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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第6章 Riss─綻ぶ─

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48話 人差し指とマグネット



 次第に秋が深まっていく空は、雨が降りそうな雲に覆われている。天気予報では、今日は初冬のような寒さになると言っていた。

 太陽の暖かさを奪われ、帰りのトラムの停留所に立っているシモンの頬と耳を、秋冷を越した冷気が擦り、赤くする。今朝は天気予報のチェックをうっかり忘れ、登校中に耳が痛くなって、ニット帽を被って来ればよかったと後悔した。

 今日は、そんなアドバイスをしてくれる相棒は不在だった。「十六歳になったんだから、送り迎えはもういらないだろ」と言って、アルバイトのシフトが変わってから、ヤコブは迎えにも来ることはなくなっていた。

 いつメンからの図書館の誘いも断って、やって来た黄色いトラムにシモンは一人で乗り込んだ。


 アレクサンダー広場前で降り、バスに乗り換えるために広場を横切る。

 冷気から守るように、フード付きダウンジャケットのポケットに両手を入れて、寄り道もしないで真っ直ぐ帰って暖房で暖まろうと、バス停を目指して歩いた。

 すると。駅前のデパート前に、ある集団がいるのが視界の端に映った。


「あなたは、救われていますか」

「あなたは今、幸せですか?」


 行き交う人々も、寒さであまり会話もしていなかったので、聞き覚えのあるセリフが、風に乗るようにするりと耳に入って来た。

 見当が付いたシモンは、足を止める。以前、本屋の前でも勧誘を行っていた新興宗教の双子の青年たちだ。やはり同じ黄緑色の詰め襟の装束で、白いダウンジャケットを着ている。


(こんな所でもやってるんだ……)


 無意識に立ち止まって見ていると、双子とまた目が合った。


「あなたは今、心が満ちていますか?」


 シモンと双子の距離は、50メートルは離れていた。本屋の前で遭遇した時よりも、距離がある。双子の勧誘は拡声器は使わず、少し張った地声で、離れていると耳を傾けなければ聞こえない。

 けれど。双子の問い掛けは、シモンに聞こえた。妖精が、耳元で囁いているように。

 シモンは、また引き寄せられるように双子に近付いて行くと、向こうもシモンに気付いた。


「あなたは、先日の」

「その節は、話を聞いて下さり、ありがとうございました」


 前髪が右分けの青年ケエブが、律儀に礼を言った。その隣の眉尻が下がったオツェルも、ペコリと頭を下げた。

 二人の両隣には、年齢の違う三人の男女が立っていて、同じ装束を身に纏い、勧誘の文言を通行人に投げ掛けている。

 

「この人たち、信者なんですか?」

「はい。入信してくださる方が、少しずつ増えております」


 入信者らはシモンに気付くと、安穏そうな微笑みを湛えて会釈した。まるで、神からの祝福を受けたかのような笑みだ

 彼らが入信したのは新興宗教だが、境遇が境遇だったら、使徒に救われていたかもしれない人々だ。シモンは新興宗教はあまり信用しない質だが、存在の否定はしない。だから、彼らが教団によって救われ、彼らがそれで後悔をしていないのならそれでいい。悪魔に憑依されて苦しめられるよりは、よっぽどましな選択だ。


「シモンさんはその後、入信を考えてくださいましたか?」

「えっ」


 前髪が左分けで眉尻が下がっている方のオツェルに、急に名前を呼ばれてびっくりする。前回の遭遇で名乗ってはいないはずだが、新興宗教の信者でも使徒のことくらいは知っているのだ。


「だから。ボクは大丈夫だって、言ったじゃないですか」

「また、おっしゃいましたね。『大丈夫』と」

「だって、本当に大丈夫だから」

「六回」

「え?」

「あなたは、前回お話した時と今と合わせて、六回『大丈夫』と言いました」

「だから何ですか」


 まだ勧誘しようとしているのかと、シモンは怪訝な表情を表す。彼の警戒心を表情で察しても、オツェルは柔和な笑みを湛えて問う。


「あなたは、まだ救われていない。心の扉を開いていない。本当の自分を、晒そうとしていない。あなたの心は、堅牢な檻に閉じ込められているのではありませんか?」

「そんなことない。ボクは、みんなに心を開こうとしてる。だけど、言えないことだってある。でも、そんなの当たり前でしょ。誰にだって、仲が良い人にも秘密にしておきたいことの一つくらいあるもん」

(ヤコブがボクに何も言ってくれないように、ボクも友達に大切なことを言えてない)

「不仲になりたくないから、言わない。明かさなきゃならない秘密があっても、言わなくても友達でいられるなら言わない。聞きたい秘密があっても、相手に嫌な思いをさせたくない。だから、今は別に、誰かを頼ろうとは思ってない」


 シモンの気持ちを聞いたケエブは、その意思を称えた上で同情を含めて話し出す。


「やはり、あなたは強い方なのですね。ですがその強さは、傷付けられてできた瘡蓋(かさぶた)のせいです。余程の境遇に置かれなければ、あなたほどの年齢で誰にも頼らないという人はいません。本当は自由に誰かに頼れるはずなのに、きっとあなたの周りには、そんな人はいないのですね」

「そんなこと……。頼る時は頼るし。ただ。今のボクは、本当に大丈夫だから……」

「また、言いましたね。『大丈夫』と」


 指摘されたシモンは、不思議と動揺する。

 これは、自分自身の悩みだ。自分とヤコブのことだ。赤の他人に相談するようなことではく、〈バンデ〉同士で解決しなければならない。だから、彼らに打ち明けても、正しい答えが見つかるとは限らない。

 けれど。彼らに「大丈夫」を際立たせられると、どうしてか心が寄り道をしたそうにする。


「……とにかく。新興宗教に頼るほど、困ってないので」


 自分は寄り道をするために、ここで立ち止まったのではない。早く暖かい部屋に帰ってヤコブとのことを考えたいと、シモンは踵を返した。


「なるほど。わかりました」


 せっかく帰り道に一歩戻ったのに、背中からのオツェルの一言がするりと風が巻き付くように足が止まり、振り返る。しつこいなとうんざりしながらも、シモンは憂愁を浮かべる彼に尋ねた。


「何がですか」

「『大丈夫』は、あなたの心の扉の鍵になっているのです。あなたは『大丈夫』と言って、自らの心を堅牢な檻に閉じ込めている。それは呪い言(のろいごと)となり、心の自由を奪っているのです」

「呪い言……」


 後顧の憂いを抱き、オツェルはこう続ける。


「あなたの過去───人間に酷く裏切られたことが、そもそもの原因です。このままではいけません。その呪い言はやがてあなたの身体を蝕み、人との関わりを拒絶することになります。そうなったらあなたの心は、堅牢な檻から解放されることはなくなってしまいます。二度と」


 オツェルは眉をひそめ、「二度と」を若干強調した。


「そんなことあるわけ……」

(過去のことは、自分なりに整理しようとしてる。いつまでも囚われてたら、未来には進めない。それが、使徒としても、自分としても乗り越える壁が、呪?)


 自身でも自覚する鬼胎を赤の他人からも指摘され、シモンの心は不安定に揺れ出す。


「あなたが心を閉ざす理由。本来のあなたを晒せない理由。『大丈夫』と言って、一人で頑張ろうとする理由。それは全て、過去の経験で芽生えた他人への不信感が原因です。そのままでは、いつまでもあなたは救われません。ですが我々は、あなたに寄り添うことができます。今のシモンさんは、絶対に『大丈夫』なんかじゃありません。これ以上、自身に呪い言を重ねないでください」


 オツェルはそう言ってシモンの肩に触れ、再び温和な面持ちを湛えて問い掛ける。


「あなたは今、幸せですか? 心が満ちていますか? 救われていますか? 本当は欲求を我慢して、頑張り過ぎていませんか?」


 触れられている肩が、ダウンジャケット越しでも温もりを感じるようだった。

 赤の他人に頼るつもりはない。新興宗教なんかに寄り掛かろうなんて、考えたことはない。けれど、人差し指で軽く突かれた心は、前後左右に揺れ動く。そして不思議と、突いた張本人のオツェルの言葉に、揺れる心は引き寄せられていく。

 この人に頼りたいと、思ってしまう。


「我々が神の代わりに、周囲の人々の代わりに、あなたに救いの手を差し伸べましょう。我々の前では、我慢も強がる必要もありません。シモンさんと対等となり、シモンさんの気持ちを大事にするのが、我々の役目。なのでどうか、話していただけませんか。シモンさんが抱えている悩み、苦しみを」


 その絶やされない微笑みは、シモンの唯一の味方だと言っていた。その横で、同じ顔のケエブも穏やかな面持ちで佇んでいる。


「…………それじゃあ……少しだけ」


 別に入信するわけではない。話を聞きたいと、言ってくれているだけだ。

 あれだけ「大丈夫」だと言って拒んでいたシモンだったが、胸の内に抱える悩みを二人に聞いてもらうことにした。




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