11:哀れな男
大きな木製のテーブルの上、真紅のワインをなみなみと濯ぐのは、ダルネス・キルスティン子爵。リュネットの現夫で、不貞という禁忌を犯している男である。
手元の酒瓶だけがこの廃屋の中で不釣り合いなほどに輝く中、ラヴィズと呼ばれた男が陽気に顎を引いた。
「ハハ、随分ごきげんじゃねぇの、ダルネスさんよ。……おっと、次期帝国貴族様とお呼びした方がよろしいかな?」
自信に満ち溢れ、酒が回ったダルネスに、にやりと笑い返すは、野党のような身なりの中年男。名をラヴィズという。
ダルネスがラヴィズに出会ったのは、ほんの数週間前。
領内を見回る名目でネラ地区を訪れていた彼の目に、一人の怪しい男が留まった。貧相な身なりながらも目だけはぎらつき、周囲に威圧感を放っているその姿に、ダルネスは興味を抱いた。
初めは「おい、そこの屑。何をしている」と制圧的に接触を図ったが、奴が『帝国に明るい』と匂わせた瞬間手のひらを返した。
ダルネスは駒が欲しかった。
盗賊かぶれのラヴィズはおあつらえ向きな存在だった。
ラヴィズという男は口がうまかった。
現に今も『次期帝国貴族様』と述べて気分を良くしてくれる。
この場所も最高だ。
廃墟ではあるが、滅んでも『城』。
人目を気にせず気分を大きくするには丁度いい。いや、ふさわしかった。
「ふ、はははは……! いいねぇ、素晴らしい響きだ」
「いや、さすがダルネス卿だよ。外交も武器商いも超一流ってやつだ」
にんまり笑うラヴィズに、ダルネスは自慢げに顎を引き、満足そうに酒を煽る。
──ああ、これだ。
この賞賛が欲しいのだ。
リュネットもショーンも他の側近も、この辺りが下手だ。主である自分は、褒めてあがめて奉ってこそだというのに、奴らは全然褒めやしない。
ラヴィズの言葉に、更に気を良くしたダルネスは、グラスから深紅の液体を飲み干して、
「当然だ。この私を誰だと思っている。ダルネスだぞ!」
「おうおう、だからこそご教授貰いたいもんだねぇ。どうやって帝国に取り入ったのさ?」
意気揚々と煽るダルネスに軽口の賞賛を与えながら、さらに酒を注ぐのはラヴィズだ。
ダルネスがそれをかっこむのを横目に、するりと確認するのはその手元。ダルネスが雑に取り出した封書や書類である。
その位置を確認するラヴィズのそれに、気づくことなく。ダルネスはグラスを置くと、やや焦点の合わぬ瞳でにたりと笑い、のっぺりと言い始める。
「簡単な話だ」
ダルネスは得意げに鼻を鳴らし、続けた。
「情報だ。情報と武器よ。帝国の奴ら、我がカルディス国を、喉から手が出るほど欲しがってる。くくく、国を倒すには中が重要よ、ナカ!」
「おお、それでか! いや、さすがだ。けどよ、そんなこと話していいのか? それがバレでもしたら……」
「はっ、ばれるものか。私の名を語る奴らがいるとしても、所詮は間抜けな盗賊か裏切り者だ。奴らには、こっちの『大義』なんざわからん」
ひっく、と喉を鳴らして、ダルネスはグラスを叩きつけるように置いた。うっすらと赤い色の残るワイングラスの中、暖炉の炎が小さく揺らめいている。
煌々と炎が揺らめく暖炉の中、薪がパチンと音を立てたのを合図だったかのように、ダルネスが身を乗り出した。
「おい聞けラヴィズ。いいかあ、この国はなぁ、長くない」
「どういうことだよ?」
突拍子もない妄言と取れる発言だが、ラヴィズは大げさに眉を上げた。あえて酒瓶に手を伸ばしながら、その目が捉えるのは、意気揚々と話し始めるダルネスの自信に満ちた姿だ。
「簡単だ。古来より続く王家の血に、リュシアン公やら外務卿やら、腐った貴族どもがしがみついてるだけの国が栄えるわけがない。カルデウス教も王家を保つだけの体のいい宗教よ」
言葉を吐き捨てるようにしながら、ダルネスは暖炉に手をかざしてみせる。その顔に浮かぶのは、明らかなる野心。
「だが、帝国は違う。あそこには未来がある。私がこの土地に新たな秩序を築いてやる。クルードの若造がどう出るか、今から楽しみだ」
「……クルードの若造ねえ。で、その秩序ってのは?」
「簡単な話だ。私が国を掌握する。ただその前に……邪魔者には消えてもらう」
述べるダルネスの瞳には、暖炉の炎が移りこみ、ゆらゆらと揺らめいていた。ダルネスはそのまま、企みに歪んだ口元を愛でるように撫でまわすと、酒の入ったグラスを回しながら言う。
「まずは手始めに『リュシアン公』。
それからそうだな、ヴィクトリア聖堂長も良い。
外務卿の古狸も……ふふ、古にしがみつく古代生物どもめ。どこか一角が崩れれば、内側から食い破ることはたやすい、ぬふふふふ」
「オマエさん、大胆だな。いやほんと、惚れ惚れするよ」
「ふん、当然だろう。私はこの国の『次』を見ているからな」
言いながら、ダルネスは得意げに石の背に体を預けた。ゆったりとした動きが、酒と自信の入り混じった酔いどれを表している。
それを、じっくりと観察しながら。
次を引き出す様に、ラヴィズはヤツの様子に目を配りながら、ひとつ、間を置き繰り出した。
「しかし、ダルネス卿」
廃屋のホールにラヴィズの軽い声が響く。
ダルネスが半開きの目でラヴィズに目をやる中、彼はダルネスのグラスに追加の酒をなみなみ注ぎこむと、
「アンタの才覚には恐れ入るねえ。武器を流すだけじゃなく、人も手玉に取る。ナルシア嬢だって、アンタがうまく転がしてるんだろ?」
「あんな小娘道具にすぎん」
唐突に出たナルシアの名に、ダルネスは詰まらなそうに鼻を鳴らして吐き捨てた。
その返答がラヴィズの予想外で、彼が目を丸める中。
ダルネスはゆらゆらと揺らしていた酒を一気に煽ると、ふてぶてしく息を巻く。