35話 無精リターン
学校帰りのシモンが乗り換え駅の改札を出ると、迎えに来たヤコブが待っていた。シモンはなぜか、意外そうな顔をした。
「本当に待ってたんだ」
「連絡したの俺からなんだから、待ってるの当たり前だろ」
「バイトは? ボクなら、もう大丈夫だって言ったのに」
「ちゃんと終わらせてから来た。お節介か?」
「そんなことないよ。ちょっとお節介かなって思うけど、嬉しい」
「思ってんじゃん」
ヤコブがお疲れさまの頭ポンポンをして、シモンは並んで歩き始めた。
小腹が空いたので、駅構内のドーナツ屋に立ち寄って一つずつテイクアウトし、歩きながら食べた。
「そういえば。三日間くらいずっと本読んでたよな。宿題だったのか?」
「ううん。気になって、図書館で借りたんだ。国の文学賞を取った小説なんだけど、ヤコブは読んだこと……ある?」
「絶対読んだことなさそうだな、っていう間を空けるな。読んだことないけど」
ヤコブも本はマンガなら読むが、文学にはほぼ触れたことはない。文字がぎっしり詰まったページを開くと、圧倒されてすぐに閉じてしまうのだ。
なので、本当は興味はないのだが、シモンがあまりにも集中して読んでいたので、どんな話なのか訊いた。
「差別を受ける人種で生まれた主人公が、戦争の中でも希望を求めて生きる物語だよ。タイトルは知ってたけど、ちゃんと読んだことなかったんだ。今、あの本に出会えてよかったかも」
「よかったって?」
「ボクに必要なものが、あの中にあった気がするんだ」
「必要なもの? 希望じゃなくて?」
「それもだけど、それ以外かな。なんか、まだ漠然となんだけど。ボクもいつか、あの主人公みたいになれたらなって思ったんだ」
「主人公は最後、戦争を生き抜いて争いを止めたとか、世界を変革する活動家にでもなったのか?」
「ううん。最後は死んじゃうんだ」
主人公の結末を聞いたヤコブはドーナツをかじろうとした口を閉じ、立ち止まってしまった。隣から姿がなくなったシモンは振り返り、咀嚼していたドーナツを飲み込んで微笑む。
「心配しなくても大丈夫だよ、ヤコブ」
その微笑みに、不安を抱く必要はないとヤコブはほっと胸を撫で下ろす。
「不穏なこと言うからだろ」
「ボクが言ったのは、物語の主人公の話だよ」
「だって、その主人公みたいになりたいって……」
「例え話だし。言ったでしょ。まだ漠然としてるって。ボクは主人公から、ヒントをもらったんだよ」
駅を利用する人々が往来する喧騒の中、二人はアレクサンダー広場に足を踏み入れた。
その瞬間だった。
「!?」
辺りの空気が、別の世界に迷い込んだようにがらりと変わった。周囲を歩いていた多くの人も、走っていたトラムも車も消え、いつかのような静寂の黒い世界となった。
「ヤコブ。これ……」
「ああ。お出ましだ」
無人となった広場のど真ん中に、葉巻を咥えたガープが降って来たように重厚な音を立てて着地した。そのターキーレッグような肩には、無気力なタデウスがだらりと乗っている。
「やっと来たー。此処に居ればまた来るかなーって思って、ずっと待ってたんだよー」
(何なんだ、やつのあの体勢は。スポーツしたあとのタオルか?)
(オシャレな人が冬に付けてる、特に役に立ってないファーみたい……)
二人は待ち伏せされたことよりも、タデウスのウエルカム惰気ポーズがめちゃくちゃ気になった。
ちなみに。タデウスは「やっと来た」と言ったが、待っていたのはほんの五分ほどだ。
「本当は、また来る積もりは無かったんだけどさー。矢張り、やらなきゃ駄目みたいなんだよねー。でも、怠いし、面倒臭いし、帰りたいー」
「帰るなら帰ってもいいぜ。その場合、俺たちの不戦勝になるけどな」
ドーナツを食べ終わったヤコブは、親指で口の端を拭った。シモンも、ペロッと口の周りを舐める。
「ぼくも別に、勝ちに拘ってる訳じゃないけどさー。何だかんだで、結局はやらなきゃならないんだよねー」
そこへ、至急駆け付けたユダたちも合流した。
「あの格好……」
「今回も、やる気なさそうだね」
そして二人と同じく、タデウスの体勢に釘付けになり呆れた。
「前回も怠そうだったよな。面倒くせぇなら戦わなきゃいいだろ」
「そう出来るなら、そうしたいんだけどねー。でも、無理なんだよ。ぼく達は、人類を平等にしたいから」
タデウスはガープの肩を借り、前方宙返りをしてスタッと着地した。




