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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第2章 Bemerkt─希望と、選ぶもの─

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9話 人並みのしあわせ



 下の階で、ユダたち三人が飲みながら話していたころ。ペトロは、シャワーを浴びながら思いを巡らせていた。

 彼には、解決したい悩みが二つあった。一つは、ユダへの返事。もう一つは、父親から言われたある言葉だった。


「人並みの幸せ……」


 その言葉が、時折頭を過ぎっていた。



●●●●●●●●●●



 それは、墓地で再会した父親と別れる間際のことだった。


「たまには連絡してくれ。ご飯にでも行こう」

「うん。連絡する」

「それから……。無理して危険なことを続けないでくれよ」

「え?」

「俺も、SNSくらいやってるんだぞ。お前が何をしてるのかは知ってる」


 父親は、ペトロが使徒であることを知っていた。ペトロは、余計な心配はさせまいと敢えて教えないつもりだったが、SNSで発信されている使徒の情報を見てしまっていたようだ。


「悪魔と戦ってるんだよな。なんでそんなことをしてるんだ。あんな目に遭ったっていうのに……」


 苦衷を浮かべる父親は、ペトロが使徒になったことを認められないようだった。

 最愛の家族を喪うという悲劇を経験したのならば、息子が危険の最中に身を投じるなど見過ごせないのは当然だ。だから、ペトロも話すつもりはなかった。


「どうして、お前が危険を冒さなきゃならないんだ」

「あの。それは……」


 説明責任のあるユダは、ペトロの父親にいきさつを説明しようとした。しかしペトロはそれを止め、これは自分から言わなければならないことだと、ユダに目で伝えた。


「心配かけてごめん。父さん」

「なんでお前が、悪魔なんかと戦わなきゃならないんだ。神は、お前に試練を与えたとでも言うのか」

「そうかもしれない。でもこれは、オレが自分で選んだことだよ」

「危険なんじゃないのか。それとも、お母さんたちのところへ行こうとしてるのか? そんなことやめてくれ。お前までいなくなってしまったら……」


 父親はペトロの肩を掴み、家族の葬儀の時と似たような表情をした。力が入る手は、尊いものを二度と手放したくないと言っていた。

 ペトロにも、その深い愛情は伝わった。そして、父親への申し訳なさが滲み出てくる。

 けれど、意志を示さなければならないと感じた。あのころの自分から、変わろうとしていることを。


「バカなこと言うなよ。オレは死ぬつもりなんてないよ。オレは、オレ自身のために戦ってるんだ。捨てられないものを背負ってるオレでも、誰かの役に立つことができるんだ。この力で人を救えるんだよ。自分のことだって……」

「ペトロ……」

「オレが戦うのは、これからも生きるためなんだ。痛い目にも遭うし、凄く辛いこともある。でも、全ては自分のためなんだ。明日を強く生きるための糧になることなんだ」

「無理してるんじゃないのか?」


 父親は憂う眼差しで尋ねた。その眼差しの奥で何を案じているのかは、深層に潜るまでもなく簡単に汲み取れる。

 だからペトロは、口角を上げた。


「少し無理はしてる。だけど、大丈夫だよ。心強い仲間と、支えてくれる人が近くにいるから。だから父さん、オレを信じて見守ってて。オレはちゃんと生きるから」


 言葉だけでは伝えきれない。だから、見せる覚悟で思いを受け止めてほしいと、強い意志を示した。

 憂慮していた父親だったが、息子は、孤独を連れ立つことを選んだような顔から随分と変わっていた。あのころとは別の強さを抱き、見違えるほど勇敢な顔付きだった。


「……わかったよ。だが、本当に無茶はしないでくれ。俺は、お前に幸せでいてほしいんだ。何も、金持ちになれとか言ってるんじゃない。人並みに幸せでいてくれたら、それでいいんだ」


 ペトロの意志を尊重することを選んだ父親は、願うようにそう言った。



●●●●●●●●●●



(“人並みの幸せ”って、なんだろう。家族と一緒にいた時が、人並みの幸せって言うのかな……。それじゃあ、家族がいなくなった今は、オレは人並み以下の幸せなのか? そもそも、人並みの幸せってどういう状態なんだろう。普通に衣食住できてること? 学校に行けてること? 働けてること?)

「そう考えると、オレは今、一応幸せなのかな。住む所があって、寝るところもあって、ご飯も食べられてて、バイトしてる」

(これが人並みの幸せなら、心が満たされてるはずだよな。だって、家族といた時は何も不満がなくて楽しかったから)

「じゃあ。オレは今、心は満たされてるのかな」


 シャワーブースから出たペトロは身体を拭き、下着だけ穿いて洗面台で髪を乾かし始めた。


(みんなといるのは楽しい。バイトは、やらないと生きていけない。モデルの仕事は、まだ楽しいとかわからない。使徒は、楽しいとかいう次元じゃないし……。でも、今の生活に嫌なことはない。だけど、心が満たされてる感じはない)

「何かが足りない……?」

(何が足りないんだろう。前は近くにあって、今はないもの……? オレの心がほしがってるもの……)




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