67話 見えない軌道
そこに、二つの影が降りて来る。
「物質界に行って良いとは、一言も言っていないぞ。フィリポ」
「怨嗟のマタイ!」
現れたのはマタイと、彼のゴエティアの一体である、鳥と人間の頭に白装束のアンドラスだ。今日は黒い狼に乗り、抜刀していたサーベルを鞘に戻した。
(マタイの横にいるのは、やつのゴエティアか!)
マタイとそのゴエティアの出現に、ペトロたちは一層の緊張感を持つ。
「勝手な事をするな、フィリポ」
「此奴等を排除できれば良いだろ! もう退屈で死にそうだったんだ! 暴れされろ!」
「退屈なのは分かるが、勝手が過ぎる。其の人間も観察中だ」
「此奴は俺様の獲物だ! 俺様の好きにさせろ!」
「其れを許さないと言っている」
指示に従わない得手勝手なフィリポを、マタイは影でぐるぐる巻にして拘束した。
「主様。拙が、胴体をバラバラにしてしまいましょうか」
「否。お前の手を煩わせる程では無い」
アンドラスは身体を切り刻めなかった代わりに、狼の前脚で踏み付け監視することにした。
新たなテリトリーが展開されているようではなかった。以前のような怖気も感じない。
「今日は何しに来たんだよ」
二度も雷霆をまともに食らったヤコブだが、痺れが残っていても根性で立ち上がり、血気盛んに尋ねた。
「野暮用の序でに、自由行動が過ぎる身内を回収しに来ただけだ」
「ちょっと俺等と遊んでけよ」
〈悔謝〉を構えて戦闘態勢を取るヤコブに、ヨハネは顔色を変える。
「ヤコブ、悪ノリするな!」
「オレは乗る」
「ペトロ!」
「ユダの代わりに、恩返ししないといけないし!」
ヨハネの制止を聞かずに、ヤコブよりも先にペトロは踏み込みマタイに斬り込む。
「はあっ!」
しかしマタイは微動だにせず、〈誓志〉を素手で受け止めた。
(素手で!?)
「礼は不要だ。返礼し合うなど、気色悪い」
「なら。これからも気遣いなしでいいってことだな」
「勿論だ。やがて去る者にしても、意味が無いからな」
第二ラウンドが始まってしまい仕方がないと、ヨハネは諦めた。そして、出遅れたヤコブとシモンと息を合わせ、同時にマタイに攻撃を仕掛ける。
「冀う縁の残心、皓々拓く!」
「泡沫覆う惣闇、星芒射す!」
「晦冥たる白兎赤烏、照らす剛勇!」
それを見たアンデレも、気力を振り絞って再び四人の防御に専心する。
「阻碍せん冥闇を抗拒する!」
「だが。返礼をしたい者も居るようだな」
「主様。拙がお相手しましょうか?」
「お前は其の馬鹿を見張っていてくれ」
マタイは自分の身体から、ハンドガンの形をした武器〈甚嵐悉滅〉を作り出した。そしてそれを空に向けて構え、トリガーを引いた。それとほぼ同時だった。
「っ!?」
またもやアンデレの防壁を通過して、五人一気に腕や足に見えない弾丸が貫通した。
「ぐぅっ……!」
ペトロたちは傷口を抑え、その場に倒れ込んだ。指の隙間から、血が溢れ出てくる。
「悪いが。返礼は固く断る」
動けなくなった五人をあしらったマタイは、ある方向へ視線を向けると、一瞬で移動した。
向かったのは、ハーロルトとヨセフがいる建物の屋上だった。安全だと油断していた場所に突然現れた敵に驚き、ハーロルトはビクッと身体を震わせる。
「記憶を戻してやったが、その後どうだ」
「……」
(なんだ。この威圧感!)
未だ顔色が悪いハーロルトは、マタイの威圧感への畏怖から、声帯を握られているかのように声が出せない。
マタイは、身体を強張らせるハーロルトをジッと見た。
「……矢張り、籾の中は空ではないか」
(何故だ。記憶が戻っただけでは、意味が無いのか?)
「マタイッ!」
そこへ、痛みを堪えてペトロが追い掛けて来た。マタイは振り下ろされた〈誓志〉の剣筋を見切り、片足を引いてスッと避けた。
ペトロは、視界に入ったハーロルトとヨセフに気付き驚く。
「二人とも、なんでこんなところにいるんだよ!?」
「……そうか。中身の無い籾には、栄養が足り無いのか?」
マタイは手に持っていたハンドガンをハーロルトに向け、再びトリガーを引いた。
「させるか!」
見えない弾丸の餌食にはさせないと、狙われそうな急所を予測したペトロは、数発食らいながら剣で弾丸を弾いた。
(馬鹿な!?)
見えない弾丸を弾く離れ業を見せたペトロに、マタイはにわかに驚く。
「朽ちぬ一念、玉屑の闇!」
ペトロは負傷した身体で、さらにマタイに立ち向かう。青白い光を帯びた〈誓志〉を、マタイは斬撃もものともせずハンドガンのみで受け止めた。
「二人をやらせるかっ!」
(……!)
マタイは、力強い双眸のペトロと初めて至近距離で交えると、目を見張った。
『蝶』の疑惑がこの人間から消えないという疑問を消して、怨みとともに彼を縛っている記憶が、悠久の時を経て一瞬目を覚ました。
(何だ……。何なんだ、此の人間は!?)
根幹が揺さぶられかけ、マタイは影を操りペトロの腕に巻き付け、自分から引き剥がすようにぶん投げた。
「ぐっ……」ペトロは再び立ち上がろうとするも、深手を負い、振り絞れる力は尽きかけていた。
倒れたペトロには意識的に目をくれず、マタイはもう一度ハーロルトを見下ろした。
「価値の無いお前に用は無い」
去り際に、ヨセフにも視線やった。ヨセフはマタイと相対しても一切顔色を変えず、恐怖すら抱いていない。しかしその目は、しっかりとマタイの存在を確認していた。
興味のない一般人を無視したマタイは、拘束したフィリポとアンドラスのところへ戻った。
「主様。此の人間共に、留めを刺しますか?」
「俺は此奴等に興味は無い。好きにして良いぞ」
「それでは、主様のご意思を沿わせて頂きます」
「そこまで忠実で無くても構わないのだが」
「拙が殺ってしまったら、アケロルに怒られそうですし」
マタイが隙きを見せているのに、ヨハネたちは動けなかった。
「今日の所は、フィリポは連れて帰る。またの機会に遊んでやってくれ」
手負いの敵を放置して、マタイはアンドラスとフィリポとともに影の中に消えた。




