11話 公開イチャイチャ
撮影は夕方に終了した。ペトロは、ユダと二人切りのワゴン車の中で私服に着替える。
「終わったぁ〜」
スイッチが完全にオフモードに切り替わり、ペトロは気を緩めた。
「お疲れ様。汗かいてない?」
「かいた。脇とかじんわり」
「じゃあ、インナーも脱いじゃって。身体拭いてあげる」
ユダは隣に座り、後ろを向いたペトロの背中をボディーシートで拭いてあげる。
「気持ちいい〜」
「ペトロは背中もきれいだよね」
「そういうのはいいから。ていうか。今日は、ずっと気が散ってたみたいだな」
「誰かの視線を感じて、それが気になっちゃって」
「きっと、ルッツさんが言ってたやつだよ」
「ペトロからの熱い視線だったら、嬉しいんだけど」
「お前じゃあるまいし」
お前みたいに仕事中に私情は挟まないと、ペトロはちょっと冷たく返した。
「ペトロも、今日は注目されてたね」
「オレ的に、公開処刑の気分だった」
初めての屋外撮影でスタッフ以外にも見られながらで、ペトロの羞恥心は密かに膨れていたようだ。
「きっとこれからも屋外撮影があるから、毎回それだと続かないよ?」
「スタジオの撮影なら慣れてきたのに……」
「やっていけば慣れるよ。バッヘムさんも絶賛してたし、期待に応えないとね」
ペトロの変貌ぶりを間近で見た編集長のバッヘムは、可能性を存分に秘めたそのポテンシャルを絶賛し、使徒にしておくのはもったいない! とまで言っていた。
数々の本物のモデルを見てきたバッヘムが言うのなら、ペトロには本当にモデルとしての素質が備わっているのかもしれない。
ペトロの背中を拭いたユダは腕を拭き、その流れで前の方へも手を伸ばしてきた。
「前はいいよ。自分で拭く」
「労いたいんだ。遠慮しないで」
と言われながら、ペトロはバックハグ状態で胸の方から拭かれる。
(ユダのシャツが素肌に擦れる……)
素肌に衣服が触れるのが妙に変な感覚で、ペトロはなんとなく恥ずかしくなってくる。
「ペトロの汗の匂いがする」
「嗅がなくていいから。早く拭いて離れろよ」
ペトロは、思わず「離れろ」なんて言ってしまった。そんな恋人の声音の微妙な変化を、ユダは敏感に感知する。
「どうかした?」
「服……。お前のシャツが素肌に擦れて……」
「擦れるのがイイの?」
不意打ちで耳元で囁かれてついゾクゾクッとしてしまい、ペトロは必死に誤魔化す。
「擦れて嫌なだけ! 変な解釈するな!」
「でも、ちょっと赤くなってるよ? もしかして、興奮してる?」
「してない!」
「こんなところで興奮するなんて、変態だね」
「誰が変態だ! オレは何も言ってないだろ!」
「ペトロにそんな一面があるなんて、新しい発見だなぁ。雑誌のモデルも引き受けてみるもんだね」
ペトロの反応がかわいくて、ユダは楽しそうだ。
「お前を喜ばせるために引き受けたんじゃない!」
「でも、私のためでもあるんだよね?」
「喜ばせるの意味が違う! いいから早く離れ……」
イチャイチャしていたその時、ワゴン車のドアが開いてスタッフが顔を覗かせた。
「すみません、ペトロさん。明日なんですが……」
車内を覗いた編集部の若手男性スタッフは、密着状態の二人を目にした瞬間、固まってしまった。
見られたペトロも、マネキンのように固まる。ただ一人、この状況に微塵も焦りを覚えないユダはバックハグをキープして、いたって普通に笑顔で対応する。
「明日は、スタジオ撮影ですよね」
「え……。あ……。はい……。今日と同じ時間で、よろしくお願いします……」
上半身裸とワイシャツ姿でイチャイチャする二人に釘付けとなり、まばたきも忘れて答えた彼は、静かにドアを閉めた。
車の前で呆然と立ち尽くす彼を発見し、ルッツは声を掛ける。
「どしたの、イェルクちゃん」
「……間近で初めて見たので、ちょっとびっくりしちゃいました……」
「あら」
(二人とも、ああ見えて意外と肝が据わってるのかしら。悪魔退治してるんだもの、そうよね〜)
イェルクが何を見たとまで言わなかったので、ルッツの脳内では勝手な想像が繰り広げられた。
「だから、ちゃんと返事を待ってからドア開けなさいって、アドバイスしたじゃないの。おバカさんネ」
「世界は広いです」
「この世界は、あなたが知らないことばかりヨ。なんなら。知りたいことがあったら、あたしが教えてあげるわヨ♡」
擦り寄るルッツはウインクしてアピールしたが、「結構です!」と即答され、あえなく玉砕した。
その頃、ワゴン車の中ではペトロが騒ぎ出していた。
「み……見られた!!」
自分だけ上半身裸で、衣服を剥かれてあれやこれやをされようとしていたところなんだと絶対に勘違いされたと、真っ赤になって泡を食う。
けれど、ユダは平然としていて、顔色を全く変えていない。
「普通に振る舞ったし、大丈夫だよ。汗をかいた身体を拭いてあげるなんて優しい社長だな、って彼は思ったよ。きっと」
「思ってない! あの動揺した顔は、絶対にそんなふうに思ってない!」
また誰かに見られたら二度と現場に来られなくなると、ペトロは急いで私服に着替える。
「心配し過ぎだよ。スタッフさんみんな優しいし、私たちのことも温かく見守ってくれるよ」
「それはありがたいけど、お前はもっとちゃんとしろ! 社長なのに注意力欠如だし、無警戒過ぎる!」
「でも今のは、変な気分になって煽ってきたペトロが悪いんだよ」
「誰も煽ってない! 責任転嫁するな!」
恥ずかしさで真っ赤になっていたペトロは、怒ってさらに顔の赤みを増した。そんなペトロに、ユダは言う。
「それに。私が仕事だってことを忘れるのは、ペトロが大好きだからだよ」
「誤魔化すな! ていうか、仕事を忘れるのあり得ないだろ!」
「しょうがないじゃない」
本当は紳士的なはずなのに、全く反省の色がなく微笑みを絶やさない恋人に心底呆れるペトロは、指を差して言い渡す。
「もうお前は現場に付いて来るな!」
「ええー。輝くペトロの姿を、間近で観られなくなるよ」
「仕事を私物化するなっ!」
お互いに引かない二人のケンカは、このあともしばらく続いた。
この痴話ゲンカは、ワゴン車の外にまで聞こえていた。外で聞いていた編集部スタッフたちは、あまりの仲の良さに声を掛けられず、なかなか撤収できなかった。