15:密やかなやり取り
──まずはそう、『ご挨拶から』。
かたや、子爵の妻で、競売直前のリュネット。
かたや、伯爵の身分で情報を集めている最中のクルード。
二人が怪しまれずに交流を重ねる術は、ネネによる手紙の交換だけだった。
共通の敵を得たとはいえ、彼らはまだ互いを知らない。
故に、二人のやりとりは、どこかぎこちなさを纏い始まった。
◆
[拝啓 クルード・フォン・プレニウス卿
ネラ地区の交易記録を送ります。
サルペントの時代は
ほぼ使われていない販路でしたが
最近動きが盛んのようです]
[拝呈 リュネット・サルペント様
感謝する。
この情報は非常に有用だ。
取引の裏にある意図を探るべく、
さらなる調査を進める。
ショーンは元気だろうか?]
[拝啓 クルード・フォン・プレニウス様
ええ。
毎日よく尽くしてくださいます。
主人も喜んでおります。
彼がダルネスを篭絡するのも、そう遠くないでしょう]
[拝呈 リュネット・サルペント殿
ショーンから報告を受け取った。
ネラ地区の件だが、確かな情報を得た。
おまえのおかげだ、礼を言う]
──はじめは「業務的」。
しかし、言葉を重ねるごとに、不思議と固さが抜けていく。
いつしかその手紙に、彩りと安らぎを覚えるようになっていたのは……どちらからだろう?
[拝啓 クルード・フォン・プレニウス様
クルード様。
お褒めにあずかり光栄です。
今日は
特に進展はありませんが
ペンを執っています。
日差しが柔らかく暖かいです。
庭先で寝ていたジョンを描いてみました。
上手に描けました]
[リュネット・サルペント様
おまえは絵が上手いのだな。
おまえの意外な一面を知り、
心にほころびを覚えている。
ジョンとやらの躍動感が見事な描写だ。
機会があればぜひ乗ってみたい。
とても立派な馬なのだろうな]
[拝啓 クルード・フォン・プレニウス様
ご機嫌いかがですか?
最近快晴が続きますね
クルード様も遠乗りなど
されるのでしょうか?
追伸・ジョンは犬です
馬のようでしたか?]
[リュネット・サルペント様
道理で躍動感があると思っていた。
素晴らしい犬だ。
おかしなことかもしれないが
リュネット
俺は最近、
おまえの手紙を心待ちにしているようだ。
おまえの文字を見ると心が躍る。
今日は何を書いてあるのだろう、と。
浮ついては駄目だな。
神・カルデウスの教えに背くわけにはいかない。
追伸
今日欄外に描いてくれたのは、キツネだろう? 野生らしさがにじみ出ている。
よく描けているな]
[クルード・フォン・プレニウス様
ダルネスがネラ地区の件で
騒いでおります。
勘づかれたのかもわかりません。
ダルネスは知恵のない男ですが
勘は働きます。
あなたに
神祖カルデウスのご加護があらんことを。
ウサギです]
[リュネット・サルペント様
ウサギか。
そうか。
ウサギだったのだな。
おまえの絵は味がある。
本題に入るが
ダルネスの手の者を捕らえた。
リュネット、お前のおかげだ。
礼を言う。
最近、朝夕は冷えるようになった。
おまえが身体を壊していなければいいのだが]
◆
「……!」
書かれた文字に、リュネットは、胸に便箋を押し当て、綻ぶ顔が緩まぬように力を入れていた。
どうしましょう。
重ねれば重ねるほど、罪と想いが募っていく。
既婚者であるにもかかわらず、彼の言葉が嬉しくて頬が緩んでしまう……
これは、カルデウス様への冒涜かしら。
神の選びし半身に愛されていないとはいえ、こんなこと……
まだ恋ではないわ。
まだ、恋ではないの。
──けれど、
「……こんな時間がずっと続いてくれたらいいのに……」
祈るように呟いて、リュネットは机に向かいペンを執った。
伝えなければならない。
今日、あったこと。
この先の話。
[クルード・フォン・プレニウス様
今日は
「競売の日が決まった」と知らせがきました。焦りが募ります。
子爵の妻が売られるなんて
長き歴史にも例を見ないこと。
黙って売られるつもりはありません。
しかし
烙印を背負うと思うと気が落ちます。
神祖カルデウスが御導き下さった半身に
好かれ愛されなかったのは
わたくしの落ち度であり
運命なのはわかっているのですが
わたしも
暖かな想いに包まれ、この命を終えたかった
ああ、クルード様
泣き言をごめんなさい
わたくしは強くあらねばなりませんね]
[親愛なる リュネット・サルペント殿へ
二人だけで話がしたい。
月が満ちる夜
ルッソ湖のほとりで落ち合えないだろうか。
良い返事を期待している]
「……!」
■
クルードの手紙を読み終えて、リュネットは勢いよく顔を上げた。
驚いた。
遅かれ早かれクルードとは落ち合うつもりでいたが、まさかこんなにも早く、しかもあちらから呼び出すとは。
思考が錯綜する。
なにか動きがあったのかしら?
あったとしたら、何かしら?
ネラ地区の動きを悟られた?
ダルネスの財務記録を持ち出していることが明るみに出てしまった? いいえ、違うわ、きっと、ショーンのことね……
思い返すは数日前のショーンだ。
その日、ダルネスとナルシアに引っ張られ、酒の席に着いた彼は、憤怒を閉じ込めた顔つきで部屋に戻っていったのである。
その理由をリュネットはまだ、聞き出せずにいる。
「…………」
リュネットは予感した。
きっとこの逢瀬が、何かしらの転機になる。
──それはつまり──
関係の終わり。
文通の終わり。
「こうして文を交わすことも無くなる……」
覚悟と共に湧き出す、一抹の寂しさと切なさに胸が痛い。
彼とのやりとりはただの協定であり、情報交換だとはわかっている。
しかしいつしか、手紙が来るのを心待ちにしていた。
彼の文に暖かさを感じていた。
紙面を前に、ほほ笑み、息を漏らした。
彼の文字に愛着を覚え、それを抱きしめ空を仰ぐなど、らしからぬこともしてしまっていた。
走るペンに思いを託し、妙なことを書いてしまったりもした。
ああ、神様。
カルデウスの教えの元、他の男性に思いを寄せるなど、許されることではありません。解っているのです。
しかし、事の終わりが、事態の収束が、これほど寂しく名残惜しいと感じたこともありません……
「………………クルード様」
──ひとり。
部屋の中で声に出したその名前は、彼女の中で淡く色づき、胸の奥へと落ちて行った。