42話 太陽に気付くとき
「レオのことは、今でも好きだよ。でもやっぱり、いつまでも縋ってるわけにはいかないんだ。縋ることがレオへの思いの証だし、そうすることで、間違えた後悔を伝えようとしてたんだと思う。一緒に逝けば、全部元通りになるかもしれない。だけど、今の僕は中途半端なんだ。このまま一緒に逝っても、またレオを傷付けることになっちゃう。それは絶対嫌なんだ」
「行かないのか」
レオは瞋恚の目をしながら、切なげに尋ねた。罪を重ねてしまう自分に疑問を持つヨハネも、別れが惜しかった。
「また裏切ってごめん。本当に僕は、レオを傷付けてばかりだね……。でも。次に会うことがあったら、その時は、僕たちの気持ちがまた一つになる時かもね」
ヨハネは三度の再会を示唆し、自分を掴んでいた冷たい手を離すと、レオは消えていった。
しかし。その腕に今度は、マティアの鞭〈狂炎羨絞〉が絡み付く。
「貴方も大愚な人間ね。呆れて物も言えないわ」
「人間て、そういうものなんだよ」
「そうね。呆れるのは今更だったわ!」
マティアは、鞭の片方に提げている棘の鉄球モーニングスターをヨハネの頭部を狙って投げた。
ヨハネは身を低くして鉄球を避け、具現化させた〈苛念〉を左手で持ち、右手に絡み付く鞭を断ち切る。そして槍を一振りし、足元に溜まっていたヘドロを一気に散らした。
「だからって、貴方を見逃して放置なんかしないわよ!」
マティアは棘の鉄球を振り回し、何度もヨハネを狙う。ヨハネは、広い空間を右に左に後ろに飛び退き回避し、避け切れない場合は槍で弾いた。
「くっ……!」
お見舞いされるミドル級ボクサー並のストレートパンチを、どうにか上手く力の加減で受け流す。
「冀う縁の残心……」
ヨハネは槍に力を込め、一撃を放とうと構えた。しかし。
「余所見は駄目よ!?」
マティアしか見ていなかったヨハネの死角から鞭が現れ、足に絡み身体を倒されると、〈苛念〉が奪われてしまう。
「しまっ……!」
棺から脱出するための手段の〈苛念〉を奪われ、最大の武器を失ったヨハネに焦りの色が滲む。
「さあ、どうするの? 使徒の力でも使ってみる? 果たして、此の棺の中で通用するかしら」
もう勝利は見えたマティアは、して会心の笑みを浮かべる。ところがヨハネは、その笑みはフライングだとわかっていた。
「……それには及ばないよ」
「戻る事は矢張り諦めて、彼と逝く事にしたの?」
「いや。僕の気持ちは変わらない!」
ヨハネは、一気にマティアとの距離を詰める。
「〈苛念〉!」
そしてその手に、再び〈苛念〉を掴んだ。
「何で!?」
気が付かないうちに奪った武器が鞭から消えていることに、マティアは一驚する。
使徒のハーツヴンデは、持ち主の手から離れると持ち主の意思で消すことができ、再び自分の手に出現させることができる。死徒はそれを知らなかった。
「はあっ!」
マティアの懐に飛び込んだヨハネは、槍を振り上げる。「っ!」マティアは上半身を後ろに弓なりに逸らし、バック転で距離を取る。
「冀う縁の残心、皓々拓く!」
ヨハネは回避の猶予を与えず、稲妻を帯びた光線を放つ。マティアは横に飛び退き、的を外した光線は真っ直ぐに飛んで行く。
だが光線は、別の的を狙っていた。イレギュラーに現れた光に当たると、そこからピキピキッとヒビが入った。
「嘘っ! そんなことあるの!?」
マティアの驚愕の表情には一瞥もくれず、ヨハネはもう一発、今度は更に力を込めて同じ場所に放った。
「冀う縁の残心、皓々拓くっ!」
威力を上げた光線は同じ場所に当たり、黒い空間に入った亀裂が四方に広がる。ヨハネを呼んだ木漏れ日だった光は輝き、帰り道を作った。
「こんな筈じゃ……!」
舌打ちをしたマティアは、一足先に棺の中から姿を消した。
空間が崩壊する中、ヨハネは光に手を差し伸べた。すると光は、太陽のように眩しく輝いた。
棺から解放されたヨハネは、咳き込みながら倒れた。
「ヨハネさんっ!」
それを支えたのは、アンデレだった。目を開けてすぐに飛び込んできたアンデレの顔は、心の底から安堵した表情だった。
「よかった! ヨハネさん戻って来た! おれ、外からずっと精神治癒やってたんすよ! へばりそうだったけど、絶対効いてるって信じて頑張ったんですよ!」
(それじゃあ。もしかして、あの光は……)
「よかった。本当に。ヨハネさんを助けられてよかった!」
アンデレは感無量になって、ちょっと涙目になっている。
「なんで泣きそうになってるんだよ」
「嬉しいんすよー!」
どんな場面でも騒がしいやつだな。そんなことを思いながら、ヨハネは微笑した。
「ありがとう。アンデレ」
一方。影を通じて外に戻って来たマティアは、使徒に袋叩きにされボロボロになっているアミーに、顔面蒼白する。
「えっ……。一寸、アミーちゃん! 何で使徒に囲まれちゃってるの!?」
「やって仕舞ったよ。お嬢に、こんな醜態を晒すなんて」
「信じらんない! アタシのアミーちゃんを、痛め付けてくれちゃって!」
「自分のゴエティアばかりが気になる?」
激憤するマティアの首に、鈍く光るユダの大鎌の刃が背後から掛けられる。
「自分自身のことも、少しは心配した方がいいよ」
「あら。余裕ね。形勢逆転からの一勝を、確信してるのかしら」
自分の首が狙われているというのに、マティアは全く焦る様子がない。
「欲を言えば、完全な一勝だけど。お前とアミーのどちらかが消えてくれれば、ひとまずそれでいいかな」
「勝負は中途半端ですもんね。でも。残念ながら、今回もお預けになるんじゃない? ねえ。マタイ」
そう言うと、足元の影の中から使徒の前にマタイが姿を現した。
「そうだ。こいつもいること、すっかり忘れてた!」
「戦ってる最中、全然気配感じなかったからな」
自分の目の前にマタイが現れユダは身構えるが、マティアに掛けている大鎌は外さない。
「勝負が決まりそうな場面で、統括のお出ましか。いいところで、全部かっさらうつもりかな」
「いや。俺の一先ずの目的は完了した。もう使徒には興味はない」
「興味はないなんて、寂しいこと言わないでよ。きみとはまだ、付き合いも浅いのに」
「心配するな。使徒には興味はないと言っただけだ。俺の興味は、一つに絞られた」
マタイは、マティアの首に掛けられる〈悔責〉の刃に触れ、闇を抱く暗紅色の双眸でユダを直視する。
「お前の方が、探していた『蝶』だな?」
「……っ!?」
〈悔責〉に触れられたユダは妙な感覚を感じ、マティアの首に掛けていた刃とともにすぐさまマタイから離れた。
ユダはマタイを警戒する。しかし、形勢逆転に成功して調子がいいヤコブは、彼の気も知らずにマタイにケンカを売り始める。
「おいおい! 俺らに興味がないとか、ふざけてんのか。どうせ一瞬で終わるとか、ナメたこと思ってんだろ」
「思ってるさ」
刹那。マティアのテリトリーで真っ黒だった周囲が、空も含めて赤く塗り替えられた。まるで、街が血に染まったように。
「……っ!?」
マタイのテリトリーに変わった瞬間から、使徒は彼が放つオーラに感じたことのない恐怖で身体が強張り、怖気立つ。
マタイは手を前に出し、親指と人差し指を立たせ、使徒一人一人を潰していくふりをする。
「お前も。お前も。お前も。お前も。そして、お前も。やがて消える運命だ。此の世界と共にな」
「世界とともに、って……」
「オレたちを倒すだけが、お前たちの目的じゃないのか!?」
「そんな詰まらん遊戯のために。ゴエティアと契約するものか」
「じゃあ。死徒の狙いは何なんだ!?」
「『ホーローカウスト』」
「!?」
飄々としたマタイの口からその単語を聞いた途端、一同は血の気を引かせた。
「そう怯えなくても良い。計画はまだ準備段階だ。だが。死徒がこの世の全ての人間への報復を企てている事は、覚えけおけ」
「死を覚悟しろ」。そう言い含めたマタイは、黒い霧になり使徒たちの前から消えた。
「吃驚したでしょ? そう言う事だから、此れからも仲良くしましょうね。また遊びましょ。可愛子ちゃん達」
マティアも傷だらけのアミーを回収し、ウインクを贈って消え去った。
真っ赤なテリトリーが解除されると、街はいつも通りの色と夏の日差しを取り戻した。
しかし使徒は、氷水を浴びせられたような空気に掴まれていた。




