはしなかった。”育てた”とはいえ、共に過ごす時間は少なかったし、父にとって彼女は、罪の証のようなものだったのだろう。
その後、父上が引退し、俺が伯爵の座についた。兵を動かせるようになり、俺たちはやっとサラの死を調べられるようになった。
そして……
■
「ダルネスのもとに、たどり着いたのですね……」
「ああ」
重い沈黙に声を落として。
呆然と呟くリュネットに、固い相槌が落ちた。
それらを目の当たりにし、リュネットの中、駆け巡るのは気遣いと迷いである。
──この先を、聞いてもいいものか、どうか。
しかし、ちらりと見つめたクルードは苦しそうで、リュネットは思わず問いかけていた。
「……先を聞いても、よろしいですか?」
「……」
恐る恐る。
先を求めた声賭けに、クルードの顔が痛みに染まる。
口にするのは苦しいのだろう。
しかし、うちに込めるのも苦しいはずだ。
『吐き出したいが吐き出せない』。
そんな葛藤がありありと見えて、リュネットはただ、言葉を待った。
静寂が支配する。
ずんと落ちた沈黙から這い出す様に、クルードは、大きく息を吐き出した後、遠慮がちに口を開くと、
「……ショーンが、やっと、掴んできてくれた。
サラは、ダルネスに汚されていた。
酒に酔ったヤツが自慢げに語っていたそうだ。
何度も何度も犯したのだと。
嫌がるサラは恍惚だったと。
その内サラは逃げ出し、運悪くナルシアに拾われた」
クルードの語る一言一言が重く、冷ややかに響く。
リュネットは震えを隠せず、ただ黙って彼の声に耳を傾けるしかなかった。
「ナルシアは、サラに金を稼がせた。
奴が劇場で上り詰めるための衣装や装飾品などの資金を、すべて。
あの女は、容姿や体つきのことを散々貶し、自信を奪い、隷従させた。
その上、身ごもったサラを身一つで追い出したのだそうだ」
「……それは、どこから」
「本人が語ったそうだ。ショーンに向かってな」
怒りと嫌悪と共に、瞬間。
彼女の中で繋がった。
あの日、あの晩、あの酒の席。
彼が聞かされたのは、その話だったのだと。
『誰かを殺しそうで』
先ほど飲み込んだ言葉が、納得を纏ってリュネットの中で舞う。
同時に吹き出す、憎しみと怒り。
それに呑まれそうになるリュネットに、クルードの悔しさを帯びた声が響く。
「……その場で剣を取らなかったショーンに、俺は称賛以外の言葉をかけられなかった。……つくづく、俺は言葉を知らん」
吐き出す嫌悪が闇夜に溶けた。
弱音とも取れる反省を零す彼に、どう声をかけていいのかわからない。
なのに、水面に映る満月は綺麗なのだ。
静かに揺らめき静寂を落としている。
それらに整えられたのだろうか。
やがてクルードは背を伸ばし目線を上げると、短く息を吐き出し、一拍。
「──死んだ人間は戻らん。
それは解っている。
私怨に塗れた復讐に、誰かを巻き込むなど愚かなことだと、それもわかっている。
しかし、奴らをのさばらせるわけにはいかん。
「爵位・地位・名誉・財、全てを取り上げるだけの証拠が欲しい。サラの件だけでは、不十分だ」
「……爵位を取り上げるには、国王を動かさなければなりませんものね……」
「……ああ。
だから俺はおまえを利用した。
……すまない」
「…………」
重く述べる彼に、リュネットは小さく息を零して口をつぐんだ。
いったい誰が、怜悧冷徹なのだろう。
『プレニウス卿は武骨で不愛想』。
そんな印象だったが、そんな彼はここにはいない。
居るのはただ、『’自分の目的のために誰かを利用したこと’に、言いようのない罪悪感にさいなまれている男性』だ。
──そんな彼に、リュネットは一拍、目を伏せ、告げる。
「……わたくしも、彼らをのさばらせておきたくはありません。……そのために、ここに来ました」
胸を静めるように、深く、深く息を吐き出した。
そこには、悲しみも怒りも含まれておらず、あるのはただ静かな決意。
『全てが腑に落ちました』と言わんばかりの表情で、リュネットはクルードに顔を向けると、
「それで……今のわたくしに、何ができますか?」