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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第5章 Verschwinden─裏表─

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4話 ペトロ、救世主になる?



 ユダとペトロは、雑誌編集長との待ち合わせ場所である、デパートの一階にある路面店のカフェにやって来た。

 茶色を基調とした落ち着いた雰囲気の店内には、木製のテーブルや、革張りの椅子が配置されていて、買い物客にもよく利用されている。二人も一度は立ち寄ったことがあり、その時は居心地のよさについ長居をしてしまった。

 一階で注文したアイスカフェラテを持って二階に上がり、待ち合わせている人物を探す。すると、「こちらです」と席から立ち上がって手を上げた男性がいた。六十歳前後で黒縁メガネを掛け、品のあるグレーのサマースーツをカジュアルに着こなしている。


「初めまして。ズーハー出版社のメンズファッション雑誌『ERZÄHLUNG(エアツェールング)』の編集長、バッヘムと申します」

J3S(ヤットドライエス)芸能事務所のノイベルトです」


 握手をした両者は名刺を交換し、ユダから紹介されたペトロもバッヘムと握手して、三人は着席する。


「ご活躍は、よく耳にしております。わたくしもその場に居合わせたことがあり、使徒の方々には大変感謝しております」

「そう言って頂けて何よりです」

「すみません。こんな話は後回しでしたね。まずは、しつこくメールを送ってしまい申し訳ございません」

「とんでもないです。うちのペトロに熱心に声を掛けてくださり、ありがとうございます。寧ろ、お断りし続けてしまっている私たちの方が申し訳ないです」


 自身より四十ほども年上なのに、頭を下げて失礼を謝罪するバッヘムにユダはたじろぐことのなく、悠揚たる態度だ。


「どうしてもペトロさんのお力をお借りしたくて、何度も何度も……。失礼を重ねているのは重々承知なのですが、諦めきれず……」

「メールを拝見した限りでは、かなり切迫した状況のようですが。そのあたりのお話を伺ってもよろしいですか」


 話を切り出されたバッヘムは深刻そうに眉をひそめ、担当雑誌の現状を説明し始めた。


「まだ社内でしか周知されていない情報なんですが……。実は弊誌が近々、廃刊してしまいそうなのです」


 聞いたユダは一驚する。


「『ERZÄHLUNG(エアツェールング)』がですか? 私が知る限り、長年愛され続けている男性ファッション誌だと思うのですが……」

「ええ。今年で、創刊八十三年目になります。売り上げも好調を続け、“二十代の男性がファッションの見本にするなら『ERZÄHLUNG(エアツェールング)』を読め”とまで言われていた時期もありました。しかし、時代を先行するファッションを取り扱う雑誌に追い越され、近年の紙媒体の売れ行き減少も相俟って、発行部数は年々減り続けています」

「そのあたりのお話は、私も耳にしたことがあります」

「その近年の動向に、会社も会議を繰り返していたのですが、この度とうとう、刊行している雑誌をいくつか廃刊する決定を下しました。その候補の一つに、弊誌も挙げられてしまったのです」

「そんな……」


 そう呟いたのはペトロだった。ユダも、思っていたより由々しい状況に深刻にならざるを得なかった。


「それは、いつ?」

「すぐではありません。ただし、黒字回復の見込みがない雑誌は、半年以内には廃刊となります」

「ズーハー出版社は確か、ブックアプリでの配信も行っていますよね。その選択はされないんですか?」

「おっしゃる通り、アプリで読者に届ける手段もあります。それなら続けられると、上からもその提案をされました。しかし、断りました」

「なぜですか」

「歴代編集長に伝えられてきた、初代編集長の言葉があるんです。“ファッション雑誌は、流行りの服を世間に教えるだけではない。それなら、チラシを配るなり口で伝えるだけでもいい。ファッションは、エンターテイメントだ。人々に、明日の朝を迎える楽しみと人生の喜びを届けることが、自分たちの使命だ”と。その信念を、今のまま伝えていきたいんです」


 まるで、自身の心に再び強く焼き付けるように言ったバッヘムの目には、強い信念が宿っていた。


「弊誌は、今のままで回復できる見込みがあるんです。なので打開策を立てるべく会議を重ね、今回のオファーに至ったわけです」

「ペトロに専属モデルになってもらい、黒字回復に協力してほしいと」

「はい。ペトロさんには、それだけの魅力があります。わたくしから申し上げずとも、ノイベルトさんが一番ご存知でしょう」

「ええ。それはもちろん」


 その相槌に私情は含まれておらず、社長としての心からの同意だった。


「ペトロさんなら、弊誌を救ってくださる。そしてわたくしも、初代編集長の理念を受け継いでいける。そう確信しました。なのでペトロさん。専属モデルはお断りされていることは承知していますが、弊誌の専属モデルになって頂けないでしょうか!」


 熱い思いと必死さを込めて、バッヘムはペトロに頭を下げた。その声がちょっと声が大きかったので、他の客がなんだと振り向いた。


「ペトロが決めていいよ」


 雑誌の現状とバッヘムの思いに少なからず同情を抱いてしまったが、ユダは判断をペトロ本人に委ねた。


 ペトロは視線を下げて考えた。ユダが協力したがっているような雰囲気を感じるが、斟酌(しんしゃく)できても、同情で引き受ける気持ちにはなれない。雑誌の現状と自身の志のどちらを優先するかと尋ねられれば、迷いなく志を優先させる。

 けれど。今回の直接交渉を了承した理由を考慮すると、頑なな意志は意外と簡単に緩まった。


「……わかりました。引き受けます」

「本当ですか!?」


 バッヘムは驚きと喜びの表情を浮かべ、ユダは意外な返答に少し驚いた。


「歴史のある雑誌が廃刊の危機って、何気にショックだし。初代編集長さんの理念を守りたいっていう気持ち、なんとなくわかる気がします」

「ありがとうございます」

「あ、でも。オレにとってモデルは飽くまでも副業で、本業を疎かにするつもりはないです。それを理解してもらえるなら」

「もちろんです。契約によって拘束するつもりはありません」


 交渉が成功したバッヘムは、両手で力強くペトロと握手を交わした。

 こうしてペトロは、歴史ある男性ファッション雑誌『ERZÄHLUNG(エアツェールング)』の専属モデルを務める運びとなった。




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