31話 朝。扉の内と外では
翌朝になり、ヨハネは目を覚ました。あまりスッキリした寝覚めとは言えないが、昨日よりは気分も落ち着いた気がする。
起き上がると、カーテンに迎え入れられた陽光が白い壁に反射して、少し眩しく感じた。そう思ったのも束の間。テーブルに座るユダの背中が目に入った。
(本当にいてくれた)
「夢みたいだ……」
その呟きが聞こえたのか、ユダは後ろを振り向いた。
「あ。おはよう、ヨハネくん」
「お……おはようございます」
「気分はどう?」
「昨日よりは、大丈夫です」
「よかった」
微笑まれたヨハネは、胸がキュッとなる。起床してすぐの爽やかスマイルは目が覚めるほど威力があるのかと、初めて知った。
「コーヒー淹れるね。ブロートも食べられそう?」
「はい」
「じゃあ、朝食用意するね」
他の三人は既に朝食を食べ終えているようで、ユダは準備をしに部屋のキッチンへ消えた。
ヨハネはベッドから降りて、顔を洗いに行こうとした。テーブルの横を通り掛かると、置かれていたユダのスマホ画面が明るくなったのが見えて、つい、ちらりと覗いた。
ペトロからのメッセージだ。ヨハネが起きるまで、やり取りをしていたようだ。
洗顔を終えて着替えていると、コーヒーの香りが漂ってきた。少し涼しいので、ホットを淹れているようだ。
(いつも自分で淹れる時の香りと、ちょっと違う気がする……)
お客さんのようにテーブルで待っていると、ミッシュブロートとスライスしたソーセージ、コーヒーが並んだ。
ヨハネはミッシュブロートにソーセージとレタスを乗せて、オープンサンド風にして食べる。先に朝食を済ませたユダは、コーヒーで付き合った。
(というか。勢いで告白した手前、二人きりが非常に気不味い……)
ペトロからのメッセージに返信中のユダを食べながらチラチラ見ていると、視線に気付かれてしまった。
「どうかした?」
「い、いえ……。ペトロの方は、いいのかなって……」
「理解してくれたから、大丈夫だよ。やきもちは焼いてるかもしれないけど」
ペトロからやきもちを窺わせるメッセージは来ていないが、きっと落ち着かないだろうなと察している。ユダはこの件が片付いたら、ペトロにはたっぷりとお返しをするつもりだ。
「無理しなくていいですよ?」
「してないよ。一緒にいたいと思ったからいるだけ」
「一緒にいたい」。まさか、そんな言葉を言ってもらえる日が来るとは思わなかったヨハネは、好意を返されたと同じくらいに胸が幸せで溢れそうになる。
ただ自分の我儘に付き合ってくれているだけだけれど、オープンサンドの味がしないくらい二人だけの時間を噛み締める。
「お昼休憩以外でこうして二人きりで食べるの、いつ振りだろうね」
「そういえば、そうですね。事務所を立ち上げてからはヤコブとシモンが合流したので、かなり久し振りですよね」
二人は事務所設立までを脳内で振り返ると、それ以前の記憶を懐古し話を弾ませる。
「同じ集合住宅の隣同士で住んでた時は、お互いの部屋で食べたり、外食もしたよね」
「行きましたね。ケバブ屋とか、地元料理のレストランとか」
「シーフード料理のお店も、行ったことなかったかな。確か、白い集合住宅の隣の」
「覚えてます。あ。スーパーの中にあった寿司屋で、テイクアウトもしましたよね」
「したね! それ確か。ヨハネくんが、私の誕生日に買って来てくれたんだよね」
「そんなことも覚えてるんですか」
「もちろん覚えてるよ。大切な記憶だもん」
自分との思い出も大切と言われ、嬉しいことを立て続けにもらえるなんて何かのフラグなんじゃないかと疑いたくなる。気遣いだとしても、ユダの口から言ってもらえるだけでヨハネは大満足だ。
すると、ユダが提案する。
「そうだ。久し振りに、あの辺に行ってみようよ」
「えっ。でも、事務所の業務は……」
「急遽、今日から少しのあいだ休業することにしたから」
「大丈夫なんですか?」
「たまにはね。ヤコブくんに、まとまった休みをあげたらどうだって言われたのもあるんだけど。だから、二人で行こうよ」
「……はい」
ユダからの誘いを、断る理由はなかった。ヨハネにとっては、夢にまで見た立派なデートだ。
二人が、朝食を食べながらそんな話をしていた時。
部屋の外では、ペトロがスマホを握り締めながら、扉に耳を当て聞き耳を立てていた。そして、その怪しげな行動をヤコブとシモンが見掛け、職務質問していた。
「お前、何やってんの」
「盗み聞きしてるの?」
「違うって!」
正当性を訴えたくて、怪訝な目を向ける二人にペトロは慌てて言い訳をし始める。
「いや、ちょっとさ。ヨハネのとこ行ってもいいよって言ったものの、気になって昨夜もあんまり寝られなくて。だって、ヨハネと二人きりだよ? 何もないとは思ってるけど、偶然が偶然を呼んで事故がないとも限らないし。いや、事故ってなんだよって話だけど。ユダのこと信じてるから、事故も万が一も何もないってわかってるけど、じっとしてられなくて。やっぱり二人きりは危ないし、いざって時に扉ぶち破ってでも突入しようか、なんて考えたり……」
「心配とやきもちで特殊部隊の真似事をしてる、ってことか」
一応、理解はしてもらえたようだ。
「ユダなら大丈夫だよ。ボクたちから見ても、ペトロ大好きなユダが間違いを犯すなんて考えられないし」
シモンとヤコブも、「ペトロバカ」のユダが一時の気の迷いで浮気をするなどあり得ないと思っているらしい。
味方の二人の二票が「問題ない」票に入るが、絶対的支援者のはずのペトロ自身は不安から票を入れられない。
「だけど、密室で二人きりだよ? シモンだったら、ヤコブが他の人と密室で二人きりになったら心配だろ?」
「密室じゃねぇけどな」
「ちょっと心配だけど、ボクの方がヤコブ大好きだから、間違いがあったとしても許す自信はあるよ」
「俺が間違いを犯すかよ」
ヤコブは、シモンの頭をワシャワシャッと撫でた。
「そんなに様子が気になるなら、いっそのこと突入すればいいじゃねぇか」
「それはヨハネがかわいそうだよ、ヤコブ」
「そんなことしないよ。ユダからこまめにメッセージくれるから、本当はこんなことする必要なんてないし。余計な気持ちは、我慢しないといけないし」
「やきもちを我慢するってこと? なんで?」
シモンが尋ねると、ペトロは何かを気に留めるような面持ちで廊下に腰を落とし、膝を抱える。
「だってさ。オレより先に、ヨハネの方がユダを好きだったんだろ? てことは、オレは横取りしちゃったってことじゃん。そう考えると申し訳なくて」
「違うって。お前は横取りしたんじゃなくて、あいつの行動が遅かっただけだ」
「だけどさ。もしもヨハネが告白を成功させてたら、ユダがバンデになってたかもしれないだろ。そう考えたら、ユダがヨハネの側にいることは正しいし、抉られた傷を癒せるのもユダしかいないんだ。ユダがバンデじゃなくても、今のヨハネにはユダが必要なんだ。オレは、それを理解できる。だから、やきもちは我慢して、ユダがヨハネを助けるのを見届ける。ユダじゃないと、ヨハネの望みは叶えられないから」
ヨハネの気持ちを知らなかったのだから仕方がないことだとわかっているが、ペトロは負い目を感じずにはいられなかった。
だから、ユダが側にいてあげたいと言った時も、本当は嫌だったが、自分がヨハネの好きな人を奪ってしまったという罪悪感から許した。せめてものお詫びのつもりだが、今のヨハネにはユダが必要だと思っているのは本心だ。
ペトロの胸中を聞いたヤコブは、ユダが言っていたことを思い起こした。
(同じこと言うんだな……)
「バンデの鑑だな。でも。ユダとお前がバンデになったのは、そう決まってたからだ。ヨハネが告白できなかったのも、同じ理由だ。お前が抱いてる感情は、ヨハネにとってはただの妬み嫉みの増長の種だ」
「この感情が妬み嫉みの種だったら、ユダを貸した時点で種植えてないか?」
「そうなっちゃうかな」
「そうなっちゃうかもな」
「どっちみち、ヨハネに妬まれるじゃん!」
「それは、あいつの勝手な責任転嫁だ」
もしも、今味わっている幸せを手に入れるために冷静さを失ったヨハネが、ペトロとバチバチになった時は、ヤコブは本当にガチの腹パンを食らわせてヨハネを強制制止させるだろう。
ペトロは、扉の向こうにいるヨハネに視線をやる。
「もしかしたら今妬んでるかもしれないけど、オレがヨハネにしてやれることは、これしかないんだ」
複雑な心境ではあるが、ヨハネには早く元気になってもらいたいと思う。仲間として。一人の人間として。




