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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第5章 Verschwinden─裏表─

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57話 放棄された責務



「本当に無責任ですね」


 明らかに自分に向けられたセリフだと感じたオイゲンは、立ち止まって振り向いた。

 そこにいたのは、ヨセフだった。先程の席には同席していないので、見ず知らずの人物に突然「無責任」と言われたオイゲンは、訝しい顔をする。


「はい?」

「先祖の過ちを軽んじ、それだけでなく、戦いに身を投じた者たちまで愚弄するんですね」


 ヨセフはいつもの無表情で、初対面のオイゲンを無遠慮に面責した。


「何なんだ、きみは」

「『術がなければ、責務を果たす必要はない』。その身勝手さは、貴方の祖父と似ていますね」


 なぜ、もう何十年も昔に亡くなった自分の曽祖父をこの青年が知っていて、その上軽蔑するんだと、オイゲンはヨセフの顔をジッと見た。

 地毛の白髪に、人間には珍しい赤色と水色のオッドアイ。その容姿の特徴に、ある心当たりを思い出したオイゲンはハッとし、眉をひそめた。


「あなたは……」

「術がないからといって、クアラデム家の宿命が終わったわけではありません。責務はこれからも、未来永劫続いていくのです」


 ヨセフが何者かに気付いた途端、オイゲンは畏縮し始める。


「し……しかし。何もできないのは、本当のことだ」

「それではなぜ、あなたの息子は使徒として戦えたのです」

「それは……」

「記憶喪失となり別の人格となった理由は、なぜだと考えますか」


 多重人格者ではないハーロルトが別人格を持ち戦っていたと聞いたとき、オイゲンはまさかと疑った。そして、やはり宿命からは逃げられないのかと絶望した。


「そんなこと、私がわかるはずがない……。あなたは、責務を強要するのですか」

「術は、消えることはあり得ない。今も存在しています」

「そんなはずは……。それは、曽祖父が放棄したと……」

「人間の意志で、放棄できると思っているのですか。そんな得手勝手は、神が赦しません」


 ヨセフはオイゲンを静かに叱責する。無表情に浮かぶ二色の双眸が、神の代わりに宿命に縛り付ける。

 しかしオイゲンは、間違えた選択を悔い改め、赦しを乞おうとはしない。


「曽祖父がそう決めたんだ。それに。()()の行方は誰も知らない。それなのに、なぜあると言い切れるんですか」

「奇跡を見たからです」

「奇跡?」

「記憶喪失のあなたの息子が戦う姿を、見ていたからです」


 ヨセフは、使徒の戦闘を幾度か見ていた。その時に、ハーツヴンデを振るうユダが、通常とは違う力を発揮していたのを目撃している。その力が、クアラデム家男子に受け継がれる力であると確信していた。


「忘れないでください。先祖の過ちは、この世界から消えることはない。クアラデム家の宿命も、終わることはない。あなた方は、永遠に償いをし続けなければならない。それが、クアラデム家男子に課された責務です」


 その血に鎖で繋がれた宿命からは、逃れられない。どんな手段で拒絶しようとも、その意志は無視され、宿命は地の果てまで追い掛け捕まえる。それが、クアラデム家の運命だ。

 それでもオイゲンは、息子を守るために宿命を拒絶する。


「何を言われようと、ハーロルトは戦わせない」


 オイゲンそう言い捨て背を向け去ろうとしたが、ヨセフはまた呼び止める。


「そのままお帰りになるおつもりですか」

「まだ何か?」

「“守りの柱”は、確認されないんですか」

「もちろん。それも兼ねて来たので」


 早く立ち去りたい気持ちが行動に表れ、言い終わる前に歩き始め、今度こそオイゲンは去って行った。

 ヨセフはその背中が見えなくなるまで、見つめ続ける。


「見ていますよ。クアラデム家が責務を果たすのを。自分が、側でずっと見ています」




 その日の夜の、深夜0時前。シャワーを浴びたペトロが戻って来ると、ハーロルトはまだ机に向かっていた。

 その背中は、当然だがユダと同じだった。ある日は仕事をしていたり、ある日は日記を綴っていたりしていた。またある日は、手帳に何かを書いていて、何を書いてるのか訊いたら、楽しそうににっこりと微笑まれて秘密だと言われた。

 こんな何気ない瞬間で、ユダの残影が重なる。いっそのこと切り捨てたい思いは、一度繋がった心の糸に固く編み込まれていた。


「まだ勉強してるのか?」

「うん。切りがいいところまでやりたくて」

「経営学、だっけ。父親の跡を継ぐなら、必須だもんな」

「跡を継ぐのは、僕の夢でもあるから」

「そっか」

(夢か……。オレの夢って、なんだろ……)


 自分に大切なものを与えてくれたユダに、お返しをすること。それが、ペトロが一番やりたいことだった。けれどもう、それは叶わない。捧げたかった思いは、海原を漂う流木のようにあてもなく漂うだけ。

 ペトロは、似ている背中に尋ねる。


「……なあ。なんで、すぐに帰らないの?」

「父さんの言い分が、ちょっと気に入らなくて。あと、ちょっとやりたいことがあるんだ」

「勉強以外で?」

「うん。勉強くらい、大事なんじゃないかと思うこと……かな」

「そうなんだ」


 拷問のような日々が、いっそのこと今日で終わってくれれば楽だったような気もする。ハーロルトが父親に反抗したことに少し苛立ちを覚える反面、複雑だった。


「みんな、すごく安堵してたね。そんなに僕にいてほしいんだね」

「みたいだな」

「そういえば。ヨハネくんたちは引き留めるけど、ペトロくんは引き留めようとしないよね……。僕のこと、あんまり好きじゃない?」


 ペンを置いたハーロルトは、振り向いて訊いた。口数が少なく、心の内を明かそうとしないペトロに不満を抱いているのではなく、ただ純粋に印象を聞きたくて尋ねた。


「なんだよ、その質問」


 ペトロはまた、心の内を隠して平然を装う。


「気のせいかもしれないけど、ペトロくんがたまに素っ気ない気がして。嫌われてるか、邪魔に思ってるのかなって」

「何言ってるんだよ。お前のこと嫌いじゃないし。ていうか、邪魔ってなんだよ」


 微苦笑してペトロは言った。


「だってさ……」


 ハーロルトは、ペトロが自分を邪魔だと思う理由があると知っている。

 思いも掛けず発見してしまい途中で閉じた日記の続きを、読んでしまった。そして、ユダとペトロが恋人同士であることを知ってしまった。だから自分のことを受け入れられずにいるんだと、ペトロのこれまでの行動を振り返って合点がいった。

 しかしハーロルトは、その先を言うのをためらった。

「きみはユダが好きだったんだよね。だから僕が邪魔なんじゃないの?」

 それを言って、どうするのだと。言って、ペトロは自分を受け入れるのかと。

 ハーロルトが口を噤むと、ペトロが口を開いた。


「オレの態度がお前を不安にさせてたなら、謝るよ。でも。今すぐ出て行ってほしいとか、思ってないから」

「迷惑に思ってない?」

「思ってない。でも。出て行くって言っても、オレは引き留めない」

「それはそれで、なんか寂しいな」

「ごめん。傷付けるつもりじゃ……」


 ハーロルトは首を振った。


「居心地がよくてここにいるけど、僕がいると、みんなは悲しくなるよね。それはわかってるつもりだよ。でも、もう少しだけ我慢してほしいんだ。戦うみんなのことを、ちゃんと見ることにしたから」

「それって……」

「僕も、ちゃんと考えたいことがあるんだ」


 オイゲンとどんなやり取りをしたのかはわからないが、心に決めたことがあるのだと、その表情でわかった。その目は、自分たちと違うものを見ていた目と少し違って見え、心持ちが変化したのが見て取れた。


「そっか……。わかった」


 しかし。もしもハーロルトが仲間になっても、素直に迎え入れられそうにない。この連日続く白昼夢を、早く終わらせたい。終わらせて、何も求めない普通の日常を取り戻したい。

 だからペトロは、ハーロルトはハーロルトのままで、ここからいなくなってほしかった。




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