15話 交差する
その翌日。出勤して来たヨセフを、ユダはさっそく誘ってみるが。
「いいえ。結構です」
検討の暇もなく、いつもの無表情で速攻で断られた。
「自分は、飽くまでもボランティアなので。みなさんの仲に入り込むつもりはありません」
「遠慮しなくてもいいんだよ?」
「遠慮ではありません。自分のルールなので」
飽くまでも、仕事のみの付き合いだと考えているようだ。けれど、速攻断られたユダはちょっと切なかった。
「今日は、何をしたらいいでしょうか」
「じゃあ。このフォルダに振り分けたメールに、返信してくれ」
オファーお断り一択の、一般からの雑多メールの返信をヨハネから頼まれ、ヨセフはデスクに座って作業を始めた。
それぞれ仕事を進め、契約内容の確認などをしていたユダは、一瞬だけヨセフの方を見た。メールの返信を終えたヨセフは、棚やテーブルなどの拭き掃除をしている。
(出勤初日からだけど、どうも視線を感じる……)
ヨセフの出勤初日から毎日、彼から時々見られているとユダは感じていた。
(私、何かしたかな。気に触ることでも言ったのかな。醸し出す雰囲気に加えて、コミュニケーションが必要最低限だから、何を考えてるのかもわからない……)
ユダが視線に気付いて目をやると、ヨセフは知らんぷりをして仕事をしているふうを装う。
(しかも。その視線が、この前の撮影現場で感じたものと似てる……)
敵意でもなければ、情がこもっているものでもない視線。感じるものが似ているだけで、撮影現場で感じた視線の主がヨセフとは言い切れない。
しかし、彼はなぜ視線を送ってくるのだろう。突然雇ってほしいと来たことといい、彼には何かここで働きたい本当の理由があって、その視線はそれと関係しているのかと考える。
「ヨセフ。コーヒー淹れたいから、お湯沸かしてくれないか」
「わかりました」
ヨハネに頼まれたヨセフは給湯室へ行った。ところが、しばらくして戻って来た。
「すみません。コーヒー豆がないんですが」
「冷蔵庫にストックがあるよ」
ユダは一緒に給湯室に行き、冷蔵庫からコーヒー豆の入った袋を出してあげた。
「ありがとうございます」
ヨセフは、準備していたコーヒーミルで豆を挽く。
ユダは、空になったガラスポットに豆を入れ替えた。そのついでに、何気なくヨセフに話し掛けてみた。
「仕事、やってみてどう?」
「どう、とは」
「楽しいとか、大変とか」
「特に何も」
(特に何も……)
言葉のキャッチボールを試みるも、グローブを介さず蹴って返される。何を話せば普通に会話ができるんだろうと、ユダは困る。
豆を挽いたヨセフはコーヒーサーバーにドリッパーをセットし、適量入れたコーヒー粉にお湯を注いでいく。
微細な泡を立てて膨らむコーヒー粉を見つめながら、ヨセフは口を開いた。
「……ノイベルトさんて、ずっとこの街に住んでいるんですか?」
「ずっとかどうかは、わからないかな」
「わからないんですか?」
「うん。大きな事件か事故に巻き込まれたらしくて、それ以前の記憶がないんだ」
「そうなんですか。大変ですね」
(リアクション薄いなー……)
同情や大袈裟なリアクションがほしいわけじゃないが、いつもの「はい。わかりました」と仕事を引き受ける時と同じトーンで返されて、逆にボールを掴み損ねそうになる。
しかし、ヨセフはキャッチボールを続けてくれた。
「記憶。早く戻したいんじゃないんですか」
「そうだね。戻ってくれたら、ありがたいかな」
(でも。こんなふうに話し掛けてくるのは、初めてだ)
無駄話もしないので、仕事以外の話をするのはこれが初めての出来事だ。
「一番に思い出したいことは、あるんですか」
「一番に思い出したいこと……」
「例えば。大事な約束とか」
ヨセフは無表情でユダを見る。
「大事な約束?」
コーヒーサーバーに、フィルターから滲んだお湯がコーヒーとなって一滴ずつ落ちていく。
ヨハネがパソコンに向かっていると呼び出しベルが鳴り、おやつのデリバリーを受け取った。ちょっとだけフライングをして紙袋を開けると、チョコレートとシナモンの甘い香りが鼻腔を抜けた。
おやつを休憩スペースへ持って行こうとした時、ユダのデスクから紙が落ちてるのを見つけて拾い、デスクに置いた。
その時にマウスに触れて、真っ黒になっていたパソコンの画面が明るくなった。
「これ……」
ふと見た画面は、あるホームページが開かれていた。
「『サンクトペテルブルク中央駅爆弾テロ事件』……」
それは、ペトロも見たマイナーなニュースサイトだった。ユダがこの街に来た経緯を聞いていたヨハネは、何かを察する。
(ユダが、自分の過去を探ってる……?)